天秤を壊せ

「……よし! だいぶ回復しましたわね!」

「ええ。まだ本調子とは言えませんが……。ショック状態からは立ち直ったと思います」


 枯渇ニュートラライズの範囲外に逃れて、およそ十分足らず。

 どこだかよくわからない倉庫の裏の空間で軽く状況を共有しながら体を休めたウーロとシルピュアは、ようやくまともに思考ができる程度にまで回復していた。


「……なるほど」


 シルピュアの話を聞き終えたウーロは、ひとつ大きく嘆息する。


「いちおう言っておきますが、ウーロ様。当面の危機回避に役立たない議論に、いま時間を費やすべきではありませんわ!」

「……わかりました。ありがとうございます」


 ウーロが自分の正体を偽っていたことについて、今は追及しないという意味だ。

 スフィラはウーロの嘘と欺瞞に気付いているし、当然ながらそれに対して怒りを抱いているはずだ。感情的に裏切りを咎められてもおかしくはない状況で、スフィラのこの冷静さはかなり助かる。素直に感謝してウーロは頭を下げた。


 さて。


「……伸縮自在の十本の触手を持ち、闇魔法を操る古代生物。あらためて厄介な相手ですね」

「ですわね! 特に闇魔法は、魔族の頂点たる魔王の強さの大部分を占めると言われています。フルスペックであればあの偽の支配者フェイク・ルーラーは、世界最強の存在と同格の力を持っていると想定されますわね!」


 いっそ笑ってしまうほどの強敵ぶりだった。

 ちなみに偽の支配者フェイク・ルーラーというのは、「呼び名が統一されていないと不便ですわ!」とのことでスフィラが発案した、今回蘇ったイカの呼称だ。


「ん。ところでスフィラ王女、『フルスペックであれば』というのはどういう意味です?」

「……その話は今は置いておきましょう。それよりも、相手の持っている武器について整理しておくべきですわ!」

「え、ええ。わかりました。……まずはそう、倉庫で見せた魔法。枯渇ニュートラライズでしたか」


 ウーロは受けた瞬間なかば気を失っていたのではっきり状況を把握できていないのだが、それが偽の支配者フェイク・ルーラーが最初に見せた闇魔法だ。

 枯渇ニュートラライズ。範囲内の生物から魔力を吸収する魔法。くわえて魔力の強制的な喪失による苦痛が厄介で、吸収される魔力量次第ではウーロのように一瞬で意識を刈り取られる寸前まで持って行かれてしまう。


「今もまだ、ウーロ様の魔力は枯渇しかかっているような状態なのですわよね?」

「そのようです」

「本当に厄介ですわ。つまりウーロ様が戦闘に復帰するためには、魔力の回復を待つ必要があるのですわね……」

「ああいえ、スフィラ王女。それはおそらく逆です」


 言って、ウーロは首を横に振る。


「逆、と言いますと?」

俺たちサンプルに起きたもろもろの反応を見るに、恐らくあの魔法は『現在の保有魔力の一定の割合を吸収し続ける』というものなんだと思います」

「……。なるほど」


 RPG的な表現をするならば、現在MPに対する割合吸収攻撃が毎ターン続く、といったところだろうか。


「魔力の喪失による苦痛は、魔力量に比例して大きくなる。枯渇ニュートラライズの適用除外を解除されたわたくしが苦痛を感じながらも気絶に至らなかったのは、例の儀式で魔力を大幅に消費していたからだったのですわね!」

「シルピュアは普通に動けていたそうですが、それももともと彼女がほとんど魔力を持っていなかったからでしょうね」

「……ふむ。つまりウーロ様はこう言いたいのですわね。むしろ偽の支配者フェイク・ルーラーと対峙するときには、魔力が減っている状態のほうが望ましいと!」

「そういうことです」


 仮に大量の魔力を持って偽の支配者フェイク・ルーラーと対峙したとする。そうするとその大量の魔力はごっそりと吸収されるばかりか、魔力の大量喪失による苦痛でまた気を失うことになりかねないのだ。


 ゆえにこそ、自分の魔力が回復しきらないうちに戦闘に臨むべき。

 たしかに、実に合理的な結論だった。


 だが。


「……でもウーロ様。それはつまり、魔法がまともに使えない状態で偽の支配者フェイク・ルーラーに挑むということになりますわね」

「ええ」

「それは……」

「わかっています。ただでさえ不利な戦いがより不利になる。正直、このまま挑んでも勝ち目はないでしょうね」


 作戦会議で出たその結論は、状況が絶望的であることをより明確にするだけのものだった。


 一瞬の沈黙。

 その沈黙の間になにかを決めたらしく、スフィラはきっと唇を引き結んだ。


「……このまま挑んでも勝ち目はない。そうおっしゃいましたわね、ウーロ様」

「え? ええ。ああもちろん、諦める気はありませんよ。なにか策を考えて……」

「いえ。実はもう、見付けているのですわ」

「……見付けて、いる?」

「はい。偽の支配者フェイク・ルーラーには、致命的な弱点があります」


 スフィラ・アクォークはにっこりと微笑み、


「その弱点というのは――」


 まるで、足にバネでも付いているかのように。

 ウーロは素早くスフィラに跳びかかり、その体を押し倒した。


「喋るな」

「っ!? ウー、むぐっ!?」


 そのままウーロは右手で強引にスフィラの口を塞ぐ。

 振りほどこうと必死でもがくスフィラだが、いくらウーロが満身創痍とはいえ腕力で敵うはずもない。

 口を塞がれたままむりやり地面に押さえつけられたスフィラは、すぐに観念しておとなしくなった。ウーロは大きく息を吐く。


「……はぁ。いいですか? 口から手を放しますが、絶対に俺に有益なことは喋らないでください。喋ろうとしたと判断すれば、その時点で即座にあなたを殺します。あなたがしようとした有益な助言を聞く前にです」

「むぐ」


 こくこくとスフィラがうなずいたのを見て、ウーロは口から手を放す。

 ウーロにのしかかられたまま、スフィラは苦笑してみせた。


「もう。驚きましたわよ、ウーロ様」

「……驚いたのはこっちですよ。もっと自分の命を大事にしてください」

「もちろん、わたくしわたくしの命をとても大事にしておりますわ! ……ですがウーロ様」


 スフィラ・アクォークは、決意に満ちた目で弱々しく笑う。


偽の支配者フェイク・ルーラーを、あの凶暴な害獣を王都に放ったのはこのわたくしなのですわ」

「だから、俺に教えようとしたんですか。アクォーク王家に伝わる蘇生術についての弱点を。……それを伝えれば、命を落とすにも関わらず」


『喋ると死ぬからですわ!』

『王族というやつは、これはこれでいろいろと制約があるのですわ! わたくしのような使い捨ての駒には特に!』


 蘇生の儀式について、スフィラはそう言っていた。


 おそらくは国防のため、なんらかの魔法具によって儀式のことを話すと死ぬような制限がかけられているのだろうとウーロは推測する。

 そして。その蘇生の儀式で蘇った対象になんらかの弱点があるとすれば。

 その弱点を話すことは、当然スフィラの命が奪われる要件に該当するはずだ。国防のためというのならば、それこそが最も守らなくてはならない秘密なのだから。


わたくしわたくしなりの理由があって、イカこそが真の支配者ルーラーであると本気で信じていました。……だけど今思い返すとわたくしがそう信じた理由には、わたくしの個人的な感情が多分に含まれていたのだと思います」

「……スフィラ王女」

「そしてその狂信の結果、わたくしは守るべき臣民の命を自らの手で危険に晒すことになりました。わたくしには、ええ。その責任を取る義務があるのですわ!」


 スフィラ・アクォークは笑っていた。そうする義務があると信じていたから。

 スフィラ・アクォークは泣いていた。そうする権利はないと思っているのに。


 こぼれる涙以外は完璧な笑顔を保ちながら、スフィラは言葉を紡ぐ。


「誤解しないでくださいまし。ウーロ様を責めるつもりはないのですわ! 都合よく利用できそうなものが目の前に転がり込んできたら、いくらか嘘をついてでもそれを利用してやろうと思うのは当然。とても……とても的な行動ですわ!」

「…………」

「悪いのはわたくしなのです。わたくしが……」


 ふわりと微笑みを緩めて、


わたくしがウーロ様を、信じたのが間違いだったのですわ」


 スフィラの紫の瞳は、もう渦を描いてなどいない。

 いや、最初から瞳が渦など描くはずがないのだ。彼女の狂気を孕んだ言動がそう見せていたに過ぎない。


 いま、ウーロのすぐ下にあるのは。

 後悔と諦めにまみれた、ごく普通の、ただの人間の瞳だった。


「…………」

「ですからウーロ様。わかってくださいまし! わたくしが命を犠牲にして現在の偽の支配者フェイク・ルーラーの弱点を伝え、ウーロ様と『絹雲』という王国の二大戦力がその弱点を突く。それが現時点で、最も多くの臣民を救える手なので――」

「……思い出したんですが」


 スフィラの上にまたがったまま、ウーロはつぶやく。


「『あなたを信じたのが間違いだった』というセリフ、そういえば前世でも言われたことがありました」

「は……。ウーロ様?」

「もう二度と同じ過ちは繰り返すまいと、そう思っていたはずなんですけれどね」

「な、なんの話で……。ん? え、前世? ほ、あ、本当に何をおっしゃっていますの?」

「あとでちゃんと説明します。俺の種族のこと。俺がこの世界で生まれる前のこと。俺は本当はなにができるかということ。今度こそ、正直に」


 スフィラは組み敷かれたまま、自分の右手にはめられた指輪にちらりと視線を投げる。

 ウーロにその視線の意味はわからかない。ただ宣言する。


「スフィラ王女、あなたは絶対に死なせません。あとでたっぷり俺の言い訳を聞いてもらう必要があるんですから」

「…………! …………。いえウーロ様、それはとても興味深いお話ですが。ですが今はわたくしの感情やウーロ様の過去は抜きにして、より多くの人命を救う選択をするべき場面であって……」

「ああ、それについてですが。別にスフィラ王女に命懸けで情報をもらう必要なんてないんですよ」

「……え」

「もうすでに十分に情報はいただきましたからね。」


 そう言って、ウーロはどこか神秘的な――いつも通りの微笑みを口の端に浮かべてみせた。


「俺が勝手に偽の支配者フェイク・ルーラーとやらの弱点に気付いてしまえば、別にスフィラ王女が死ぬ必要なんてないでしょう? たかが古代生物の弱点くらい、推論で導き出してみせますよ」

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