イビリチュア・ガストクラーケ

「ちなみに、ひとつ聞いておきたいのですが」

「ん?」


 時間は戻って、王都都市警備隊の備品倉庫。

 儀式当日の流れを簡単に打ち合わせたあと。立ち去ろうとしたウーロを呼び止めて、シルピュアは尋ねた。


「可能性は否定できない、というのが結論でしたが。実際のところどのくらいあると思ってます? その、スフィラ王女がウーロさんを裏切っている可能性は」

「……そうだなあ。理屈で考えれば、うん。可能性はかなり高いと言えるね。そもそも闇魔法なんて使えない俺が真の支配者ルーラーにふさわしいとか、あの王女様がやたら断言する理由が謎なんだ。本物のイカを呼び出す触媒にする予定で適当なことを言ってる、ってほうがしっくり来る」

「ふむ」


 ウーロの答えに、シルピュアは首をひねる。


「理屈で考えれば、と言いましたね」

「言った」

「理屈で考えなければどうなんです?」

「……んんん~」


 うなり声と嘆きの中間のような声を出して、ウーロは首を横に振った。


「正直、スフィラ王女が裏切るとは思えない自分もいるね。短い付き合いだけど、彼女の言葉はどうしても嘘に見えなかった」

「……なるほど。その印象はわからなくもないですね。ただ、ウーロさん」

「わかってる。人は外から見えるもの以上にいろいろ抱えてるものだ。それに、俺の人を見る目は壊滅的だしね」

「ああ、たしかに。よくわたしのことを世界一賢いとか世界一かわいいとか言ってますもんね」

「いや、それは間違いなく事実なんだけれども」


 断固たるウーロの主張を無視して、シルピュアは続ける。


「とりあえず、わかりました。確定できない以上、どちらのパターンにも対応できるようにしておくべきですね」

「……そうだね」

「? どうしたんです? さっきまで以上に浮かない顔ですが」

「いや、うん。……スフィラ王女には悪いんだけどね。正直なところ――」


 シルピュアは首を少しかしげて言葉の続きを待つ。

 ウーロは申し訳なさそうに言い淀みながら、


「――むしろ裏切ってた場合より、裏切ってなかった場合のほうが厄介な展開になると思うんだ」


 そう言った。





「ご覧ください。真の支配者ルーラーたる古代種、イカの復活ですわ!」


 スフィラの宣言を、ウーロは水槽の床の下で聞いていた。


 倉庫の壇上に置かれた水槽は二段底で、正面にいる信徒たちには一段目の底しか見えないようになっていた。

 ウーロはその一段目の底と二段目の底の間で、イカの姿を取った状態でずっと待機していたのだ。


(……魔力はすべて化石に注がれ、儀式は完了した。今のところ、うん。俺は死んでいないね。スフィラ王女は結局、裏切ってなかったわけだ)


 儀式の終盤から化石は強い光を放っていて、ウーロはその強烈な不快感に耐えなくてはならなかった。イカの体はどうやら強い光が苦手らしい。

 その光が徐々に薄くなっていく。おぼろげながら水槽の中にある何かが、一段底の下から様子をうかがうウーロの視界にも入ってきた。


(スフィラ王女が裏切ってなかったのは、喜ばしいことだ。俺としても彼女を殺したくはなかった。だけど――)


 そして光が消え、水槽の中にあるものがはっきりと見えるようになった。


 黒い目、白銀の体、十本の触手。

 それは紛れもなく、イカだった。


 すでにこの世界に存在しないはずの白く透き通った古代生物が、王都の片隅の古びた倉庫で浮かんでいた。


(――やっぱり、うん。このパターンの対処が一番難しいね。どうすりゃいいんだこれ……)


 『スフィラ王女は裏切っていないが、儀式は失敗する』。ウーロの想定する最良のパターンはこれだった。


 スフィラ王女はウェザリウム王女に容姿を寄せている。それはつまり、『ともに人間という同じ種族である』というだけだと儀式の条件を満たさないと言うことを指していた。

 ならばウーロと化石のイカについても、『ともにイカという同じ種族である』というだけだと足りず、イカの中でも外見が似ている必要があるはずだ。

 だから可能性はあるはず、とウーロは推測していた。スフィラ王女が裏切っていなくとも儀式が失敗する可能性は。


 だが実際には儀式は成功し、古代のイカは水槽に蘇っている。


(そう、蘇ってしまっている)


 倉庫には興奮したざわめきが広がっていた。

 それはそうだろう。信仰の対象としていた真の支配者ルーラーが、ついに今目の前にいるのだ。


 スフィラ王女も含めて、今この会場にいる信徒たちは信じ切っているはずだ。

 このイカが闇魔法を使いこなす、世界の支配者であると。


(でも実際には、当然イカは闇魔法なんて使えない。それどころか言葉も通じない。まともな知能も持っちゃいない)


 さて、どう誤魔化そうか。

 用意してきた対処法のパターンをいくつか思い浮かべながら、ウーロは思考を巡らせる。





 白く輝く古代生物、イカの復活。

 それに対して最も強く感動していたのは、他ならぬ復活の儀式の主導者……スフィラ・アクォークだった。


 『偽骸蘇生フレイジオ』は、アクォーク王家の血統に連なるものだけが使用できる特殊な固有魔法。死者の体の一部とその死者に容姿が酷似した者を揃えることで、一時的にその死者を現代に蘇らせることができる。


 この魔法によって消費されるものは基本的に二者からの択一。『死者に容姿が酷似した者の命』、もしくは『きわめて膨大な魔力』のどちらかだ。

 ウーロの命を代償にイカを蘇生させるというのは、スフィラとしては絶対にありえない選択肢だった。ゆえに彼女が選んだのはもう片方の道。

 こうして大量の信徒を一度に集め、千人分の魔力を化石に注ぎ込ませるという方法だったわけだ。


「……じ、人類を代表してご挨拶申し上げますわ。わたくしはアクォーク王国第三十五王女、スフィラ・アクォークと申します」


 何を言うべきかは繰り返しシミュレーションしたはずなのに、それでもスフィラの声は震えていた。


 水槽の中をゆらゆらと揺れるイカは、何も答えようとはしない。

 おそらく共通語がわからないのでしょう、とスフィラは推測する。ウーロ様が共通語を使えたのは、アンバーグリス家に拾われてから人間として過ごした期間によるもののはずですもの。古代から蘇生したばかりのイカには、自分が死んだあとに生まれた言語のことなど通じないのが普通ですわ。


 もちろんスフィラはこの場合の対応も用意していた。ウーロに登場してもらい、イカ語と共通語の通訳をお願いすればいいのだ。


 そんなわけで。スフィラはウーロの登場を促すために口を開き――


『……ご機嫌麗しゅう、人間の王女よ』


 スフィラが言葉を発する前に、水槽からの返答が帰ってきた。


『尽きたはずのこの命。あなた方が常世に蘇らせたのですね』

「あ……っ、そ! そうなのですわ! わたくしの王国に伝わる、と、あ、方法は言えないのですが! 私ども全員の力によって、あなたに会うことができたのです!」

「す……すごい。本物のイカが王女様と喋ってるぞ」

「やっぱり教会の教えは本当だったんだ……!」


 緊張でかすれそうになる声を必死に振り絞ってスフィラは話す。

 信徒たちの間にもざわめきが広がっていた。


『それで。あなたたちはなぜ、わたしを蘇らせたのですか?』

「は……はい。実はわたくしたちは、あなたの種族……イカこそが、世界を統べるにふさわしいと考えておりまして……」


 あらかじめ用意してきた文言をスフィラは述べる。

 自分たちの世界が置かれている状況。人間が支配者として君臨している現状への違和感。王国イカ教会の目的。


 それらスフィラの話を聞き終えて、水槽の中のイカは思慮深げに答える、


『なるほど。あなたの話はよくわかりました。……それで?』

「え……」

『察するに、わたしのこの体はかりそめのもの。あなたがわたしを蘇らせた方法には、時間制限があるのでしょう?』

「え……ええ、イカにもその通りです! 実にご慧眼ですわ!」

『ではなぜ、いまわたしを蘇らせたのです。そこに何か理由があるのでしょう?』


 おそるべき察しの良さに驚きながらも、スフィラは肯定の返事を返す。


「え、ええ! イカにもその通りですわ。実はその、わたくしたちに闇魔法を見せていただきたいのです!」

『……あなた方の中には、疑っている者がいるのですね。我々イカが持つ力について』

「も、もちろんわたくしは心から信じておりますが! しかし確かに、信仰心が揺らいでいる信徒たちがいることは事実ですわ……」

『ふむ……』


 水槽の中にいるイカが自分たちを見回したように感じられたらしく、信徒たちの何人かは怯えたように首をすくめた。

 だが結局水槽からの声が彼らを責めることはなく、ただ一言


『いいでしょう』


 と、そう答えた。


「い、いいでしょう。いいでしょうとは、つまり――」

『最も強力な魔法系統である闇魔法。その神秘の一端を、あなた方にお目に掛けましょう』

「――――!」


 水槽の中にイカが現われたとき以上のどよめきが、信徒たちの間に広がった。


 闇魔法。

 現代においては、魔族たちの統率者である『魔王』のみが唯一使用できると言われている魔法系統。


 その威力は絶大で、使用者は時空間すらも思いのままにねじ曲げる。

 他の魔法系統とは一線を画す性能を誇り、使えること自体が最強の証明とも言える魔法。それが闇魔法なのだ。


「おいおい……。本当なのか? 本当にこんなことがあっていいのか?」

「し、信じられない。まさか闇魔法をこの目で見られるなんて……」

『ふむ。……この目で見られる、という要望には応えられるかわかりませんが』


 水槽からの声はわずかに愉快そうな気色をにじませ、


暗転ブラックアウト


 そう唱えた、瞬間。

 スフィラの視界が、真っ暗に染まった。

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