わるそうなやつら

「……なんだか、妙に疲れました」

「む。それは大変ですわ! やっぱり海水の再現が完璧じゃなかったのでは……」

「いや、たぶんそういうことじゃないと思います」


 結局スフィラの調査が終わったのは、イカに変身して数時間が経過したあとのことだった。


 いまスフィラは下着姿で、一心不乱にペンを走らせている。

 彼女の服はある程度ウーロの『蒸発ヴァポライズ』で乾かしたが、それでもまだかなり湿っている。すべて乾かすには時間も魔力も掛かりすぎるのだ。自然に乾くまでの間、スフィラは下着姿で過ごすそうだ。

 『とりあえず今日の調査は終わったので、もう性的に興奮していただいて結構ですわ!』とのことだった。やっぱりこいつ頭おかしいな、とウーロは思う。


「……それで。今日の調査でわかったことはありますか?」

「それはもう、大収穫ですわ! いろいろと新事実がわかりましたが……一番の収穫はやっぱりこれですわね!」


 スフィラがぴらりと見せた紙には、鳥のくちばしのような絵が描かれていた。


「絵、お上手なんですね」

「模写限定ですわ! そんなことより、これ! ウーロ様のイカ状態のお口の絵なのですのよ!」

「ああ……ええ。形は本当に鳥のくちばしそっくりですね」

「そう! その通り! まさにその点が重要なのですわ!」


 スフィラが、びしりと指を突き立てる。

 水を吸って少し重くなった水色の髪が、それでも軽やかにさらりと揺れた。


「ウーロ様! 王国イカ教会の、次なる小目標が決まりましたわよ!」

「……というと?」

「博物館強盗ですわ!!」

「……は、博物館強盗」

「そう。イカの口の化石を強奪するのですわ!」


 スフィラはそう言って、びしりと立てた指を今度はウーロに突き出した。


「ウーロ様はご存知かしら? 長年、イカの化石は残されていないとされてきたのですわ!」

「ええ。全身が軟体で、普通なら化石として残る骨が存在しないからですね」

「さすがお詳しいですわね! ちなみに化石が存在しないことを理由に、イカは空想上の生物で実際にはいなかった、なんてことを言うあほあほ学者もけっこういましたのよ!」


 まあ無理もないな、とウーロは思った。イカはちょっと、生物としてなところが多すぎる。実在の根拠がないこの世界でなら、空想上の生き物だと考えるのがむしろ妥当なくらいだ。


「しかし今日ウーロ様の体を調べさせていただいて気付きましたわ。このウーロ様のおくちにそっくりなものが、『正体不明の生物の化石』としてダイロング化石博物館に収蔵されておりますの!」

「正体不明? ……ああ。まあふつう、この口だけ残されているのを見たら鳥類の化石だと考えますよね。イカの化石だとは思わないか」


 全身のほとんどが軟体で形成されるイカだが、唯一口だけは例外だ。食べ物をすり潰して摂取する必要上非常に固くなっており、形状は鳥のくちばしに酷似している。

 そしてイカの口は他の部位と比べて圧倒的に死後も残りやすい。たとえばイカを大量に捕食するマッコウクジラの体内からは、イカの口だけが大量に発見されるというくらいだ。


「……それで? さっき言っていた博物館強盗というのはつまり」

「ええ! ダイロング化石博物館を襲撃して、イカの化石を奪い取るという計画けイカくですわ!!」

「……。なんのために」

「秘密ですわ!!」


 頭に手を当てるウーロに、スフィラはあわててぶんぶんと手を横に振る。


「誤解しないでくださいまし! わたくしとしてもウーロ様のことは全面的に信頼していますし、知っていることはだいたいすべて共有するつもりでいますわ!」

「逆にそこまで信頼されている理由もよくわかりませんが……。でもそれならなぜ秘密なんです?」

「喋ると死ぬからですわ!」


 ぎょっとして目を見開くウーロに、スフィラはあくまで軽やかに微笑む。


「王族というやつは、これはこれでいろいろと制約があるのですわ! わたくしのような使い捨ての駒には特に!」

「……そうですか。わかりました、ではもう聞きません」

「助かりますわ!」


 おそらく何らかの魔法的な縛りが課せられているのだろう。そういえば、特定の事実を口にすると死亡するような契約を結ばせる魔法具があると聞いたことがある。

 そう推測したウーロは、これ以上追及しないことに決めた。


「……ともかく。イカの化石を手に入れることが、この王国イカ教会というやつのために重要である、と。そこは間違いないんですね?」

「イカにもその通りですわ!」

「わかりました。ならその化石は、俺が持ってきます」

「な……!」


 今度はスフィラのほうが、驚いて目を見開いた。


「それはいけませんわ! 博物館の襲撃は、教会の信徒から何人かを選抜して行います。それで十分ですわ!!」

「ご存知かもしれませんが、俺の人間の形態はだいぶ強いです。俺が行くのが一番成功率が高いですよ」

「それはそうだと思いますが。しかし失敗したときのリスクがまったく違いますわ! あなたを失ってしまったら、王国イカ教会は存在意義を失う!」

「そこまで言ってもらえるのは嬉しいです。でもスフィラ王女。それはつまり俺以外の人員は最悪失っても構わないと、そう言ってるんですか?」


 スフィラは一瞬言葉を詰まらせて下を向く。

 だがすぐに顔を上げ、ウーロを真っ直ぐに見つめ返した。


「その通りですわ。もちろん計画けイカくの成功率はできるかぎり高めますが、失敗する可能性をゼロにはできない。そして教徒の方々は、最悪失っても換えが効きます」

「……スフィラ王女はさっき、自分が王家にとって使い捨ての駒だと言っていましたね。あなたが今しようとしているのは、それと同じことなのではないですか?」

「その通りです! それでいいのですわ。目的のために必要なことならば、わたくしは――」

「スフィラ王女」


 ウーロがスフィラのむき出しの肩に手を置く。スフィラはそれに反応して、びくりと体を震わせた。


「前にも言いましたが。俺の目的は魔族をすべて滅ぼして、すべての人が幸せに生きられるようにすることです」

「……あ」

「目的を達するために犠牲が必要なことも時にはあると思います。でも俺がリスクを犯せば済む場面でそうすることが正しいとは、俺は思わない。博物館には俺が行きます」


 十秒ほどの間、沈黙が流れた。

 その間スフィラは一言も発さず、ただ自分の手に付けた指輪を見つめていた。


「……わかりましたわ。博物館のことは、ウーロ様にお任せします」


 そして沈黙ののち、スフィラはそう答えた。





「――アンタが言ってたウーロテウティスという男が、スフィラと接触したわ」


 瀟洒な座椅子に腰を下ろし、最大限優美に見える角度で脚を組み。

 よく手入れされた美しい漆黒の髪をふわりと揺らしながら、その女は言った。


「ただし、確認できたのはそこまで。ふたりがどこに行ってどんな話をしたかまではわからないわ」

「お~やおや。大事だゐじなところがすっぽり抜け落ちちゃってるなあ! ばりっ! ぼりっ! 王女様直属の手下とゐっても、案外大したことはなゐんだね!」


 あらゆる調度品が豪勢な部屋に似つかわしくない作業着姿の男が、来客用と思しきソファに腰掛けて楽しげに笑っている。

 その口元はばりぼりと忙しく動いていた。よく見ると右手にはこれまた豪華そうな灰皿が、握られている。どうやらいまこの男がかみ砕いているのは、その灰皿の一部らしい。


「黙りなさい。そして、勝手に調度品を食べるのもやめなさい。たしかに今はアイツらの居場所を見失ってるけれども、アタシの部下ならすぐに見付けるわ」

「調度品? ……あ、これは失礼しつれゐ。てっきりお茶菓子だと……。ともあれ王女様、君の手下の汚名返上おめゐへんじょうなんて待ってられなゐんだ。まぐっ。だゐじょうぶ、ウーロ君のゐき先には心当たりがある!」

「調度品を食べるのをやめろ。心当たりってのは?」


 今度はソファの肘掛けをちぎって頬張り始めた男をにらみ付けて、王女は話の続きを促す。


「ああ、ごめんごめん。心当たりとゐうのはね、ダゐロングさ! そうそう、俺もそこにゐってくるので、うざゐ警備兵けゐびへゐどもには王女様のほうで話を通しておゐておくれよ!」

「ダイロングって……化石博物館の? 意味がわからないわね。なんでアイツらがそんなところに向かうのよ」

「なぜって、そんなの決まってるだろ! お母上がそう望んでいる! 理由なんてそれだけで十分なのさ! ばきんっ!」

調


 突如、女の右目が強烈に赤い光を放った。

 作業着の男は慌てたように食べかけた水差しを放り出す。大理石の床に水差しが落ちて割れ、中の水をぶちまけた。


「わーっ! ごめん! ごめんって王女様。やめてくれ! ゐたゐ!」

「立場をわきまえろ。卑しい魔族風情が」

「おっけ! やめます! もうやめます! ほら、ほら見て! なにも食べてなゐよ!」

「…………」


 やがて女の右目から光が消え、作業着の男はほうっと息を吐いた。


「ま……まったくもう! 王女様ってばひどゐことするなぁ!」

「うっさい黙れ。会話が通じない、調度品は勝手に食べる。お前にはもううんざりなのよ。目的地がわかっているなら、さっさと自分の仕事にかかりなさい」


 もはや赤く光ってはいない女の目はそれでも鋭く、ぎらりと作業着の男をにらむ。


「ウーロテウティスを殺せ、魔候ハルレイキア」

「は~ゐ」


 拗ねたように作業着の男……ハルレイキアが応えて、それでこの陰謀に満ちた会話はお開きになった。

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