転生特典なんてなかった

 日本で暮らす青年、剣崎唯伽は二十二歳で死んだ。

 なぜ死んだかとか、そんなどうでもいい話はいったん置いておこう。いま重要なのは彼が異世界に転生したことだ。


「…………」

「ねえパパ、さすがにちょっと心配だわ。ウーロったら、生まれてから一度も泣いてないのよ?」

「はっはっは! すごいことじゃないか! 強い子だ。もしかしたら剣狼様の生まれ変わりかもしれんぞ!」

「もう、パパったら……」


 ウーロテウティス・アンバーグリス。それが彼の新しい名前だった。

 生家であるアンバーグリス家は、国の辺境に土地を持つ貧乏貴族。

 ウーロの両親は領民によく慕われるよい領主だった。おおらかな両親の愛に包まれて、ウーロはすこやかに育った。


 ウーロが一歳の誕生日を迎えたころ、父親が死んだ。


 どうやらこの世界では『魔族』なる存在が幅をきかせているらしい。

 いちおう人類の生存圏は確保されているものの、強力な魔族は気まぐれにその中に侵入して人の命を奪う。今回たまたま、その犠牲者がウーロの父親だったというわけだ。


 泣かない自分の前で泣きじゃくる母親を見ながら、ウーロは考える。

 いったい自分はなぜ、この世界に転生してきたのだろうか。もし神様のような存在が自分を選んだんだとしたら、自分にどんな役割を与えようとしているのだろうか。


 剣崎唯伽はサブカルチャーに詳しくなかったが、友人の影響で『異世界転生モノ』について多少の知識は持っていた。

 たしかこんなふうに転生する主人公は、なにか強力な特典を神様から与えられているのが通例だったはず。

 だからきっと、何かあるはずなのだ。自分がこの世界に転生した理由になるような、特別な能力が。


 ……そして。

 やがて三歳の誕生日を迎えたウーロは、自分に秘められた特別な能力を発見する。

 固い石の床の上。ウーロはいつのまにか、イカになっていた。





「おにーちゃ! おにーちゃ!」

「――――!!」


 突然白黒になった世界。

 自分を呼びかける妹の声が、失いかけていた意識をなんとか繋ぎ止めた。


 ぐ、っと自分の頭の中に力を集中させるようにイメージする。それが自分のすべきことだと、なぜか直感的に理解できた。


「……っ! はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」

「あ、おにーちゃだ! おにーちゃ! ちんちんみえてる!」

「はぁ、はぁ……。……ありがとうシルピュア。死ぬところだった……」

「? あのね! わかんないけど! おにーちゃ、いなくなってたよ! でね、なんか白いのがいて赤くなった!」


 なぜか全裸になっていたウーロはとりあえず床に落ちていた服を着る。

 それからしばらく自分が見たものと妹の話を検討して、ウーロは結論を出した。


 どうやら自分はいま、イカに変身してぴちぴちと跳ねていたらしい。

 水がないので呼吸することができず床の上で溺れかけていたようだ。妹が自分を呼ぶ声でなんとか意識を取り戻し、人間の姿に戻ることができたと。


「……イカに変身できる? もしかしてそれが俺に与えられた特典ってやつなのか?」

「おにーちゃ? どうしたの?」

「……なんでもないよ、シルピュア。ちょっと神様の意図を図りかねてただけ」

「?」


 ウーロの妹……シルピュアは、ウーロの言葉にかわいらしく小首をかしげてみせた。


 シルピュア・アンバーグリス。本来ならばウーロと同じく、両親の愛に包まれて育つはずだった幼女。

 実際にはシルピュアは、父親の顔を知らない。シルピュアが生まれたのは、彼女の父親が死んで数ヶ月経ってからだったから。


「……まあ、うん。配られたカードに文句を言ってる場合じゃないよな」

「おにーちゃ?」

「それに、カードが弱いと決まったわけでもない。この力はもっと詳しく検証すべきだ」


 もしかしたらイカ状態でだけ使える特殊な能力があるのかもしれない。あるいは将来的にはイカの姿も成長して、クラーケンみたいな巨大な姿になれるのかもしれない。


 可能性はいくらでもある。何の意味もなく、ただ『イカに変身できる』というだけの力を与えられているというほうが不自然だ。

 まずは自分に与えられたこの力について、詳しく探るところから始めよう。シルピュアの頭を撫でながら、ウーロはそう決意したのだった。





 ……決意、したのはいいものの。

 残念ながらウーロの能力検証は、まったくと言っていいほどうまくいかなかった。


 理由は簡単。ウーロが生まれ落ちたアクォーク王国が内陸国だったから。

 つまるところ。海水が手に入らないのだ。


 海のある国にたどり着くためには魔族の跋扈する荒野を通り抜ける必要がある。塩は高級品で、海水を再現できるような大量の塩はとうてい手に入らない。

 仕方がないのでためしに家の近くの淡水湖でイカに変身してみたが、自分の体が四方に拡散するような感覚があって一瞬で気が遠くなった。死ぬ前に人間に戻るのが精一杯で、能力検証どころではない。


 結局自分の能力についてろくに知ることもできないまま、ウーロは成長し――

 そしていつのまにか、ウーロは十歳の誕生日を迎えていた。





「フム。少年よ、こんな遅い時間になにをしているのかな?」


 声をかけられて、夜の道を歩いていたウーロは振り返る。

 長身に豊かなヒゲをたくわえた老紳士が、心配げに眉をひそめていた。


「……あー。ちょっと散歩してるだけですよ。お構いなく」

「そうはいかない! 我輩は心配だよ。君のような美しい少年が、夜道をひとりで出歩くなどと! タチの悪い変態にでも襲われたらどうするのかね!」

「タチの悪い変態、ですか」

「そうとも! たとえば、我輩のような!」


 言って老紳士は、その身に纏った礼服を颯爽と脱ぎ捨てた。


 露わになった老紳士の体は茶色い体毛で覆われている。

 筋肉が膨張し、体格がひとまわり大きくなった。ごつごつしたその体は、明らかに人間のそれではない。


「ああっ! よい! とてもよい! そのふにふにと柔らかそうな体に我輩の爪が挿入される、その感触を想像するだけでもうたまらんぞッ!!」

「…………」

「ああッ、黙ってしまった! 怖いかね? 怖いだろう! こんなところに魔族がいるなんて思わなかったんだろう!?」

「……さっき、なにをしているのかと聞きましたね」


 ゆらりと姿勢を変えたウーロの手に、いつの間にか大剣が握られている。。

 自分の体と同じくらいある巨大な剣だ。正体を現わした魔族に向けて、ウーロは片手でその剣を構える。


「散歩というのは嘘です。本当はおとり捜査中でした」

「なに? 何の話だねッ!?」

「十年ほど前、赤ん坊だった俺の父親を殺した魔族が、またここらで目撃されたと聞きました。……まさかこんなに早くめぐり逢えるとは思いませんでしたが」

「んー? んんんんー……? ああッ! 思い出したぞッ! 少年、あの男の息子かッ!」


 なにかを思い出したらしい魔族が、やたら嬉しげに快哉を叫ぶ。


「そうだ、そうだったッ! ちょうどこの場所であやつと戦ったのだッ! 人間にしては骨のある男で、我輩も少々手こずった! だがそれだけに最後の瞬間は格別だったぞッ!」

「…………」

「忘れられんなぁッ! しきりに誰かに謝るあやつの筋肉を、我輩の爪が何度も貫くあの感覚ッ! ああ、今思いだしただけでもッ! 我輩の爪から体液がとめどなくあふれてきそうだッ!」

「……もうけっこうです。さっさと始めましょう」

「おおッ! 実に積極的だな、少年ッ!」


 魔族は叫び、両手を胸の前で構える。

 同時に魔族の両手の爪が突然伸び、それぞれが一メートルほどの長さになった。やはりこれがこの魔族の固有魔法らしいな、とウーロは冷静に分析する。


「だが、だが少年! 勘違いしてはいけないぞッ! 我輩は魔族の中でも群を抜いた実力者。今宵君は父親の仇を取ることもできず、ここで我輩に貫かれるのだ!」

「そうとは限らないでしょう」

「いいや、限るのだ! 人は誰しも自分に特別な能力があると考えるッ! だが実際のところ、そんなものはない! あったとしても、圧倒的な種族としての格の差はそんなものでは埋まらない! それが現実なのだよ、少年ッ!」


 ……たしかに、とウーロは思う。

 自分にはイカに変身できる。だがそれは今のところ、何の意味もない能力だ。

 しかし。


「それじゃあ少年! 楽しもうか――」


 目にも止まらぬ速さで魔族がウーロにとびかかり、


「――ッ、あえっ?」


 そして、それ以上の速さでウーロの大剣が一閃した。


 長い爪の生えた十本の指が、根元から切り離されて宙を舞う。

 そして当惑したようにそれを眺める魔族の首もまた、胴体から切り離されて宙を舞っていた。


「ぶっちゃけ、二度目の人生って時点で圧倒的なアドバンテージなんですよね。|特別な力なんかなくても、幼少期から目的意識を持って必要な能力を自分の体に叩き込めば、このくらいは強くなれるんですよ」

「ば、かな。十魔候たる我輩が、こんな――」

「長い爪を十本持った相手と戦うための訓練を、八年近くずっと積んできたんです。……だからまあ、目的意識ってやつを持てた理由はあなたが父の仇だったからしれないですね。感謝なんてしてませんけど」

「嘘を……吐くなッ!」


 髭も半分が刈り取られた首はごろりと地面を転がり、それでも魔族は生きていた。

 落ちくぼんだ目をぎょろりと見開き、今や見上げる位置にあるウーロの顔を睨めつける。


「我輩は知っているッ! 強さとはすなわち、身勝手の上に成り立つもの。赤子の頃に死んだ父の仇だと? そんな理由で、我輩を葬る強さがその年で手に入るものかッ!」

「年齢に関しては色々と特殊な事情があるんですが。でも、そうですね。あなたごときを倒すことが俺の目標のすべてじゃありません」


 夜の闇に紛れそうなほど黒いウーロの瞳が、静かに魔族のそれを見つめる。


「とりあえず、魔族は全員殺します。どうやらそれが、人類すべての幸福のために必要みたいですから」

「……! は、ははっ! それはまた、ずいぶんと身侭な野望を抱いたものだ! ああ、残念だ! 実に残念だよ少年ッ! 君の快進撃もしくは大いなる挫折を、我輩が見守ることができないのが――」


 ウーロは片手に持った大剣を、地面に転がる魔族の脳天に突き立てる。

 がひ、という間抜けな断末魔が聞こえて。首だけになっても意識を保っていた魔族も、それで動かなくなった。


「……さて。第一段階はクリアかな」


 誰にともなくつぶやいてウーロはしゃがみ込み、割れた魔族の頭を拾い上げる。


「『十魔候』アウゼル。……あなたの首はせいぜい役立てさせてもらいますよ。とりあえずは、俺が海水を手に入れるために」

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