おやおやおや

「な……何も、何も見えねえ!」

「す、すごい! これが闇魔法……!」


(……うーむ)


 信徒たちからあがる驚きの声を、ウーロは水槽の中で聞いていた。


(なんとかうまくいったみたいだね。……いや、よくうまくいったな)


 言うまでもないことではあるが。

 さっきからスフィラと会話していたのは、他ならぬウーロである。


 『空話ウィンドスピーク』は風系統の上級魔法。空気を振動させ、任意の場所から自在に声を発生させることができる。

 ウーロがふだんイカの体でスフィラと会話できるのは、この魔法の効果によるものだ。


 そして。口蓋をふるわせて音を発する声と違って、空話ウィンドスピークによる声は声色を自在に操ることができる。

 ふだんのウーロと違う声色で『古代から蘇ったイカ』の役割を演じることなど造作もないのだ。


「これが視力を奪う魔法、暗転ブラックアウトですのね! 初めての体験ですわ……!」


 そして、『暗転ブラックアウト』。問答無用で対象の視力を奪う、闇系統の初級魔法。


 当然ながらウーロはそんな魔法を使えない。

 だからこれは暗転ブラックアウトではない。もっとごく初歩的なだ。


 第四倉庫における光源はふたつ。天井に取り付けられた光を放つ魔法具と、高所に取り付けられたいくつかの採光用の窓。

 ウーロはあらかじめ、この採光用の窓をすべて暗幕で覆っておいた。秘密の儀式を行う宗教組織が外部の目を気にするのは当然のことで、窓が塞がれていても誰も疑問には思わない。


 そしてウーロの呪文詠唱にあわせて、シルピュアが照明用の魔法具への魔力供給をオフにしたと。

 あまりにも単純な手ではある。だが光源の一切が断たれてしまえば、そこに広がるのは完全な闇。視界を奪われた状態と区別することはできない。


 『闇に目が慣れる』という表現があるが、これは目が光に対する感受性を上げ、暗闇にあるわずかな光を拾うことができるようになっているにすぎない。本当に完全な闇において、目が慣れて見えるようになるということはありえないのだ。


(……いやまあ、とはいえ。どんなところに光源が潜んでいるかわからない。わずかな光でも、目が闇に慣れてしまえば認識される。つまり今、俺がやるべきことは――)


『……ご満足いただけましたか? では、魔法を解除します』


 ウーロが宣言した瞬間、倉庫に光が戻った。

 シルピュアが魔法具への魔力供給を再開させたのだ。……信徒たちの目が闇に慣れる前に、倉庫に明かりを戻す。そうすればウーロのペテンは露見しようがない。


『いかがですか? これが闇系統の初級魔法、『暗転ブラックアウト』です』

「…………」

『……スフィラ王女?』

「あっ……! し、失礼いたしましたわ。貴重な体験をさせていただいてありがとうございます」

『この程度、造作もないことです』


 できるだけ神秘的に聞こえるよう、声のトーンを慎重に調整する。

 その甲斐あってか、信徒たちもウーロ演じる古代イカに感じ入っている様子だ。そこかしこから感嘆のつぶやきとため息が聞こえてくる。


 かなり不安のあるマジックショーだったのだが、どうやら今のところうまくいっているらしい。

 その確信に勇気づけられたウーロは、次の演目に進むことにした。


『さて、それでは。もうひとつくらい闇魔法をお見せしておきましょうか』

「ま……まあ! それはとても嬉しいですわ! 何をお見せくださるんですの!?」

『ええ。これからお見せするのは虚ろな影人形シャドウマリオネットという……』

「ちょっと待ちなさい」


 不意に。ウーロが震わせる空気の声を、女性の声が遮った。


 ウーロのいる一段底と二段底の間の空間からは、水槽の外の様子はほとんど確認できない。

 だが声の主が何者であるかはすぐにわかった。信徒たちのざわめきが教えてくれたからだ。


「お姉様……? イカがなさいましたの?」

「へ、ヘイティア様!? あの王女様の?」

「いったいなぜここに……」


 ヘイティア・アクォーク。アクォーク王国第三十四王女。

 ウーロとしてはそれ以上のことは知らない。なぜここにいるかもわからない。


 だが少なくとも、彼女の様子から察するに。


「みんな聞きなさい。こんな儀式、ぜーんぶ茶番よ。闇魔法を使うイカなんて存在しない」


 友好的な存在ではないようだ。


「お、お姉様……?」

『……わたしを疑うのですか? ヘイティア・アクォーク』

「疑うっていうかさぁ。常識的に考えてほしいのよ。イカが闇魔法使えるとか、世界を救う真の支配者ルーラーだとか、本気で信じてるわけ?」


(……あ~~~~)


『……実は。最近教団に、不穏分子が紛れ込んでいるのですわ』

わたくしの話はすべてデタラメで、王国イカ教会は大量の信徒を集めて利用するために作られたものだ……という話を、信徒たちに言いふらしている者がいるようなのです』


(つまりは、うん。この人だったわけだ。教団に紛れ込んでいる不穏分子っていうのは)


「い……いやしかし、ヘイティア王女。実際にイカはそこにいらっしゃいますし、闇魔法も実演していただいたわけですが……」

「そ、そうです。たしかに僕も半信半疑でしたが、今日ここでスフィラ王女は見事に証明してみせたわけで……」

「バカね、ほんと。こんなのただのトリックよ。そこのイカっぽいのはスフィラが見付けたそれっぽい新種の生物。喋ってるように見えるのは誰かの腹話術。さっきの闇魔法はただ倉庫の照明を消しただけでしょ」

「そ、そんな乱暴な……」


 幸いと言うべきかなんと言うべきか、信徒たちの多くはヘイティアの言葉を信じてはいないようだ。やはり実際に目の当たりにした本物のイカのインパクトは大きかったのだろう。


 だが厄介なことに、ヘイティアの発言は一部当たっている。


(そして、うん。この流れで次に彼女が言い出すのは、おそらく……)


「アタシのいってることが嘘だって言うなら、証明してみせなさいよ」

『証明、ですか。それを今からしようと……』

「違うわ。信者を騙すためにスフィラが用意したトリックなんか見せなくていい。アタシの指示するとおりに闇魔法とやらを使ってみなさいよ」


(……こうなるよなぁ)


 信徒たちはどうやら、まだヘイティアの言葉を信じてはいない。だがこのあとの展開によっては状況はいくらでもひっくり返るはずだ。


「そーねぇ。……あ、そうだ。さっきの暗転ブラックアウトとかいうやつ、あたしたち全員じゃなくて半分だけに使ってみなさいよ」

『…………』


 絶妙に嫌なところを突いてきた。


(……『魔力が尽きた』。無理か、さっき虚ろな影人形シャドウマリオネットを使ってみせる流れだったもんな。『強力な魔法なので細かい制御はできない』とか? ……うん、だいぶ苦しいけどこれでゴリ押すしかないかな。幸いこの王女様はそんなに頭が回るタイプでもなさそうだし、議論の流れを誘導すればなんとか……)


「あの」


 高速で回るウーロの思考を、また女性の声が遮る。

 その声は、ウーロもよく知っているものだ。


わたくしのほうからもお願いしますわ。イカさん、ヘイティア姉様の言うとおりにしてくれませんか?」


 スフィラ・アクォーク。


『……驚きました。わたしを蘇生させたあなた自身が、わたしの力を疑うというのですか?』

「い、いえ! その、そういうわけではないのですが! しかし先ほど使っていただいた魔法、実はすこしだけ違和感があったのですわ……」

『違和感……ですか』

「魔法が解除された瞬間、わずかに眩しさを感じたのです。この倉庫の光量で眩しさを感じるのは、直前まで桿体細胞の感度が高まっていた……すなわち暗順応が行われていたということの証明。これはその。『視力を奪われていた』直後の状態というより、ヘイティア姉様の言うように『ただ暗いところにいた』直後の状態に思えるのですわ!」


(…………。これは、本格的にマズいなぁ)


 論客として、スフィラはヘイティアと比較にならないほどの難敵だ。適当な言い逃れで誤魔化すのには限界があるだろう。


「もちろんそういうものだと言われればイカなる反論もできないのですが、それでも気になるのですわ! ぜひわたくしからもお願いします!」

「ふん。どういう風の吹き回しかは知らないけど、スフィラもこう言ってるわ。さっさと言うとおりにしなさいよ」

『……暗転ブラックアウトは強力な魔法で、細かい制御はできないのです。特定の誰かを選んで使うということはできません』

「では! 扉を開け放し、外からの光を取り入れられるようにして暗転ブラックアウトを使ってもらいましょう! その状態でも暗転ブラックアウトが使えれば闇魔法の存在証明になりますわ!」

『……それは……』


 ヘイティア・アクォークにはウーロを追い詰める知性がないが、流れを中断させても疑惑を追及する動機がある。

 スフィラ・アクォークには積極的に闇魔法を疑う動機がないが、正しくウーロの逃げ道を潰すだけの頭脳がある。


 ウーロの作り上げた『古代から蘇った神秘的なイカ』という虚像は、予期せぬ姉妹の連携によって今まさに崩れ去ろうとしていた。


「ほらご覧なさい! 何もできない! やっぱり闇魔法なんて嘘っぱちなのよ!」

『…………』

「……おい。なんだこれ、どうなってるんだ」

「あのイカが偽物だったってのか? でもスフィラ王女が嘘ついてるようには思えないんだが」

「いや、でもそのスフィラ王女が疑ってるんだろ?」

「なんでだよ。スフィラ王女があのイカを蘇生させたんだろ?」

「もうどうなってんだよ。わけわかんねえ……」


 信徒たちの間にも動揺が広がっている。その動揺が疑惑に変わるまで、もうほとんど時間はかからないだろう。


「……イカさん? もしかして、本当に……」

「アタシは最初から思ってたわ。イカが真の支配者ルーラーだのなんだの、本当にくだらないってね!!」

「ヘイティア姉様。でも、それは……!」

「イカなんて結局、古代に滅びた雑魚生物じゃない。水槽を見なさいよ! あんなうねうねした気色悪い生き物が、闇魔法を操る最強の生物ですって!? バカバカしい!」

『…………』

「そんなに強いなら、今目の前にいるアタシを殺してみなさいよ! ほら! できないんでしょ! こんなのただうねうねしてるだけの下等生物でぐぼあっ!!」


 …………。


(ぐぼあっ?)


 完全な静寂が、第四倉庫を支配していた。

 ヘイティア王女の謎の声を最後に、先程までのざわめきは一瞬で消え失せている。


(……。なにがあったんだ?)


 水槽の一段底の下に潜んでいるウーロには、倉庫の様子はまったく見えていない。


(……。仕方ないな。ちょっとだけ……)


 ウーロはふわりと浮上し、一段底の下から頭を出した。

 あまり明るくない倉庫の中なら、信徒たちからもあまりはっきりとは視認されないだろう。そんな計算があっての行動だったわけだが……


 結局のところ、そんな心配は無用だった。

 この場の誰も、水槽など見てはいなかったのだから。


(……………………。えっ)

「あ……がっ」


 驚愕に目を見開くスフィラの隣。

 おそらくヘイティア・アクォークであろう黒髪の女性。


 その、胸を。

 一本の触手が貫いていた。


【おや……おやおや。おやおやおや】


 ウーロの脳内に声が響く。

 それは人間が使う言語の体をなしていなかったが、なぜだか意味は理解できた。


【拍手のひとつもなしとは、ずいぶんと興の乗らない反応じゃあないか? 使えぬ影武者の代わりに、この俺が直々に人の子のわがままを叶えてやったというのに】


 がぼり、と。ヘイティアの口から血があふれた。


 彼女の胸を貫く触手は、水槽から伸びている。


「あ……あな、たは。だれですか?」

【くは……。誰ですかとは異なことを言うじゃないか】


 その触手は、水槽の中のイカから伸びている。

 闇魔法も使えずろくな知能もない。そのはずだった、イカの体から。


【俺は貴様が呼び出したもの。古代から蘇りし、貴様らがイカと呼ぶ種族だとも】

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