十魔候(十体倒せば終わるとは言っていない)

 そして、九年の歳月が流れた。





「なあおい、聞いたか? アンバーグリス家のウーロがまた魔候を倒したってよ!」

「マジかよ。これで何体目だ?」

「四体目。六体倒してる『絹雲けんうん』に次いで、世界で二番目に多く魔候を倒してる計算だな」

「おいおい。とんでもねーな、アンバーグリスは。……ん、待てよ? 魔候は全部で十体だろ? じゃあその二人でもう全部倒しちまったのか?」

「は? バカ、いつの話してんだよ。魔候が十体だけだったのは、もう十年近く前の話だろ」

「え。じゃあ今は何体なんだ?」

「ほんっとに常識ねえなぁ、お前は。いいか、今の魔候はな……」





「八十八魔候の撃破、お疲れさま。ご飯食べていくでしょ?」

「うん。ありがとう、母さん」


 椅子を引いて腰を下ろし、ウーロは母親に笑顔を返した。


 魔候アウゼルの撃破から九年を経て、十九歳のウーロは細身ながら筋肉質な大人の男に成長していた。

 全身にくまなく付いた筋肉は、彼が戦いに身を置く男であることをはっきりと示している。

ただしどこか神秘的な銀色の髪と吸い込まれるような黒い瞳だけは、かつてのそれと変わらないものだった。


「そういえば、王都から荷物が届いてたわよ。あなたの部屋に置いておいたわ」

「うん。ありがとう」

「今回はどのくらい泊まっていくの?」

「明日の朝にはもう出るよ。またすぐ王都の授与式に出なきゃいけないし、今回はちょっと顔を見せに来ただけだから」

「……そう」


 スモナは悲しげに目を伏せる。


 最近ではウーロはほとんど家に帰らなくなったし、シルピュアも当分帰って来れないそうだ。寂しい思いをさせてしまっている自覚はウーロにもあるが、だからといってずっと暖かい実家で無為に時間を過ごしているわけにもいかない。


「……ねえ、ウーロ」

「ん?」

「こうしてウーロが頑張っていれば、いつか来るのかしらね? ウーロもシルピュアも戦いなんてしなくていい、平和な世の中が」

「……。うん、もちろんだよ。俺はそのために、こうして毎日戦ってるんだから」

「そう。……それならいいわ」


 スモナがうなずいて、会話はそこで打ち切られた。

 久しぶりの親子の会話にしては、少々ぎこちないものだったと言えるだろう。





『こうしてウーロが頑張っていれば、いつか来るのかしらね? ウーロもシルピュアも戦いなんてしなくていい、平和な世の中が』


「……うん。このままだと来ないね、間違いなく」


 懐かしい自室のベッドに腰を下ろして、ウーロはひとりため息をついた。


 スモナがウーロの身を案じていることはわかっている。本当は息子に戦いなどしてほしくないのだ。

 だからスモナは会うたびに聞いてくるのだ。……いつになったらあなたは、戦いをやめられるの? と。


「六年前に俺が二体目の魔候を倒したときには、まだ『二十魔候』だった。三年前に三体目を倒したときで『四十四魔候』。で、今が『八十八魔候』。……ああ、俺がひとり倒したからもう『八十七魔候』か」


 魔候。

 単体で国家規模の戦力を有する魔族はそう称される。そしてこの魔候に認定される魔族の数は、年を追うごとに増え続けていた。

 人間の英雄が魔候を撃破したというニュースも時折聞こえるが、明らかに減るペースより増えるペースのほうが早いのが現状だ。


 加えて、平均的な魔候の戦闘能力の水準も上がり続けている。昨日ウーロが倒した魔候クヴァンズも、『爪狼』アウゼルとは比較にならないほどの強さだった。


 もし仮にいま人類と魔族の全面戦争が始まったとして、人類側の勝ち目は万に一つもないだろう。

人類と魔族の間には、今やそれほどまでに絶望的な戦力差があった。


「……だっていうのに。本当に救えないね、人間ってやつは」


 そうつぶやいて、ウーロはまたしてもため息を漏らす。


 ウーロが魔候を撃破できそうになった機会は、実は四回どころではない。これまでに何度も惜しいところで取り逃している。

 その原因となっているのが、他ならぬ人間側。王国軍……特に王立騎士団の妨害によるものだった。

 関所を封鎖して魔候の追跡を妨害したり、ウーロに魔候の出現が伝わらないよう情報を統制したり、果ては魔候と対峙するウーロに遠距離魔法で直接攻撃してきたり。

 どうやら王国軍に属していない人間に魔候の討伐数を重ねられることが気に入らないようで、あの手この手で邪魔をしてくるのだ。


 今回ウーロが魔候クヴァンズを討伐したときには妨害が入らなかったが、これはおそらく王国軍属の『絹雲』が魔候を二体同時に撃破して合計討伐数を六体にしたからだ。

 王国軍の英雄に追いつかない範囲なら魔候を倒してもいいですよ、ということらしい。


「……うん。くだらないな、本当に。滅亡の瀬戸際に追い詰められている種族の行動とは思えない」


 この日三度目となるため息を漏らしてから、ウーロは大の字になってベッドに倒れ込んだ。


「……ダメだ。魔族を全滅させることもすべての人を幸せにすることも、このままじゃ不可能だ。なにか抜本的な方法の変更が必要だね」


 たとえば。


……」


 つぶやきかけたウーロの視界に、机の上に置かれた小包が入った。


「ああ。そういえばさっき母さんが言ってたな。王都から荷物が届いてたって」


 気怠げに体を起こし、ウーロはその小包に手を伸ばした。

 案外に大きな包みだ。高さはあまりないが面積が大きい。

 王都からなにか届くような予定が合っただろうか? 首をひねりながらウーロはその小包を無造作に破り開ける。


「……え?」


 小包の中には、仮面とフードが入っていた。

 フードのほうはまあ、よくあるものだ。全身をすっぽり覆うことのできる、ゆったりとした黒いフード。

 問題は仮面のほうだ。


 奇妙だがどこか美しい仮面だった。白を基調としたその仮面は頭頂部が尖っており、さらに下部のほうは十本に分岐して胸のあたりまで伸びている。

 つまるところそれは、


「……イカをモチーフにした、仮面?」


 かさりと音がして、ウーロはその仮面の下にあるメモに気付く。


『謁見のあと ウーゼル通り第四倉庫』


「……。ここに来いってことかな」


 包みを送ってきたのが何者なのか、当然ウーロには検討が付かない。

 だがひとつだけウーロにとっても確実なことがあった。送り主は、ウーロがイカに変身できることを知っている。


「弱みを握られてるってわけだ。……うん。とりあえずまあ、行ってみるだけ行ってみようかな」


 そうつぶやいてウーロは仮面を持ち上げる。

 目の部分に開いた空洞がウーロを見つめ返してくる。どういうわけかウーロはその空洞に、ゆるゆると沈み込んでいくような錯覚を感じた。

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