裏切りの時間

 ――そして時は流れ。

 『儀式』の日がやってきた。


(……ふむ。これはまた、想像以上の人の数ですね)


 イカをモチーフにしているらしい独特な形の仮面の奥で、シルピュアはその黒い瞳をきょろきょろと動かしる。

 ウーゼル通り第四倉庫の中は、シルピュアと同じイカの仮面を付けた人で埋め尽くされていた。


(ざっと見積もって千人ほどでしょうか。『イカが世界を救う』なんてわけのわからない教えをこれだけの人が信じているというのもすごい話ですが)


 それだけ人々の心が乱れているということだろうな、とシルピュアは内心でため息をつく。王都都市警備隊隊長を拝命している身として忸怩たる思いがあった。


「――皆さま」


 透き通るような声が聞こえて、シルピュアははっとして前方に視線を向ける。


 第四倉庫の一角は少し高くなっており、壇上には巨大な水槽が置かれている。

 そしてその壇のうしろにある暗幕をくぐるようにして、スフィラは現われた。


「おおっ! スフィラ王女!」

「噂は本当だったんだ。王国イカ教会を指導しているのがスフィラ様だという……」

「なんとお美しい。あの涼やかな水色の髪! かのヴェザリウム王女と瓜二つだ!」


 スフィラは仮面を付けず、素顔を晒している。

 彼女の登場に信徒たちにざわめきが広がっていた。教団の設立者がスフィラだということはほとんどの信徒が知らなかったらしい。


(おおむねすべての声がスフィラ王女に対して好意的。暗躍している不穏分子がいるという話でしたが、この場で表立って声を上げるほどの勢力を築いているわけではないようですね)


「――皆さま。本日お集まりいただいたことに、心から感謝いたしますわ。わたくしはアクォーク王国第三十五王女、スフィラ・アクォークです」


 スフィラの演説が始まる。


(……さて。スフィラ王女の立ち位置は悪くないですね)

「そしてもうひとつ、皆さまのこれまでの信仰に感謝します。実際のイカを見たことがない、イカが闇魔法を使うという明確めイカくな根拠もない。そんな状況でイカこそが真の支配者ルーラーであると信じるのは、時に困難なことだったと思いますわ」

(前方のあの背の高い男が邪魔ですが、角度を付ければ大丈夫でしょう)


 教団の信徒たちは体をすっぽり覆うフードに身を包んでいる。

 これが幸いだった。ゆったりしたフードの中には、物を隠し持つだけのスペースが十分にあったから。


 意識を集中すれば、背中に装着した刀の感触が感じられる。

 問題ない。必要があれば刹那の間に抜刀できる。そう確認して、シルピュアは前方から聞こえる音に耳を澄ます。


「ですがそれも今日までです。今この場で、皆さまにお見せいたしますわ。闇魔法を操る古代の支配者、イカの姿を!」


 聞こえない。シルピュアが待っている音は、今のところ聞こえない。

 おそらく水槽の中に潜んでいるであろう、ウーロからの合図は。


「さあ、儀式を始めましょう。信徒の皆さま。この水槽に、魔力を集中させてください!」


 それでもシルピュアは、一分の隙もなくその剣気を研ぎ澄ます。


 ウーロからの合図があったその瞬間。

 





「……スフィラ王女が、ウーロさんを裏切ろうとしている?」

「可能性の話だよ、あくまでも」


 目を見開いたシルピュアをなだめるように、ウーロは軽く手を横に振った。

 

 儀式の数日前。シルピュアとウーロはふたり、都市警備隊の備品倉庫にいた。

 ウーロから「誰にも聞かれないよう二人で話したい」という要望を受けてシルピュアが案内したのがこの場所だった。使い道のない備品が雑多に詰め込まれたこの倉庫に人が来るのは、隊服洗浄用の洗剤が切れたときくらいだ。そして先ほど確認したところ、洗剤はまだ十分に残っていた。


「可能性の話、にしてもずいぶん剣呑な話ですが。でもウーロさんがそう言うからには、なにか根拠があるんですよね?」

「根拠というには薄弱に過ぎるけどね。ただの推論だ」


 まず前提として、とウーロはひとつ指を立てる。


「さっき話したとおり、儀式の日にスフィラ王女は『闇魔法を使うイカ』を信徒たちに見せると言っていた。この『闇魔法を使うイカ』というのは誰のことかな」

「ウーロさん……は、闇魔法を使えないんでしたね」

「そうだね。その後の会話の流れからして、俺が闇魔法を使えるようになる儀式って感じでもなさそうだった」

「つまり。スフィラ王女には、ウーロさん以外に『闇魔法を使うイカ』を調達できる公算がある?」

「うん。俺もそう思う」


 黒い瞳を思慮深げに細めてウーロがうなずく。


 シルピュアの目から見ても、ここまでの推論はそれなりに妥当だ。だがすると、次の疑問に突き当たる。

 すなわち――どうやって?


「……スフィラ王女はどうやって、現代には存在しないはずのイカを呼び出そうとしているんでしょうか?」

「『王国軍の9割ほどが無能なクズであることは事実です。いざとなれば過去の王族の英雄が一斉に蘇って敵を追い払ってくれる、なんて与太話を信じている連中も多いですし』」

「? わたしが博物館で言ったことですか。よく一字一句間違えずに覚えてますね」

「王国が危機に瀕したとき、過去の王族の英雄が一斉に蘇り、敵を討ち滅ぼす。その言い伝え自体はまあ、わりとポピュラーだよね」

「ええまあ。与太話のわりには広く信じられている話です」

「これが与太話じゃなくて、事実だったとしたらどうだろうね」


 シルピュアは思わず言葉を詰まらせる。

使。これが、うん。俺の推論だよ」

「……本気で言ってます? なにか根拠はあるんですか?」

「『目は紫色、髪は金色ですわ。本当は黒髪なのですが、お父様に無理やり染められたのです! ひどいと思いませんか?』」

「どうしたんですか、急に」


 突然謎の言葉を発し始めたどう見ても銀髪のウーロに、シルピュアは眉をひそめる。

 だが対峙するウーロの表情は至って真剣だ。


「これが根拠だよ。九年前、浴槽でスフィラ王女が言っていたことだ」

「九年前。まさかそれも一言一句間違えずに覚えてたりしませんよね? ……それはともかく、髪の色ですか。ちょっと異様ですね、それは。なんのために子供の髪の色なんて染めたがるんでしょう」

「今もまた、スフィラ王女は髪を水色に染めている。昨日ちょっと本屋で調べてみたんだけどね。……ほら」


 『アクォーク王国史』と書かれた分厚い本の一ページをウーロは示す。

 そこにあったのは、『建国の英雄 凍姫とうきヴァザリウム』と注釈の付いた挿絵。その挿絵の人物は、


「……そっくりですね。今のスフィラ王女と」

「血のつながりもあるだろうけど、それだけじゃない。髪や眉の色や形、それに体型も。意図的に寄せてるんだ」

「……。死者に似た容姿の人物が、対象を蘇らせるために必要ということですか?」

「うん、さすが世界一飲み込みが早い俺の妹だね。正確には、それが必要なもののうちのひとつなんだと思う」


 いつもの妄言はともかく。そのあとウーロが続けて述べた予想は、シルピュアにとってもかなり胸糞の悪いものだった。


 いわく。

「スフィラ・アクォークは第三十五王女だ。ティオヤ国王はずいぶん多く子供を作っている。それはもしかしたら。子供たちが『弾』だからじゃないかな」

「血のつながりがある以上、生まれる子供の容姿は過去に死んだ王族の英雄たちと似たものになる可能性が高い。たとえば髪を染めさせるようなちょっとした工夫で、意図的に容姿を似せさせることもできるはず」

「子供たちの容姿を英雄たちに寄せておけば。子供一人につき英雄を一人、有事の際に蘇らせることができるってことだ」

使


「……聞いているだけで吐き気がするような推論ですね」

「うん、だけど……」

「蓋然性の高い仮説です。それは、ええ。認めましょう」


 シルピュアがうなずいて、それで前提条件は二人の間で共通のものとなった。


 さて。


「本題はここからだ」

「スフィラ王女がどうやって闇魔法が使えるイカを呼び出そうとしているか、でしたね」

「うん。今ならたぶん、俺の言いたいことがわかるんじゃないかな」

「…………。つまり、凍姫ウェザリウムに対するスフィラ王女と同じ役割が、『闇魔法が使えるイカ』に対するウーロ様に割り当てられようとしている。そういうことですか?」

「さすがは世界一頭のいい俺の妹だ」


 ウーロを触媒として古代のイカを蘇生させる。それがスフィラ王女の目的だと、ウーロは言っているのだ。


「博物館に侵入して手に入れたイカの化石も、おそらく儀式のために必要なものなんだろうね」

「……蘇生の儀式には、蘇らせる対象の体の一部が必要と。たしかになんとなくありそうな話ですが」

「そして一番大事な問題は。、というところだろうね」

「……なるほど。」


 どうやらシルピュアにも、ウーロの危惧がようやく理解できた。


 儀式にはなんらかの対価が必要なはずだ。

 なんの代償もなしに死者を蘇らせるなら、儀式を最終兵器にする必要はない。もっと気軽に、国防のために使い潰していいだろう。


 ではいったい、儀式で消費されるものはなんだろうか。


「死者の体の一部、つまりイカの口の化石? その可能性も、うん。確かにある」

「専用の魔法具があるのかもしれませんね。その魔法具は数に限りがあって、儀式のたびに消費されるのかも」

「その可能性もある。……うん、だけど。他にもうひとつ可能性があるね」


 


 スフィラ王女はウーロを犠牲にして、古代のイカを蘇らせようとしている。

 闇魔法も使えないウーロテウティス・アンバーグリスではなく、真の支配者ルーラーたる資格を持った古のイカを呼び出そうとしている。


 可能性は、たしかに――


「――否定、できませんね」

「そう。否定できないんだ」





 可能性は否定できない。

 だからシルピュアは教団員に扮して儀式に潜入し、いつでもスフィラの首を飛ばせるよう待機していた。


 スフィラの裏切りを確信した瞬間、ウーロが『空話ウィンドスピーク』の魔法でシルピュアに合図を送る。

 それを確認したシルピュアはスフィラを殺害し、儀式を止める。

 おそらく儀式中はイカ形態になっているウーロだけだと、スフィラへの抵抗が間に合わない可能性がある。だからこそ保険としてシルピュアがこの場に必要だったのだ。


「……ありがとうございます。素晴らしい魔力ですわ。皆さまひとりひとりの力が、イカが姿を現わすための力になりますのよ……!」


 倉庫に集った信徒たちは、自分の中にある魔力を壇上の水槽に注ぎ込んでいる。

 魔法を使うことまではできなくとも、自分の魔力を移動させることくらいは誰にでもできるのだ。


(ひとりひとりではそれほどでなくとも、千人分の魔力ともなればとてつもなく強力な魔法を発動させうる。)

「もうすぐ、もうすぐですわ。もうすぐ儀式が完成するのですわ……!」

(ウーロさん。魔法については浅学なわたしですが、そんなわたしにすら理解できます。圧倒的に強力な魔法が起動しようとしている。……スフィラ王女が裏切っているなら、いま合図しないと間に合いませんよ)


 だが、ウーロからの合図はない。


 水槽の中に浮かんでいた小さな何かが、強烈な光を放ち始める。


「さあ――」

(ウーロさん……!)

「ご覧ください。真の支配者ルーラーたる古代種、イカの復活ですわ!」

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