今日から教祖!

 ウーロとしても、ありうるパターンはいろいろと想定してみたつもりだった。


 謎の人物から秘密を守る代わりに何らかの取引を要求されるとか。倉庫に入った瞬間待ち構えていた悪漢が一斉に襲いかかってくるとか。あるいは超越的な存在が鎮座していて、ウーロをこの世界に転生させた目的を語りはじめるとか。


 だが実際にウーゼル通り第四倉庫で待ち受けていたのは、ウーロの想像力の限界を嘲笑うような荒唐無稽な光景だった。


「世界を再びイカの手に!!」

「「「世界を再びイカの手に!!」」」

「世界を再びイカの手に!!!!」

「「「「「「世界を再びイカの手に!!!!!!」」」」」」

「えぇ……」


 ウーロの視点において、それは純然たる狂気の産物にしか見えなかった。


 総勢百人。いや、二百人はくだらないだろう。

 第四倉庫を満たす人の群れ。彼らはその全員が、黒いフードと、例のイカを模した仮面を装着していた。


 奥まった場所に用意された演台のような場所にはやや装飾過多な衣服に身を包んだ人物が立っており、なにやらウーロからすると奇妙としか思えないかけ声を繰り返している。

 そして倉庫内の群衆はみなそのかけ声に合わせて腕を振り上げ、同じかけ声で応じる。


 いわく。

 世界を再びイカの手に。


「……全体的にまんべんなく、意味がわからない」


 熱狂する群衆の中で、ウーロだけが立ち尽くしていた。

 いちおうウーロも群衆と同じフードと仮面を装着している。最初は付けずに来たのだが、素顔のままで倉庫に入ろうとすると謎の黒服に押しとどめられたのだ。なお、もちろん黒服たちもイカの仮面を付けていた。


「こんにちは。お加減はイカがですか?」

「あ……。ええ、こんにちは」


 背後から声をかけられて、びくりと体を震わせたウーロは振り返った。

 当たり前のようにイカの仮面を付けた女性がそこに立っていた。頭はフードから出していて、腰まで伸びた青い髪がふわりと揺れるとどこか懐かしいような香りがウーロの鼻をくすぐる。


「ここにいらっしゃるのは初めてですの?」

「ええ、まあ。わかりますか?」

「ふふ。イカにもそんな感じでしたもの。この熱気、最初は驚きますわよね?」


 どうやら、熱狂に加わっていない自分を気にして声をかけてきた人のようだ。そう判断したウーロはうなずき返して、彼女から情報を引き出すことにする。


「そうですね。こんなにたくさんの人が集まっていることにも、皆さんが本当に熱心でいらっしゃることにも驚きました」

「わかります。最近の『王国イカ教会』の勢いはすさまじいですものね!」

「……おうこくいかきょうかい」

「ええ。今ここにいらっしゃるのもほんの一部。噂では王都での信徒の総数は千人以下イカにはならないそうで、王族にも信徒がいるという話ですわよ!」


 仮面を付けておいてよかったことが少なくともひとつあったな、とウーロは思った。驚きに固まった顔を、話し相手に見せずに済んだ。


 王都アクォークセントは単一の都市としてはこの世界で最大級の規模を誇り、その人口はおおよそ十万人にも達する。

 ……十万人。そう、十万人なのだ。

 教団の信徒が千人を越えているならば、王都人口の約1%は『王国イカ教会』に所属し、ウーロのもう一つの姿であるイカを信仰していることになる。


(……いや、落ち着け。イカを信仰している宗教だからって、俺と関係していると考えるのは短絡的すぎる。この世界におけるイカはいわゆるUMA的な存在みたいだし、そういうものに熱烈に関心を寄せる人がいるのは自然なことだ)


 たまたまそういう人がすさまじいカリスマを持った人物だったというだけで、この教団は自分とまったく関係ないものなのだろう。

 なぜか送られてきたイカの仮面が気になるが、自分がいつの間にか千人から信仰されていると考えるよりはそちらの方が自然だ。


 そう自分を納得させたウーロは、仮面の下で無理やり笑顔を作ってみせる。


「さすがですね、教祖様は。これほどの規模の教団を作り上げるのは、並大抵の才覚では不可能でしょう」

「……ええ、ええ! そうですわね! とはいえ実は、王国イカ教会の教祖様の正体はまだ明確めイカくにはなっていないのですが……」

「ああ、そうでしたか」

「ちなみに噂によると、教祖様は銀髪に黒い瞳の十九歳。主な得物は大剣で魔候すら打ち破る戦闘力を有し、その正体は古代から転移してきたイカそのものだということですわ」

「…………」


 視線は目の前の女性に向けたまま、ウーロは周囲の信徒たちの様子を確認する。

 みなかけ声に熱中していて、誰もウーロたちには注目していない。たとえそう装っていたとしてもウーロにはそれを見抜ける。

 組織ぐるみでウーロをここにおびき出したということはここになさそうだ。つまり――


「あなたなんですね。俺を今日ここに呼んだのは」

「まあ! ええ、正解せイカいです。察しがよくて助かりますわ、ウーロ様!」


 ふわりとまた、懐かしい香りがウーロの鼻をくすぐる。

 ああ、とウーロは思い出した。懐かしいはずだ。この香りを嗅ぐのは前世以来なのだから。


 これは潮の香りだ。


「付いてきてくださいませ、ウーロ様。お見せしたいものがあるのですわ!」





 倉庫内を少し移動して、目的地にはすぐたどり着いた。倉庫の一角の目立たない場所、床に付いた扉の前だ。

 青髪の女性が鍵を開けると、地下へと続く階段が現われる。


「さ、こちらですわ!」

「……」


 青髪の女性に促されるまま、ウーロは階段を下る。

 ほどなくしてまた扉が現われた。青髪の女性が鍵を開け、扉を開く。


 そこには、意外なほど広々とした空間があった。現代日本的な言い方をするならば、理科室と理科準備室を合わせたくらいの広さだ。


 部屋には研究用らしい机が一つとそれに付随する椅子が一つ、さらに来客用らしい机に椅子がいくつか添えられている。机の上下を問わず、部屋中になんらかの研究資料らしき紙が散乱しているのも印象的だ。


 そしてこの部屋の中でも特に目立つのが、部屋それ自体と同じくらい大きな水槽が部屋の隣に備え付けられていることだ。

 中はなみなみと水で満たされているが、見たところ生物は何も入っていない。


「……ここは?」

わたくしの秘密の実験室、といったところですわね。なかなかいイカんじでしょう?」

「……なるほど」


 何もなるほどではなかったが、ウーロはとりあえずうなずいておいた。この部屋の詳細よりも先に説明してほしいことは山ほどある。

 促されてウーロが来客用らしき椅子に腰掛ける。青髪の女性もその向かいの椅子に腰を下ろし、仮面を取った。


 どこか沈み込むような特徴的な紫目を見て、ウーロはため息をつく。


「……スフィラ・アクォーク第三十五王女」

「まあ! 髪の色も変わったのに、覚えていてくださったんですのね! 嬉しいですわ!」


 そう言って本当に嬉しそうに、青髪の女性――スフィラ・アクォークは満面の笑みを浮かべた。

 『古代から転移してきたイカ』という発言を聞いた時点で、それはウーロにも予想できていたことだった。なんせその誤解は、九年前に王宮の浴場でスフィラが抱いたものとまったく同じなのだから。


「……あの日の浴場の利用記録から、なんとかして俺にたどり着いたんだろうってことはわかります。でもその先が理解できない。俺が教祖だというのはどういう意味ですか?」

「ふっふっふ! 意味もなにも、イカを信仰する宗教なのだからイカであるウーロ様が教祖となるのは当然ではありませんか!」

「宗教ってのは必ずしもそうじゃないですが……」

「ともかく! わたくしの意図は単純明快めイカいなのです。ウーロ様にわたくしたち教団の、そしていずれは人類全体を導いて欲しいのですわ!」

「…………。なぜ?」

「もちろん、イカこそがこの世界を統べる真の支配者ルーラーにふさわしい種族だからですわ!」


 どう聞いても、ウーロにとってはあまりにも意味不明な妄言だった。

 だが。


 ああ、とスフィラの紫に渦巻く瞳を見たウーロは気付く。

 間違いようもなく、どうしようもなく、それは狂信者の目だった。


(なるほど。とりあえず、スフィラ王女の目的はある程度わかった)


 どういう理由かウーロにはわからないが、この王女様はウーロを含むイカ種族が世界を統べるべき種族だと本当に信じている。

 そして持ち前の行動力と王女としての地位を使って自分の思想を広め、これほどの規模の教団を作り上げたと。


 どうしてこうなったか、スフィラのぶっ飛んだ思考回路はウーロには理解できない。理解できないが、


(……好都合だな)


「……あの、ウーロ様。ちょっと不安になってきたのですけれど」

「ええ」

「まさか、その……。教祖になるの、嫌だったりしませんわよね?」


 普通は嫌がるだろう、とか。まずはこれだけの教団を用意する前にそこの意思を確認しておけよ、とか。

 その手のツッコミの一切を封印して、ウーロはにっこりと笑った。


「まさか。喜んでならせていただきますよ、この教団の教祖に」

「まあ! 本当ですの!?」

「ええ、もちろんです」


 

 それはウーロの行き詰まっていた現状を打破するための、きわめて強力な戦力になるものだった。


 教祖の座を断る理由はない。ウーロはそう結論づける。


「――喜んで教祖に就任させていただきますよ、スフィラ王女」


 こうして。スフィラ・アクォークの思考回路は理解しきれないまま。

 純粋な利害の一致によって、ウーロテウティス・アンバーグリスは教祖になった。

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