街並みとフィランツ教
バイネアット伯爵邸から街の方へと行くと、既に西陽が差し込んでいた。空は橙に色付き秋夕焼けを見せている。
夕暮れにも関わらず人が賑う街並みの中、オスティウスは人混みに入り込み様々な店を見て回った。露天商などで売られている物の中には、多くの武具が取り扱われているようだ。
通りを振り返ると、ガタイのいい男たちが旅装いをしている。恐らく、武具を売りに来た傭兵達だろう。西方の戦争の終わりが近いように思えるのだった。
街並みもその事を知ってか知らずか、賑やかさの中には平和の訪れを喜んでいるようにもオスティウスには見えていた。
メインストリートから少し路地を曲がったところにあるファモリス通りに差し掛かった時である。教会にしては小さな建物があるのが目に入った。
今まで通った大きな道には教会がなかった事を考えるに、きっとこの街は宗教的な権力が少ないのだろう。セフィアローザの町をいくつも歩いてきたが、ここまで少ないのは不思議に思っていた。
思い出したようにオスティウスは、セフィアローザの国のフィランツ教の事を考えていた。太陽神フィランツの訓に導かれる霊魂思想の宗教である。この街にもフィランツ教の大きな教会があっても、おかしくないはずであるのだが、どこの通りにも見当たらない。
オスティウスはマルクの時に、大きな教会に泊めさせてもらった事を思い出したが、仕方なくその小さな教会へと足を運ばせるのであった。
旅は節約が物を言うのである。一宿一飯を分けて貰えるのであれば、文句など言っては居られない。
教会の扉を叩くと救いを求めるように、オスティウスは祈りの言葉を語りかけた。
「神を信じる者としての旅路にて辿り着いたオスティウスと申します。どうか闇の中迷える私に、神の光を授けては頂けないでしょうか?」
少し経ち扉が開かれると、そこにはメガネをかけた優しそうな顔をした司教が立っていた。歳は三十後半ぐらいであり、やつれているような印象を受ける。
「よくいらっしゃいました。オスティウスさん。フィランツ教はあなたを受け入れます。さあ、日が沈む前に中へどうぞ。」
顔立ちの優しさもあるが、どこの司教よりも旅人を快く迎え入れてくれる柔和な人柄が、声や言葉から溢れ出している。
オスティウスはここの教会で夜を過ごす事を決めるのであった。
扉を潜るとそこには長椅子が並んでおり、何人かの教徒達がまばらにいた。皆その者達は信心深い様子で、俯きながら祈りを捧げている。
街の様子とは打って変わり、静かな世界がそこには広がっていた。
太陽神フィランツの権威は、人々の願いや憂いの解放への揺りかごになっている事だろう。
オスティウスには、宗教は人々が人としてある為に、多くの物を要求する場所のように感じる。
罪悪の苦しみ。幸せへの渇望。安心への憧れ。過ちへの後悔。愛念の信奉───
人の光と影が隣り合い、謝念と罪悪感が混在するその姿は、ロウソクの火が揺らめくように、そして、その灯りが作る陰影がうねるように、実像と虚像の狭間に息づいてると思えた。
オスティウスは自分も含め、人としての性の儚さが、枯葉の散るように鬱積していく物も感じていた。その枯葉は山となるための土に変わり、上には神が座る椅子がある。
皆、救いを欲するままに手を伸ばす事だろう。そして、上げた腕の多さが神の光となって、導かれる者の灯火となるのだ。
罪悪感で盛られた土台で立つのだから、神はさぞ滑稽な足取りだろうと、冷ややかな笑みを湛えていた。
講壇の近くまで来た時である。
台の前で振り返ると司教はオスティウスへ語りかける。
「旅路への祝福と魂への敬意をあなたに与えます。旅路はいかがでしたか?」
「ありがとうございます。先程この町に着いたばかりで右も左も分からぬ次第です。空腹に耐え北風に身を晒しながら歩いて参りました。」
「さぞ辛い旅であったでしょう。」
「今晩の夜風をしのぐ場所を、どうかお与え頂けますようお願い出来ませんでしょうか?」
「空腹や北風は国でも勝てない神のもたらした摂理ですね。分かりました。今晩の糧と寝床を保証しましょう。では、祈りを。」
オスティウスの救いに、司教は微笑みながら慈悲を告げるのであった。
祈りの最中にオスティウスは、司教の人柄に温厚になっていく心と宗教に対してシニカルな頭の間を漂っていた。
導き出された答えとして、司教と言うのは信仰に従順なのであり、時勢や人間に従順なのでは決してないのであろう。それが他ならぬ良いところである。
同じ人として、どうしてこうも違うものか。時勢が変われば、信頼が変わり裏切りもある人々が心に映っていた。
人は烏鷺を移ろう色無きものなのである。
これがオスティウスが旅をしてきた中での答えであった。
祈りを終えると鐘の音が教会の中まで響いてきた。その鐘の音は旋律を弾いているかのような調べを、町の隅々まで届ける大きさである。
信者達は静かに消えており、オスティウスと司教だけが教会の中にはいるのだった。
日暮れの合図だろうか。はたまた、労働の終わりの鐘か。窓から見える街並みはすっかり暗くなっている。
「タリードクリフの祝福の鐘の音色はどうですか?」
ふと、司教の言葉にオスティウスは我に返った。
「あ、いや、失礼しました。優美さに惚れ惚れしていました。」
「一日に朝昼夜と三回ありまして、この鐘は夜を告げる合図なんです。太陽が沈み神が眠りに着くと、一日の終わりを祝う為にあるんですよ。今日を無事過ごせた事に祈りを捧げよとね。」
司教の顔が遥か遠くの景色を見ている事に敬虔さを感じる。恐らく、司教の見るその先の景色には神という存在が鎮座しているのだろう。
オスティウスは眼差しの向こう側にある大きな世界に雄大さを感じると共に、司教の信仰の深さを思わされた。
さて、と言いながら、司教は勤めの片付けを始めようとしている時だった。
扉がゆっくり開くとそこには少年が立っていた。
「ただいま。」
少年は乾いた土汚れを顔や服に付けており、少しむくれた仏頂面でオスティウスを見ていた。
司教は手を休めると、少年に優しく諭すように話しかける。
「森に行ってたのかい?泥をちゃんと払ってから入って来なさい。」
「はーい。なんだよ。まぁた、旅人泊めるのかよ。」
「メディオ。神の定めの前では、皆等しく魂である事を忘れてはなりません。」
メディオと呼ばれた少年は、生返事と砕けた口調で粗末な服を、ぱたぱたと叩き汚れを落としていた。
十歳そこそこであろうメディオの体躯は、痩せ型で顔は小さく、四肢が長めに見えるのであった。
オスティウスはメディオに近付くと少し屈み、泊まる旨の挨拶をするのだった。
「私はオスティウスだ。賑やかで良い街だね。今日は厄介になるよ。」
メディオはオスティウスをじろじろと注意深く観察し、鼻にかけるような息を漏らした。
「ふーん。あんた、ただの旅人って訳じゃないんだ。その袋、なんか入ってるんだろ?」
「これは楽器だよ。私は歌を作りながら、旅をしてるんだ。」
「どんな歌をやってるんだ?」
「各地の旅しながら、その土地の言い伝えを歌にしているんだよ。」
オスティウスの返答に興味を持ったのか、メディオは目を輝かせながら楽しそうに振舞っている。
「おお!良かったら今度聞かせてくれよ!」
「あぁ、良いよ。今日はもう夜の支度があるだろうから、また明日にしよう。」
メディオは大きく頷くと嬉しそうに司教の方へ向かう。
「クリス!晩飯にしよう!」
「はいはい。分かりました。では、オスティウスさんもこちらへ。食事の準備をしますので。」
オスティウスはクリスの呼び掛けに頷くと、二人の後に続き、教会から家の方へと行くのであった。
夜明け前の貴方に鼻歌を お白湯 @paitan
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