天秤を壊せ
「……よし! だいぶ回復しましたわね!」
「ええ。まだ本調子とは言えませんが……。ショック状態からは立ち直ったと思います」
どこだかよくわからない倉庫の裏の空間で軽く状況を共有しながら体を休めたウーロとシルピュアは、ようやくまともに思考ができる程度にまで回復していた。
「……なるほど」
シルピュアの話を聞き終えたウーロは、ひとつ大きく嘆息する。
「いちおう言っておきますが、ウーロ様。当面の危機回避に役立たない議論に、いま時間を費やすべきではありませんわ!」
「……わかりました。ありがとうございます」
ウーロが自分の正体を偽っていたことについて、今は追及しないという意味だ。
スフィラはウーロの嘘と欺瞞に気付いているし、当然ながらそれに対して怒りを抱いているはずだ。感情的に裏切りを咎められてもおかしくはない状況で、スフィラのこの冷静さはかなり助かる。素直に感謝してウーロは頭を下げた。
さて。
「……伸縮自在の十本の触手を持ち、闇魔法を操る古代生物。あらためて厄介な相手ですね」
「ですわね! 特に闇魔法は、魔族の頂点たる魔王の強さの大部分を占めると言われています。フルスペックであればあの
いっそ笑ってしまうほどの強敵ぶりだった。
ちなみに
「ん。ところでスフィラ王女、『フルスペックであれば』というのはどういう意味です?」
「……その話は今は置いておきましょう。それよりも、相手の持っている武器について整理しておくべきですわ!」
「え、ええ。わかりました。……まずはそう、倉庫で見せた魔法。
ウーロは受けた瞬間なかば気を失っていたのではっきり状況を把握できていないのだが、それが
「今もまだ、ウーロ様の魔力は枯渇しかかっているような状態なのですわよね?」
「そのようです」
「本当に厄介ですわ。つまりウーロ様が戦闘に復帰するためには、魔力の回復を待つ必要があるのですわね……」
「ああいえ、スフィラ王女。それはおそらく逆です」
言って、ウーロは首を横に振る。
「逆、と言いますと?」
「
「……。なるほど」
RPG的な表現をするならば、現在MPに対する割合吸収攻撃が毎ターン続く、といったところだろうか。
「魔力の喪失による苦痛は、魔力量に比例して大きくなる。
「シルピュアは普通に動けていたそうですが、それももともと彼女がほとんど魔力を持っていなかったからでしょうね」
「……ふむ。つまりウーロ様はこう言いたいのですわね。むしろ
「そういうことです」
仮に大量の魔力を持って
ゆえにこそ、自分の魔力が回復しきらないうちに戦闘に臨むべき。
たしかに、実に合理的な結論だった。
だが。
「……でもウーロ様。それはつまり、魔法がまともに使えない状態で
「ええ」
「それは……」
「わかっています。ただでさえ不利な戦いがより不利になる。正直、このまま挑んでも勝ち目はないでしょうね」
作戦会議で出たその結論は、状況が絶望的であることをより明確にするだけのものだった。
一瞬の沈黙。
その沈黙の間になにかを決めたらしく、スフィラはきっと唇を引き結んだ。
「……このまま挑んでも勝ち目はない。そうおっしゃいましたわね、ウーロ様」
「え? ええ。ああもちろん、諦める気はありませんよ。なにか策を考えて……」
「いえ。実はもう、見付けているのですわ」
「……見付けて、いる?」
「はい。
スフィラ・アクォークはにっこりと微笑み、
「その弱点というのは――」
まるで、足にバネでも付いているかのように。
ウーロは素早くスフィラに跳びかかり、その体を押し倒した。
「喋るな」
「っ!? ウー、むぐっ!?」
そのままウーロは右手で強引にスフィラの口を塞ぐ。
振りほどこうと必死でもがくスフィラだが、いくらウーロが満身創痍とはいえ腕力で敵うはずもない。
口を塞がれたままむりやり地面に押さえつけられたスフィラは、すぐに観念しておとなしくなった。ウーロは大きく息を吐く。
「……はぁ。いいですか? 口から手を放しますが、絶対に俺に有益なことは喋らないでください。喋ろうとしたと判断すれば、その時点で即座にあなたを殺します。あなたがしようとした有益な助言を聞く前にです」
「むぐ」
こくこくとスフィラがうなずいたのを見て、ウーロは口から手を放す。
ウーロにのしかかられたまま、スフィラは苦笑してみせた。
「もう。驚きましたわよ、ウーロ様」
「……驚いたのはこっちですよ。もっと自分の命を大事にしてください」
「もちろん、
スフィラ・アクォークは、決意に満ちた目で弱々しく笑う。
「
「だから、俺に教えようとしたんですか。アクォーク王家に伝わる蘇生術についての弱点を。……それを伝えれば、命を落とすにも関わらず」
『喋ると死ぬからですわ!』
『王族というやつは、これはこれでいろいろと制約があるのですわ!
蘇生の儀式について、スフィラはそう言っていた。
おそらくは国防のため、なんらかの魔法具によって儀式のことを話すと死ぬような制限がかけられているのだろうとウーロは推測する。
そして。その蘇生の儀式で蘇った対象になんらかの弱点があるとすれば。
その弱点を話すことは、当然スフィラの命が奪われる要件に該当するはずだ。国防のためというのならば、それこそが最も守らなくてはならない秘密なのだから。
「
「……スフィラ王女」
「そしてその狂信の結果、
スフィラ・アクォークは笑っていた。そうする義務があると信じていたから。
スフィラ・アクォークは泣いていた。そうする権利はないと思っているのに。
こぼれる涙以外は完璧な笑顔を保ちながら、スフィラは言葉を紡ぐ。
「誤解しないでくださいまし。ウーロ様を責めるつもりはないのですわ! 都合よく利用できそうなものが目の前に転がり込んできたら、いくらか嘘をついてでもそれを利用してやろうと思うのは当然。とても……とても人間的な行動ですわ!」
「…………」
「悪いのは
ふわりと微笑みを緩めて、
「
スフィラの紫の瞳は、もう渦を描いてなどいない。
いや、最初から瞳が渦など描くはずがないのだ。彼女の狂気を孕んだ言動がそう見せていたに過ぎない。
いま、ウーロのすぐ下にあるのは。
後悔と諦めにまみれた、ごく普通の、ただの人間の瞳だった。
「…………」
「ですからウーロ様。わかってくださいまし!
「……思い出したんですが」
スフィラの上にまたがったまま、ウーロはつぶやく。
「『あなたを信じたのが間違いだった』というセリフ、そういえば前世でも言われたことがありました」
「は……。ウーロ様?」
「もう二度と同じ過ちは繰り返すまいと、そう思っていたはずなんですけれどね」
「な、なんの話で……。ん? え、前世? ほ、あ、本当に何をおっしゃっていますの?」
「あとでちゃんと説明します。俺の種族のこと。俺がこの世界で生まれる前のこと。俺は本当はなにができるかということ。今度こそ、正直に」
スフィラは組み敷かれたまま、自分の右手にはめられた指輪にちらりと視線を投げる。
ウーロにその視線の意味はわからかない。ただ宣言する。
「スフィラ王女、あなたは絶対に死なせません。あとでたっぷり俺の言い訳を聞いてもらう必要があるんですから」
「…………! …………。いえウーロ様、それはとても興味深いお話ですが。ですが今は
「ああ、それについてですが。別にスフィラ王女に命懸けで情報をもらう必要なんてないんですよ」
「……え」
「もうすでに十分に情報はいただきましたからね。」
そう言って、ウーロはどこか神秘的な――いつも通りの微笑みを口の端に浮かべてみせた。
「俺が勝手に
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