最悪の事態
「来るぞ! ネプト、迎撃よーゐ!」
「こ……怖いよぉ!」
大剣を構えたウーロに、ハルレイキアとネプトが迎撃態勢を取る。
ウーロは体を揺らし、そんな彼らに跳びかか――らない。
十秒が経ち、
二十秒が経ってもウーロは動かない。ハルレイキアとネプトは、いぶかしげに顔を見合わせた。
「来なゐ……。なんで? あ、やっぱり俺とお話がしたい? じゃあウーロ君、俺は君が使用してゐる洗髪料が知りたゐんだけれども!」
「……もしかして。さっきハルレイキアさんが言ってたやつじゃない?」
「ん? さっき洗髪料についての話なんてしたっけ?」
「いや、そうじゃなくて。なんか体を治す時間を稼ごうとしてるから早くとどめを刺した方がいいって……」
「ああ、そういえば! ……じゃあこれ、俺たちが攻撃した方がゐゐんじゃなゐ?」
それは正しい推測だったが、気付くのが遅すぎた。
数十秒のにらみ合いの時間で、ウーロはある程度体を治すことができている。
ウーロの体が揺れ、人間の目でははっきりと捕捉できないほどの速度でハルレイキアたちに迫る。今度こそ本気の攻撃だった。
「きゃあっ!?」
悲鳴を上げてネプトがうずくまる。
どう見ても怯える可憐な少女だが、ウーロに躊躇はない。魔族を相手にするなら、見た目は当てにならないのだ。攻撃の好機と捉え、その体に大剣を振り下ろす。
――その大剣を振り下ろそうとする腕が、途中で止まった。
「ぐっ……!?」
「おお! すごゐじゃなゐの、ネプト!」
「えへへ……。がんばった!」
そのままウーロの体はネプトの体から伸びる触手によって完全に拘束され、宙に吊られる。
……そうだ。ネプトは悲鳴を上げてうずくまってなどいない。
ウーロが斬りかかろうとした瞬間、ネプトと呼ばれる肉塊の一部が隆起し、触手となってウーロを迎え撃ったのだ。
ウーロはその様子をきちんと目撃していた。目撃していたにもかかわらずなぜかそれを『可憐な少女が怯えている』としか認識できず、結果として無防備に振り上げられたウーロの腕は触手に絡め取られてしまったのだ。
「よし、それじゃ引きちぎっちゃうね!」
「うん、仕方がなゐ。ゴラウブのあだ討ちだしなぁ!」
ぎりぎりと、ウーロの手足に絡みついた触手が四方に引っ張ってくる。
すさまじい力だ。おそらく数秒間このままでいれば、ウーロの体は牛裂きの刑に処された罪人のごとくバラバラになってしまうだろう。
だがそうはならない。触手に絡め取られていたウーロの体はするすると形を変え、数瞬で小さなイカの姿になった。
「ゐっ!!」
「な……なに? なにそれ!?」
戸惑った声を上げるネプト。
その頭に、ぽんと掌が置かれた。
「……あ」
「
人間の姿に戻ったウーロが放つ地獄の炎が、ネプトの体を包む。
「ぎゃああああああああああっ!!!!」
「ネプト! 待ってろ、俺ぐぁすぐ消してや――おや? 妙だな。ネプト、俺の両手がなゐんだが、これはなんでだろう?」
「
「ゐ……っゐゐゐゐゐゐゐゐゐゐゐ!!!!」
両手を切り飛ばされたハルレイキアも、ネプト同様に極高温の炎に包まれる。
「あああああああああっ! あついっ! 助けて、助けてよぉ!」
「見ろウーロ君! 熱がってるだろう! こんなきゅーとな肉団子に
「うるさい。静かにしてくれ。これ以上警備兵たちに異常を知られたくないんだ」
ウーロの頼みは聞き入れられなかった。絶叫するネプトと、自分も体を燃やされながら抗議するネプトの繰り言は、少なくともその後数秒ほど続いた。
だが地獄の炎はごくわずかな時間で対象を焼き尽くす。この炎を浴びれば、数秒後には声も上げられない燃えかすとなって転がることになるのだ。
「……はあ。終わったか」
二体の魔候が燃えるさまを見届けて、ウーロはひとつ大きなため息をついた。
……イカへの変身が戦闘でこれほど役に立つというのは、意外な発見だった。
ゴラウブの攻撃をやり過ごすのに使ったのも、このイカへの変身だ。イカ形態を解除して攻撃を回避し、その直後に人間形態に戻って落下中の大剣をキャッチ。そのままゴラウブの体を両断した。
あのときウーロは、わざわざ左足だけを集中的に治療して立ち上がった。ハッタリの意味もあったが、それだけではない。
立ち上がることで人間形態とイカ形態で高低差を発生させたかった、というのも理由のひとつだ。
(一瞬だけなら陸地でもイカに変身できる。これは、うん。初見殺しとしては有効そうだね。人間が別の形に変化することはないという先入観に付け込める、有効な戦術だ)
得られた知見をしっかりと記憶にとどめておく。
さて。
ウーロとしてもまさかこんなところで『魔候』と遭遇するとは思わなかったが、とりあえず片は付いた。
回復魔法による応急処置も完了して十分に動けるようになった。これ以上時間を掛けずに、さっさとこの場を立ち去ることにしよう。
そう思考を巡らしながら、ウーロはイカに変身したときに脱げてしまったフードと仮面を取りに行くため踵を返す。
その、瞬間だった。
「きゃははっ」
「……。は?」
背後から、湿り気のあってぶよぶよした巨大なものがウーロにのしかかった。
ウーロはバランスを崩してその場に倒れ込む。巨大な何かはそのままウーロの背後をうぞうぞと蠢きながらウーロの体を覆うように包み込み、ぎゅうぎゅうと締め付ける。
「っが、ああああ……!」
「きゃはははっ! きゃはははははっ! きゃはっはははははっはははっはははは!!!」
冷たい化石展示室の床の上で、少女の哄笑が反響する。
魔候ネプト。
そうだった、と今さらながらにウーロは認識する。あのぐにゃぐにゃした肉塊は、地獄の炎を浴びながらまったくダメージを受けた様子がなかった。おそらく炎も高温も、そもそも効かないのだろう。
それなのにウーロは、『ネプトは炎でもがき苦しみ、そのまま死んだ』と認識していた。
そしてウーロが敵をすべて撃破したと思って胸をなで下ろしていたとき、ネプトは無傷のままぼこりぼこりと体を隆起させ、膨張させ、いつのまにかウーロの何十倍もの大きさにまで膨らんでいた。
そして大きく膨らんだネプトはウーロを押し倒し、頭からつま先まで自分の体ですっぽりと覆ってしまったのだ。今度こそ、イカへの変身でも逃げられることがないように。
「きゃははっ! 楽しいね! 楽しいね! 楽しいね!!」
(っ、マズい。息が――)
一か八か、博物館の床を魔法で爆破して脱出してみるか。防護魔法を張っていればウーロ自身は即死しないだろうし、即死でなければ回復魔法でなんとかなる。
……いや、ダメだ。一時しのぎにしかならない。ネプト自身にダメージが入らなければ、すぐ追いつかれてまた覆い被さられて終わりだ。
だがこの肉塊に痛打となるような強力な魔法を、ここまで密着した状態で放つの危険だ。自分の魔法で命を落とすことになりかねない……。
「きゃはっ! きゃははははっ!!」
ウーロが思考を巡らせる数瞬の間でも肉塊からの締め付ける力はどんどん強くなっていく。
ぴしりと肩の骨にひびが入るのがわかった。おそらくあと数秒で、ウーロの体は粉々に砕け散るだろう。
「きゃはははははははははははっっはははっっははっははっはっっはは!!」
(……やむを得ない。一か八か、最大火力を叩き込――)
「うるさいですよ」
「きゃはばっ」
その瞬間。ウーロの周囲を包んでいた圧力が、一瞬にして消え去った。
「…………」
全身の痛みをこらえながら、ウーロはよろよろと立ち上がる。
周囲には細切れになった肉片が散らばっている。色んなお料理に使いやすそうなサイズだ。
おそらくこれが、魔候ネプトだったものなのだろう。
ウーロはおそるおそる視線を上げる。
そこには流麗な曲線を描く剣を携えたひとりの女が立っていて。
それは、ウーロが最も恐れていた事態だった。
「……おや。意外な顔ですね」
アクォーク王国の事実上の最高戦力、『絹雲』がそこにいた。
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