人類最強の正体

「……不思議ですね。わたしとしては、魔候に襲われている一般人を救出したつもりだったのですが」


 白銀の髪を撫でながら、『絹雲』は眉をひそめてみせる。


「実際に襲われていたのは全裸のウーロさんでした。たしかダイロング化石博物館は、夜間の一般人立ち入りを禁止していたはずですが」

「……博物館が魔候たちに襲われていることに気付いたんだよ。微力ながら助太刀しようとしたんだけど、返り討ちに遭っちゃってね」

「そうですか。わたしは豚の頭をした魔候を見た警備兵の通報を聞いて駆けつけたのですが、ここに来るまでに何人も気絶した警備兵を見ました。命は奪わないよう丁寧に眠らされていましたよ。魔候がそんなに親切なことをするでしょうか?」

「するかもしれない」

「ええ、するかもしれない。だけど、もっと蓋然性の高い仮説があります」


 『絹雲』は、そのほっそりと長い指をひとつ立ててみせた。


「あなたが警備兵を気絶させたんですよ、ウーロさん」

「ひどい濡れ衣だね」

「何があったか話してください」

「別に何もないよ。全部そっちの勘違いで――」

「話してくださいと言っているんです」


 『絹雲』は黒い瞳を鋭く細め、ウーロをにらみ付ける。

 だがその瞳はどこか悲しげにも見えた。


「……あなたの力になりたいんです、ウーロさん。少しくらい恩返しをさせてくれたっていいでしょう」

「お前を巻き込みたくないんだよ」

「巻き込むとか巻き込まないとか、そういう話ではありません。家族が助け合うのは当たり前のことです」


 『絹雲』はまっすぐにウーロを見つめたまま、断固として譲らない。

 ウーロはため息をついて、


「わかったよ、全部話す。でもとりあえず、その前に」

「その前に?」

「服だけ着させてもらえるかな、シルピュア。いくらとはいえ、世界一美人な淑女に裸を晒し続けるのはさすがに気が引ける」

「……妄言は置いておいて、着替えはご自由にどうぞ。わたしとしても、この年になって兄の裸なんて見たくはありませんから」


 シルピュア・アンバーグリスは、呆れたようにそう答えた。





 『絹雲』シルピュアは、ウーロの妹だ。


 幼いころからウーロにべったりだった彼女は、ウーロに付いた家庭教師たちの授業もずっと間近で聞いてきた。

 魔術の授業はシルピュアにとって退屈きわまりなかった。興味も沸かなかったし、そもそもシルピュアは魔力をほとんど持たない体質で適性がまったくなかった。

 だが剣術の授業はそうでもなかった。魔力を使わず、一本の棒だけで相手を圧倒する。その魔性の魅力に魅せられた彼女は、いつしかウーロの隣で模造剣を振るようになった。


 そもそも、アンバーグリス家は剣の家系である。

 『剣狼』の異名を持つ伝説の剣豪を先祖に持つ歴史ある家名。歴代の当主の多くが恵まれた剣才を持ち、王国軍の要職に身を置いていた。ウーロの父親であるアーキトゥチス・アンバーグリスもそのひとりだ。

 そしてシルピュアは、その『剣狼』の血を歴代で最も強く受け継いでいた。


 妹を溺愛するウーロの熱心な指導もあって、シルピュアはその才能を完全に開花させる。

 十三の頃には、大人の男でも彼女に勝てる者はほとんどいなくなっていた。

 十五歳で兄と母の反対を押し切って王国軍に入隊し、すぐさまはじめての魔候撃破を成し遂げる。そこからわずか三年間でさらに五体の魔候を撃破。

 そして十八歳現在では、王都都市警備隊隊長という出世コースど真ん中の要職に異例の若さで就任している。


 アンバーグリス家の出世頭であり、エリート中のエリート。

 それがウーロの妹、シルピュア・アンバーグリスなのだ。





「……なるほど。理解しました」


 手早く衣服を身に付けながら語られたウーロの話を聞いて、シルピュアは自分の髪を撫でた。


「スフィラ王女の奇人っぷりはわたしも耳にしたことがありますが、噂以上ですね。まさか独自にそんな規模の宗教団体を作り上げていたとは」

「へえ。そんな有名人だったんだ」

「一般的な知名度はさほどでもないですが、王室関係者と生物学者の間ではかなり有名ですよ。前者には悪い意味で、後者には良い意味でですが」


 九年前の浴場で、授業をサボってきたと言っていたのをウーロは思い出した。なるほど、悪い意味で有名な理由はなんとなく想像が付く。


「生物学者の間で有名、っていうのは?」

「水棲生物研究の第一人者なんですよ。これまで海でしか生きられなかった生物を人工的な環境で飼育することに成功した初めての人です。最近王都の高級料理店で海産物を出すところが増えてますが、これはすべて彼女の功績ですよ」

「……それはすごいね」

「ウーロさんの話を聞く限り、そのあたりはすべてイカが生存できる環境を整える研究の副産物だったんでしょうね。ちなみに彼女、この研究に絡む利権のやり取りで相当な私財を蓄えてるはずですよ」


 ウーロは倉庫の地下にあった水槽のある部屋を思い出す。

 たしかに、あの部屋を作るだけでも相当な金が必要だったはずだ。

 いくら王族とはいえ、それだけの財産を自由に動かせるはずもない。おそらくあれはスフィラ自身の金で作らせたものだったのだろう。


「ウーロさんもずいぶんと貢がせたものですね。きちんと王女様の期待にこたえてあげないと、バチが当たりますよ」

「わかってる。……あとね、シルピュア」

「なんですか?」

「その『ウーロさん』って呼び方、いい加減やめてくれないかな。あまり兄妹らしい呼び方だとは言えないと思うんだけど」


 ウーロの言葉に、シルピュアは首を横に振った。


「嫌ですね。というか今関係ないでしょう、その話」

「昔はことあるごとにお兄お兄って……」

「何年前の話ですか、それ。……あのですね。昔のわたしはうまく整理できていませんでしたが、ウーロさん。あなたはわたしより二十年以上も前に、わたしとは違うご家庭で生まれたんですよね?」

「……まあ、うん。そうだね」

「そのときにはわたしとは違う妹がいて、母さんとは違う母親と父さんとは違う父親もいたんですよね?」

「いやまあ、うん。そうです」

「そんな人を自分の兄だと認識するのは、わたしにはちょっと難しいですね。もちろんずっと面倒を見てくれていたことやわたしに剣を教えてくれたことへの感謝はあります。ただそうですね、ウーロさんはわたしにとって兄というより……」

「兄というより」

「親戚の優しいおじさんという感じですね」


 この日戦ったどの魔候の攻撃よりも強烈なダメージを受けて、ウーロはその場に座り込みそうになる。

 ウーロテウティス・アンバーグリスは、だいぶ強めに妹を溺愛していた。


 ショックを受ける兄(もしくは親戚のおじさん)をよそに、シルピュアは淡々と話を進めていく。


「というか、こんな何度もした話を今さら繰り返している場合じゃありませんよ。ウーロさんにはやるべきことがあるでしょう」

「……ああ、うん。まあそうだね。スフィラ王女に報いるためにも、イカの口の化石を取ってこないと」

「でしたらさっさとしてください。……ああちなみに、この化石博物館はいま都市警備隊の隊員たちが取り囲んでいます。出るときはわたしが手引きしますから」

「……それ、ふつうに王国への反逆行為だろう。シルピュアにそんなことはさせたくないんだけど」

「うるさい。ウーロさんはごたごた言わず、おとなしく恩返されておいてください」


 どうやらシルピュアに譲るつもりはなさそうだった。


「この魔族二体はわたしが倒したことにしておきま……うわ、よく見るとどっちも魔候じゃないですか。『豪腕の賢者』ゴラウブと『無形』のネプト。まさか同時に相手したんですか?」

「ちなみにあともう一体、あそこで燃えかすになってるやつはハルレイキアって呼ばれてたけど」

「『奇行師』ハルレイキアですね。そいつも魔候です。……魔候三体と同時に戦ったわけですか。相変わらず無茶苦茶しますね、ウーロさんは」

「いやまあ、シルピュアが来てくれなきゃだいぶ負けそうだったけどね。それに好きで相手したわけじゃないよ。どういうわけか待ち伏せされてたんだ」

「……ふむ」


 ウーロの言葉を聞いて、シルピュアはなにやら髪を撫でながら考え込んだ。


「……妙ですね。侵入した魔候なんて、都市警備隊に来ていませんでしたよ」

「目撃報告?」

「ええ。王都に入るためには関門を通る必要があります。固有魔法として認識改変や瞬間移動を使えるネプトとゴラウブはともかく、ハルレイキアが関門で見られずに王都に入っているのは妙です。ハルレイキアの顔情報は、関門の兵士にも知らされているはずですから」


 なるほど、とウーロはうなずく。


 シルピュアの各魔候に関する知識は、ウーロのそれより膨大で正確だ。おそらく王国軍の要職に就く者として、一般には公開されていない魔候の情報も知らされているのだろう。

 そんなものは全国民に公開しろよ、とウーロなどは言いたくなる。だがおそらくこれも、王国軍が市井の冒険者よりも功績を出すための小細工のひとつなのだ。


「……どうやら、手引きした者がいますね」

「どうせ王国軍だよ、たぶん」


 なにか対価を渡されたのか、あるいは命を奪うと脅されたのか。提示されたのが飴にせよ鞭にせよ、あるいは何も提示されなかったにせよ、王国軍の兵士たちは自分のために簡単に職責を裏切るだろう。ウーロはそう推測する。

 そういう場面を、実際にウーロは何度も目にしてきた。


「……可能性はありますね。王国軍の九割ほどが無能なクズであることは事実です。いざとなれば過去の王族の英雄が一斉に蘇って敵を追い払ってくれる、なんて与太話を信じている連中も多いですし。……ふむ、この件についてはわたしも少し調べてみます」

「危ないことはしないでね」

「うるさいですよ」


 そんなやり取りをしているが、シルピュア自身も王国軍の一員ではある。しかもかなりの要職だ。

 『これは単なる役割分担なんですよ、ウーロさん』というのが、ウーロとスモナの反対を押し切って王国軍に入隊したシルピュアの言い分だった。

 『王国軍と真っ正面からやり合うのはウーロさんの担当。わたしは父さんと同じ王立騎士団団長になります。そして腐敗した王国軍を内側から変えるんです』、と。そう言われてしまえば、ウーロにもスモナにも言い返すことはできなかった。


「……さて。とりあえずはまず、やるべきことをやりましょう」

「そうだね。ひとまずは――」


 ウーロはうなずいて足を進める。


「博物館強盗を完遂しようか」

「そうですね」

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