一滴の塩水/浴槽いっぱいの塩水

「ウーロ」

「はい」

「……。なにか言い訳があれば聞きます」

「ないよ。俺は約束を破った。母さんのお金で習った剣術と魔術を使って、自分から危ないことに首を突っ込んだ」


 ウーロの母……スモナことスモナクス・アンバーグリスは、少し困ったように眉をひそめた。


 十年前、ウーロの父親が死んだ時。スモナはうずくまって三日三晩泣きじゃくったあと、立ち上がって溜まっていた書類仕事を片付けにかかった。


 それ以来彼女はその身ひとつで狭くはない領地を管理し、高慢で厄介な王都の貴族たちと渡り合ってきた。

 当主を失ったアンバーグリス家が今も領地を失わずに済んでいるのは、間違いなく彼女の辣腕のおかげだろう。


 幼いウーロに懇願されて、剣術と魔術の家庭教師を探してくれたのも彼女だった。

最初は領地の腕自慢だった家庭教師も、ウーロの技術が熟達するにつれてどんどん高度になっていった。その決して安くない教師代を払い続けてくれたのも彼女だった。


 彼女には本当にお世話になったし、感謝してもしきれないとウーロは思っている。

 だがウーロには、そんなスモナについてどうしても気がかりなことがあった。十年間、ずっと。


「ウーロ。私は本当は、剣も魔法もあなたに教えたくなんかなかった」

「うん」

「家庭教師を雇うことにしたのだって、自分の身を守れる子になってほしかったからだわ。だから約束したはずよ。少なくとも大人になるまでは、自分から戦いにいったりしないって」

「うん」

「あなたにパパ以上の戦いの才能があることはわかってる。それでも私は、あなたに危険なことなんてしてほしくない……」

「うん。……ごめん、母さん」

「……わかっているならいいわ。もう行きなさい、ウーロ。王都に出立しなきゃいけないんでしょう?」

「うん」

「……それからね、ウーロ」


 頭を下げてその場を立ち去ろうとするウーロの背中を、スモナが呼び止める。


「うん」

「……私は今から、母親として絶対に言ってはいけないことを言うわ」

「……うん」

「ありがとう、ウーロ」


 十年間ずっと、ウーロは気がかりに思っていた。スモナが十年前のあの日以来、一度も人に涙を見せていないことを。

 泣かない赤ん坊だったウーロとは対照的に、スモナは泣き虫だった。こけて血が出たと言っては泣き、誕生日を祝われては泣き、領民が亡くなったと聞いては泣いていた。

 そんなスモナが涙を流しているところを、ウーロはここ十年間見ていない。


「それだけよ。さ、もう行きなさい」

「……うん。いってきます、母さん」


 それ以上交わす言葉もなく、ウーロはふたたび背を向けて母親の前を立ち去る。

 だが振り返る直前、ウーロはたしかに確認していた。母親の目尻に、たしかに一滴の水滴が浮かんでいたことを。


「いってらっしゃい、ウーロ」





「『十魔候』を倒したんだってね。よくやった。えー、ウーロなんとか・ハンマーブロス君」

「……は。恐悦に存じます」


 王都中央にそびえ立つ荘厳な王宮。その謁見室で、ウーロは跪いていた。

 その前に鎮座するでっぷりと太った男……アクォーク王国国王たるティオヤ・アクォークは、退屈そうに手元の書簡に目を落としている。


「すごいね、まだちっこいのに。『爪狼』アウゼルってあれでしょ。ほら、十年くらい前に元王立騎士団団長だった男を殺したっていう。なんて名前だっけ、あいつ」

「……アーキトゥチ・アンバーグリスですね。俺の父です」

「え! そうなの? じゃあ父親の仇討ち? へー、マジ因縁じゃんね」


 少し驚いた様子でティオヤ国王は目を丸くする。

 そしてすぐさま、何かを思い付いた様子で楽しげに目を細めた。


「あ、じゃあさじゃあさ。あれだ。君はお父さんに感謝しなきゃだね」

「……?」

「もー。なんで? って聞いてよ。なんで? って」

「は。……なぜですか?」

「だってさだってさ。十年前に君のお父さんが殺されといてくれたおかげで、アウゼルにかけられた懸賞金は跳ね上がったんだよ。あはは! 子供にお金を残す良い親じゃん! しかも相続税も取られない方法でさぁ! あは、賢い!!」

「…………」


 両手を叩いて爆笑するティオヤ国王に、ウーロは床を見つめたまま沈黙を守った。


「あはは! あは! ……ん。あれ、スベった?」

「……いえ」

「ごめんねー。俺、ギャグセンは高いほうなんだけどさ。けっこう笑いのジャンルがコアっていうか、わかる人にしかわからないって感じなんだよね」

「そうですか」

「ま、いいや。気を取り直していこう。そういうわけで君には、超多額の懸賞金が贈られますよっと」


 そう言ってティオヤ国王が合図すると、背後に控えていた官吏がうやうやしく前に進み出て、ウーロに大きめの布袋を差し出した。

 跪いたままそれを受け取ると、ずっしりと重い。袋いっぱいに金貨が詰められているのだろう。


「まー普通に生きてたら一生稼げない大金だよ。よかったね」

「はい。感謝します、国王陛下」

「いーよいーよ。でさ。何買うかもう決めてんの?」

「……それは」

「ん? 答えたくないの? いいから言ってみなって。高級品はそこらの商店じゃ扱ってなかったりするよ? 何買うか教えてくれたらボクが商人を世話してやるからさ」

「……! それは本当ですか?」


 願ってもない申し出に、ウーロは弾かれたように顔を上げる。

 初対面の印象からして、ティオヤ国王はできれば頼りたくない相手だったが。とはいえ背に腹は代えられないだろう。


「お、食いついたね。いいよ。どんな商人だって世話してあげる。武器? 魔法具? ドラッグ? あ、女の子? どれにしたって恥ずかしがることないよ。男の子のお金の使い道なんてだいたいそんなもんだからさ」

「いえ」

「あ、もしお嫁さんが欲しいんなら、うちの娘からひとりくらい持ってってもらってもいいよ。作りすぎて余っちゃっててさぁ」

「いりません。国王陛下。俺が欲しいのは塩なんです」

「塩ぉ?」


 ティオヤ国王が顔をしかめる。どうやらウーロの回答は期待外れだったらしい。


「そりゃあ君みたいな貧乏貴族からしたら、塩なんてそうそう買えないんだろうけどさ。でも別にそんなもん、ふつうに王都の商店で買えるよ。ボクが商人を紹介する必要なんてないじゃんか」

「いえ、国王陛下。商店に置かれている量では足りません」

「うん?」

「俺は今日いただいた褒賞金を、すべて塩の購入に充てたいんです」

「……は? それ、どのくらいの量になるかわかってて言ってる?」

「もちろんです。あ、それから。もし可能でしたら、王宮にある来賓用の浴場をお借りできますか? その分のお金もお支払いしますので」

「……。は、はは。シュール系のギャグは、まだ君には早いんじゃないかなぁ……」


 しばらく渋っていた……というか状況が理解できずにいたらしいティオヤ国王だったが、最終的にはウーロの要求を飲んでくれることになった。

 要求は異常なものではあったが、大量の塩の購入も浴場の貸し出しも、王家にとってさほど負担になるものではなかったのがよかったらしい。


 こうして。

 最初の能力使用から七年後。ようやくウーロは、自分の能力を検証できる場を手に入れたのだった。








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