王女様の身体検査
「……さあ。もっと足を広げてくださいな」
そう囁いて、スフィラはウーロの足に指を這わせる。
「そう、そんな感じ。……いいですわよ」
ウーロとしてもできるだけ見ないようにはしているつもりだが、それでもどうしても目に入ってしまう。
スフィラはいま、何も身に付けていない。一糸まとわぬ姿で、ウーロの体に指を這わせている。
十年前に浴場で見たときとは比べものにならないほど、彼女の体は豊かに育っていた。その白く大きな胸がウーロに押し当てられて、ふよふよとした感触を伝えてくる。
「……あら?」
ふと何かに気付いたスフィラが、ウーロの体をまさぐる手を止めた。
「……これはなにかしら? ウーロ様。ウーロ様の体、変なことになってますわよ?」
ウーロが性的に興奮した証となるものを目にして、スフィラはいぶかしげに首をかしげた。
「ウーロ様。ちょっとこれ、元に戻していただきたいですわ」
困った顔でスフィラがウーロに頼む。
どうやらウーロは、この無防備な王女に教えてあげる必要があるようだった。
ウーロの身に起きた変容が、どのようにすれば収まるのかについて。
●
「……しかし驚きました。あれほどの規模の宗教団体を作り上げるのは、並大抵のことではなかったでしょう?」
「ええ、ええ! しかしイカほども苦しくはありませんでしたわ! イカという種族の素晴らしさを少しでも多くの人に知っていただくための、
教祖になることを承諾したウーロの問いに、スフィラはそう答えてふんふんと鼻息荒くうなずいた。
「それに実は、何もないところからスタートしたわけではないのですわ!」
「というと?」
「ウーロ様は、
「……世界を統べるために存在する
「まあ! さすが勉強家ですわね! イカにも、その
スフィラが大きくうなずく。
「実はここ数年、
「魔族の勢力拡大のせいでしょうね。戦いが増えれば不幸な人も増え、そうすればこの手の教えにすがる人も増える」
「ご慧眼ですわね! そしてそう、信徒たちの多くはその
「しかし、
「ふっふっふ……! さすがですわね、ウーロ様!!」
ウーロの指摘に、なぜか得意げになったスフィラが椅子の上に立ち上がって胸を張る。
「危ないですよ」
「そう!
「その、道というのが」
「そう! イカを信じることなのですわ!」
スフィラの紫目は、渦を巻くように底知れず蠢いていた。
「
「……いろいろと、理論が飛躍しているように思いますが。どこから来たんです? その、イカが
「もちろんウーロ様、あなたとの出会いですわ! あなたと出会ったことで
「………………。いま必死で記憶をたどってるんですが。あの浴場での出会いのどこにそんな確信を抱かせる要素があったのか、さっぱりわからないです」
「真に偉大な者というのは、案外なかなか自分の偉大さに気付かないものなのですわね!」
やはり狂信者と議論してはいけないな、とウーロは改めて認識した。論理が通じない。
(……しかしまあ。つまるところスフィラ王女は、既存の思想を乗っ取って自分の目的に適う宗教に改造したわけだ)
それは確かに、有効な一手だった。
(有効すぎて怖いくらいだ。ゼロから宗教を作り上げるにあたっての、ほとんど最適解じゃないか。それは)
「……ウーロ様? 急に考え込んで、イカがされましたか?」
心配そうにスフィラがウーロの顔を覗き込む。
その愛らしい仕草がどこか底知れなく思えて、ウーロはわずかに身を震わせた。
「……なんでもありませんよ。教祖って何をやればいいのかな、とちょっと心配になっただけです」
「ああ! 教祖のお仕事ですか。確かにその説明がまだでしたわね」
「ええ。なにぶんまあ、あまり経験がないもので」
「それはまあ、いろいろありますけれど。とりあえずは!」
「とりあえずは?」
「服を脱いでくださいな!!」
「わかりました。……えっ?」
●
「調子はイカがかしら、ウーロ様?」
『快適ですよ。九年前には頭痛があったんですが、今のところそれもありません』
「それはよかった! 苦労して海水を再現した甲斐がありましたわ!」
十年ぶりにイカの姿になったウーロは、巨大な水槽の中をゆらゆらと泳いでいた。
「九年前にあったという頭痛は、おそらく海水の再現が不完全だったことによるものですわね!」
『塩分濃度には気を使ったつもりだったんですが』
「ウーロ様。そもそもアクォーク王国は内陸国なのです。流通している塩はほとんどが岩塩で、水に溶かしても海水は再現できないのですわ!」
『……。あ、あ~~~~~』
考えてみれば当然のことだった。岩塩と海水塩ではまるで成分が違う。
九年前のウーロが作った塩水は空気中や真水の中よりマシな程度で、結局イカが生存するのに適した空間を作れてはいなかったわけだ
「ちなみに、海水塩を水に溶かしても海水を完全に再現することはできませんわよ! 煮詰める過程で失われる成分もありますもの。海の生き物が長期間生存する環境を作りたければ、ちゃんとした科学者が時間をかけて用意しないと難しいと思いますわ!」
『なるほど……。本当にお詳しいですね』
「ふーっふっふ! こう見えて、生物学と化学はそれなりに嗜んでおりますのよ!」
ドヤ顔のスフィラだったが、たしかに得意げになるだけのことはある。
地下室に併設された水槽に入っていた水はほとんど完全な海水だった。スフィラが少量運ばせた海水の成分を分析し、再現したものらしい。
「……しかし残念ですわね。まさか闇魔法がまったく使えなくなっているなんて」
『人間の体でいた時間が長すぎるせいでしょうか』
「アンバーグリス領に転移したウーロ様が、海水がない環境に適応するために人間の姿に変異してからもう十九年ですものね」
元々ウーロは闇魔法など使えないわけだが、それをスフィラに言うつもりはなかった。
王国イカ教団を利用するためには、あくまでスフィラの信じている『古代から転移してきたイカ』という設定に乗っかったほうが都合がいい。『人間に変身できる最古の闇魔法使い』と『無害な海棲生物に変身できる人間』ではどちらが信仰の対象にふさわしいか、答えは明らかだからだ。
ややがっかりした様子のスフィラは「仕方ありませんわね」とため息をつき、
「では、そろそろ
『えっ』
するすると、身に付けていた衣服を脱ぎ始めた。
『スフィラ王女? あの……なぜ服を?』
「もちろん、
『脱ぐ必要はなくないですか?』
「この部屋に着替えは用意していませんから、服が濡れてしまうととても困りますわ!」
『……着替えを持ってきてはどうでしょう』
「王城にある
ウーロが止めようとする間にもスフィラの手は止まらない。下着まであっさりと脱ぎ捨てたスフィラは、その均整の取れた体を惜しげもなく晒して堂々と胸を張った。
『いや、あのですね。全然止まってくれないのでもう言っちゃいますけど、どんな理由があろうと男性の前で気軽に肌を晒すべきではないですよ』
「お気遣
『え』
「人間の男性相手にこの豊満な裸体を晒そうものなら、相手が獣となって襲ってくるだろうということは
『……あ~~~~。そういう認識』
突然の奇行に驚いたが、なるほど言っていることは理解できなくはない。
言っていることは理解できなくはないが、しかし。この場合において、スフィラの推測は完全に外れている。
ウーロテウティス・アンバーグリスは、そもそも人間である。
ゆえに当然、ふつうに人間の女性の裸体で興奮する。めちゃくちゃ興奮する。
そこに『ふだんは決して晒されることのない王女様の高貴な体』というような付加価値が乗っかっていたりすると、特にめちゃくちゃ興奮する。男というのは(というより人間というのは(というより生物というのは))みな愚かなものなのである。
「それでは、失礼しますわよ!」
『あ、ちょっと』
止める間もなく、スフィラは備え付けのはしごを上って水槽の縁に到達していた。思わず呼び止めたウーロに、スフィラはいぶかしげな表情で動きを止める。
「どうしましたの?」
『……あー』
呼び止めたはいいものの、とウーロは考える。
……『俺はあなたの体に性的に興奮しています』という事実を、果たして本当に伝えるべきだろうか。
すでに(わりと自業自得だが)スフィラはウーロに裸体を晒しているわけで、事実を伝えれば多少なりとも彼女を傷付けることになるだろう。
加えて、スフィラにイカとしての体を詳しく調べてもらうというのはウーロの今後のために有意義なことでもある。もし事実を伝えれば、この調査が多少面倒になるはずだ。
最後に、ウーロとしてもスフィラの裸体を見ることが不快というわけではない。むしろ嬉しい。
状況を整理してみて、ウーロは頭を抱えたくなった。
もろもろを考慮すると。スフィラに事実を伝えないことこそが、どうやら最適解らしい。
「……あの? ウーロ様、どうなさいましたの?」
『……スフィラ王女』
「はい」
結局のところ。
数秒間の葛藤の末、ウーロが出した答えは、
『すみません。人間でいた期間が長かったせいか、俺は人間の女性の裸でも興奮してしまうみたいです』
「まあ! そうですの?」
まあ、妥当と言えば妥当だが。
『最適解がどうとか関係なく、単純に自覚のないまま性的な視線を向けられてる状況ってフェアじゃないよね』というのがウーロの出した結論だった。
ウーロテウティス・アンバーグリスは、そこそこ紳士的な男だった。
『ですからまあ、早いところ服を着ていただけるとありがたいですね』
「…………」
『……スフィラ王女?』
「困りますわ!!」
『えっ』
スフィラ・アクォークは、そこそこ頭のおかしい女だった。
『こ……困る、と言いますと?』
「
『……いや、そう言われてもですね。こればっかりは自分で制御できない部分でして』
「わかっておりますわ。ウーロ様は
『妙案、ですか。 それは一体?』
「我慢してください!!」
スフィラは最初の印象に反して頭がキレる、とウーロは評していた。
どうやら今、またその評価を改める必要があるかもしれない。ウーロは真剣にそう考えた。
「本能的欲求というのはあらゆる生物が抱くものです。人間やイカのような高等な知能を持った生物が他と違うのは、その欲求を理性によって抑え込めるところなのですわ!」
『あ~~~。言ってることはそれっぽいですね』
「というわけで、服は着ません! ウーロ様はもしいやらしい気分になっても我慢してくださいませ!」
『いや、スフィラ王女がそれでいいなら俺は構わないんですが……』
こうして。
全裸のスフィラがウーロのイカの体をまさぐるという状況が生まれたのだった。
そして、物語はこの章の冒頭にさかのぼる。
●
「……これはなにかしら? ウーロ様。ウーロ様の体、変なことになってますわよ?」
ウーロが性的に興奮した証となるものを目にして、スフィラはいぶかしげに首をかしげた。
「ウーロ様。ちょっとこれ、元に戻していただきたいですわ。……この、体色の変化」
『……あー』
「不思議ですわね。普段は中身が見えるくらい半透明で透き通った体なのに、急に濁ってしまいましたわ。あ、でもこの部分はまだ透き通っていますわね」
『あの、スフィラ王女。どうやらイカは、性的に興奮するとこんな風に体色を変えるみたいです』
一部の種類のイカは、雌を誘うときに体表の色を変化させる。
色の変化のさせ方にも種によって個性があるが、際だって特徴的なのがアメリカヤリイカなどが見せる変化だ。
この種類のイカは全身を黒っぽく変化させ、外から精巣が見えるところだけを透けさせて己の生殖能力をアピールする。ヤリイカの名に恥じない大胆なアプローチだと言えるだろう。
ウーロのイカとしての形態であるケンサキイカがこういった行動をすることは今のところ剣崎唯伽のいた世界では確認されていないが、体表色をコントロールする機能はケンサキイカにも備わっており、原理的には同じことが起こりうる。
少なくとも、いまこの場において。人間の精神が宿ったケンサキイカが性的に興奮すると、アメリカヤリイカと同様に体色を変化させることは証明された。
『ですからスフィラ王女。いまあなたが興味深げにつついているところは、俺の精巣があるところなんです』
「あら……。なんだか、ものすごく特殊な性癖のプレイみたいになってしまいましたわね」
『それに関しては少し前からずっとそうですけど』
「んん、しかし困りましたわね。こうして内部が見えないようになってしまうと、これはこれで研究に支障をきたしますわ……」
スフィラはため息をつき、
「仕方ありません。服を着ますわ」
『賢明な判断だと思います』
こうして。
全裸のスフィラによる扇情的な研究調査は、その一日限りで封印されることになったのだった。
「……しかし。体表色の変化もそれはそれで興味深いですわね。また機会があればウーロ様に性的に興奮してもらって……」
『やめておきましょう』
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