吟遊詩人オスティウス


 冬のつま先が見えるような厳風が吹き始める頃、吟遊詩人のオスティウスは寒さを避けるように、バイネアット地方中部の町から南下してきていた。セフィアローザの国も次の街で最後である。

 リュートを背負い、マントをたなびかせなるオスティウスの背後には、山岳地帯と森林地帯、さらにその後ろには村々を抱えるようなアニム地区の農耕町が広がっていた。


 崖や川沿いの道を歩く途中、オスティウスの鼻唄は山岳地帯で出会った羊飼いの歌を真似た旋律を刻んでいる。木の葉を踏みしめ唄う度に、音が弾けてリズムが生まれる。そして、風は背中から微かに吹き抜け、川はせせらぎを発し、合唱するかのように旅路を飾り付けているのである。

 また、風が枯葉を乗せて川へと導き、いくつもの小舟のように道中を彩っていた。

 彼の一人旅は、風も樹も川も祝福に満ちた世界が広がっているのだ。


 オスティウスは次の目的地である街を目指す傍ら、冬に備えての南下の旅路を考えていた。バイネアット地方を南に下り続ければ、アルバウェクシルム国に入る。

 隣国の大河付近の街に辿り着けば、人も多く行き交っている事だろう。酒場の演奏で投げ銭を渋られる事も少ないと、期待を胸にしていた。


 川沿いの街道が下り坂から平らになり、旅商人や旅人の行き交いがチラホラと街道にも見えてきている。幾重か曲がり、道を越えた先に木々の隙間から覗き見えたのは街だった。

 街はレンガの高い壁で守られており、街内部の丘陵の上には屋敷が見えた。この街こそが今日の目的地である断崖と交易の街『タリードクリフ』である。そして、屋敷の周囲に拡がるように街並みがあり、時計塔がそびえ立っている。

 街からは街道が三本伸びており、川を利用した運搬や移動などの道もある。まさに交通の要所とも言うべき場所であり、物や金の行き交う活況の地が存在していた。


 日が暮れる前にと、オスティウスは歩幅を大きくして街へと進む。どうやら門では、街に入る馬車や旅人が並ぶ程の盛況ぶりが窺えた。

 旅商人達の馬車は荷物を沢山積んでおり、オスティウスは今夜の酒場は盛大であろう事を考えていたのであった。


 門番達の指示に従い、街の中に入るとそこには人がごった返す街並みがあった。人々は夕飯の買い出しへ。街商人は今日最後の売り出しへ。様々な店を見て回る者。飛んだり跳ねたりしながら子供達は走り回っている。

 活気溢れる街中には目もくれず、オスティウスはいくつもの影と喧騒をかき分け、丘陵へと歩を進めるのである。


 丘陵の先にはバイネアット伯爵邸がある。大きな屋敷であり、この街を治める権力の象徴である事が見て取れる。

 街の勢いが物語るようにバイネアット伯はどれほどの富豪であるのか、オスティウスの野心はいよいよ大きくなるのであった。


 閑静な丘陵の上は、門の前に二名の警備がいるだけであった。

 どうにも警備の人数が少ないように思える。オスティウスは小首を傾げながらも、この旅の目的を達する為に警備へ話しかけるのであった。


「私は旅人のオスティウスと申します。ニュベリュー伯爵様より手紙を預かっております。バイネアット伯爵様にお渡し下さい。」

「旅の者よ、ご苦労であった。これを受け取り下がられよ。」


 厳格そうな警備の一人がオスティウスに小袋を渡そうとした時である。警備の後ろからは、齢三十中頃の長身の男性が優しそうな声を掛けるのであった。


「その人は私の客人だ。こちらに通しなさい。」

「閣下!はっ!」


 警備の二人は男性の姿を見ると跪きながら頭を垂れた。

 オスティウスの方に男性の向き直る所作は、優美でありどこにも隙のない様子である。しかし、整った顔立ちの目元には隈があり、僅かに精のない声で話すのである。


「さあ、こちらへ。オスティウスくん。クリフトが世話になったようだね。屋敷に上がって土産話でも聞かせてくれないかな?」

「ありがとうございます。バイネアット伯爵様。」


 オスティウスはここぞとばかりに下劣な笑みを浮かべ、後ろを着いて行くのであった。


 屋敷の庭は、整えられていると言うには少し手が掛かっている程度で、手入れがあまり行き届いていないようである。

 玄関には眼鏡をかけた中年の使用人が一人おり、伯爵の帰りを待っているようであった。


「おかえりなさいませ。ポルド様。お散歩はいかがでしたでしょうか?紅茶の用意が出来ております。」

「ありがとう。アリオス。今日も快適だったよ。お客様が来ている。義姉さんを客間に呼んでくれ。」

「かしこまりました。」


 使用人はこちらにも一瞥すると、落ち着いた歩き方で屋敷の中へと消えていった。


 伯爵の背中を追いかけながら屋敷の中を見たが、オスティウスの疑問は膨らんでいく。貴族の屋敷と言うには、内装がとても簡素なのだ。

 きっと伯爵があまり華美な物を好まない方なのだろうと、腑に落として二階への階段を登っていると、背筋の伸びた背中が語りかけて来た。


「落ち着いたところで話そうと思っていたのだけれど、実は私はバイネアット伯爵ではないんだよ。」

「……?どういう事でしょうか?」


 オスティウスは眉を上げて、階段の上で立ち止まった。それに合わせてか、目の前の男性も足を止めて振り返りながら話す。


「私は弟のポルド・アベンティスローレ。兄はデレンテ・アベンティスローレ。つまり、バイネアットの称号を持っているのは兄でね。私は兄の居ない間、この街を任されているんだ。」

「そうだったのですね。バイネアット伯爵様は今はどちらにいらっしゃるのでしょうか?」

「兄は西方の戦争に出兵している。マギノーラ教団との戦いに、十年ほど前線で指揮を執っていてね。魔法持ち絡みだとは聞いているよ。」

「長い間、この街を統治されるのはさぞ御苦労があったでしょうね。」

「なに。統治する街が増えただけの話だよ。そんなに大した事でもないさ。」


 そう言うとポルドはまた歩き始めるのであった。

 ポルドの朗らかな口調や街の様子からして、この地の内政はとても安定しているように感じる。オスティウスは二階の客間に通されると窓から一望出来る街並みを見渡した。


「素敵な眺めですね。街の様子が良く見えます。」

「私もここからの眺めを気に入っていてね。子供の時からタリードクリフの街をよく散歩したものだよ。父さんが亡くなってからも兄には苦労をかけているから、ここ十年はその恩返しが出来ることが嬉しいんだ。」

「そうでしたか。旧代の伯爵様もさぞお喜びでしょう。ご兄弟で力を合わせての街の安定と言うのも。」

「……本当にその通りだよ。」


 窓からの景色を見つめるポルドの言葉が少々曇った事に、オスティウスは疑問を感じた。それは、今は亡き父親に対しての悲しみとも思えるような嘆息を、少し零したようにも感じられた。

 ポルドのこちらに振り返った笑みと言葉に、オスティウスは考えを振り払ったのだった。


「さて、少し話でもしよう。良かったら座りなさい。」

「ありがとうございます。」


 安楽椅子に座りながら、ポルドはこれまでの旅の話を聞きたがっていた。マルクの大火の話をしようと思っていたところに、ノックの音が聞こえる。

 扉が開かれると、そこにはシンプルなデザインのドレスと、整った顔立ちの女性が立っていた。


「失礼致します。バイネアット伯爵の妻のファブラと申します。」


 虫の居所が悪いのか、オスティウスに対して目を合わせないような仕草の女性は、そそくさとポルドの隣の席へと座るのであった。

 それを見兼ねたポルドは苦笑いをしながら、オスティウスを紹介した。

 

「こちら、マルクの大火の時にクリフトが世話になったオスティウスくんだ。」

「歌を作りながら、各地を旅しているオスティウスと申します。バイネアット伯爵夫人、この度はお会い出来て嬉しく思います。」


 会釈をするオスティウスに対して、ファブラはとても素っ気なく返していた。


「貴方、来るところを間違えているのではありませんか?」

「義姉さん。そう、ツンケンしなくても。友達の恩人なんだ。歓迎してくれないかな?」

「街の者でもない根無し草に下げる頭はありません。お好きなようにお過ごしください。」


 オスティウスの頬が片側だけ引きつった笑みを見たのか、ポルドは言葉を繋げる。


「まあまあ、旅の話でも聞こうじゃないか。オスティウスくんもさぞ大変な旅だった事だろう。」


 そこにまたノック音が響き、先程アリオスと呼ばれた使用人の声が聞こえてきた。


「お飲み物をお持ち致しました。」

「ありがとう。入ってくれ。」


 アリオスはにこやかな笑みで、手際良くテーブルに紅茶やお茶菓子の準備を進める。

 そのさなかにも、ポルドは気を効かせて話を取り持とうとしていた。


「先日、先立ちの手紙がクリフトから来ていてね。その中にオスティウスくんの名前も上がっていたんだ。見事な活躍ぶりだと聞いているよ。そうだ。歌のひとつでも聞かせてくれないかな?」

「ありがとうございます。では、バイネアット伯爵様の弟君、ポルド様とバイネアット伯爵夫人にお会い出来た事を祝しまして、このオスティウス。歌を差し上げさせて頂きます。」


 オスティウスがリュートを袋から出そうとした時である。ピシャリとした言葉が飛んで来た。


「歌など結構です。夜が静かに過ごせなくなりますわ。」


 ファブラの言葉にオスティウスのリュートを持つ手が下がっていく。それでもと、オスティウスは歩み寄りをしようと取っ掛りを見つけようとしていた。


「では、バイネアット伯爵夫人。お子様のご教育のためにひとつ童謡でもいかがでしょうか?」

「この家に子供はおりません。今日のところはもう日も暮れます。わたくしはこれで失礼させて頂きます。」


 ファブラは席を立つと振り返りもせず、部屋から出ていくのであった。

 オスティウスは項垂れながらも、ファブラのドレスの裾を持つ手元を見て疑問を抱いていた。ファブラの手は、水仕事をした後のような赤い手だったのである。

 はて、と思いながらも、オスティウスに声をかけてくれるポルドの方に向き直るのだった。


「すまない。義姉さんは兄さんが家を留守にしている間、少し変わってしまってね。」

「いえ、気にしてはいません。旅人はそういうものですから。」

「西方の戦争もそろそろ終結を迎えるはずだから、兄さんが帰ったら改めて礼をさせてくれ。」

「えぇ、必ずまたお伺いさせて頂きます。」

「タリードクリフには、どのぐらい滞在をするんだね?」

「一晩泊まって、アルバウェクシルムの方に渡る予定です。」

「そうか。すぐ旅立ってしまうのか。」

「一所に留まる事が、なかなか出来ず申し訳ありません。」

「いや、謝る事では無いよ。」


 話の向きを直すように、ポルドは手を前にし指を組んだ。それはある種の癖のようでもあるようにオスティウスには感じた。


「話を戻すが、クリフトからの手紙には魔法持ちの事が書かれていたよ。マルクの大火はどうにも、マギノーラ教の仕業と言うことのようだが……。」

「はい。私にもそのように見受けられました。マギノーラ教団と思しき者達と少女が一人おりまして、その少女の力ではないかと。撃退する為にマルクは消耗している様子です。」


 ポルドは険しさを漏らすオスティウスの言葉に頷くと深刻な顔をした。


「そうか。少女の魔法持ちか……。」

「いずれこの街にも来るやもしれません。」

「西方では、マギノーラ教との戦いは終結の協議が進んでいると言うが、どこまでが貴族達の手のひらの上か分からない物でもある。」

「その様子だと西方の戦争も味方が一枚岩と言う訳ではないのですね。」


 組み指を解くと、ポルドは考えるように頭を搔くのであった。


「あぁ、何かと不自由なことはあるよ。マギノーラ教の内通者が居ないとも限らないからね。」 

「心中お察し致します。」


 そこには少し間があり、ポルドは深いため息を吐くと少し気の抜けた顔になった。


「なんにせよだ。クリフトにはこちらから援助をする事にするよ。ありがとう。オスティウスくん。君の知力でクリフトは救われた。」

「ありがとうございます。身に余る光栄です。長らくお邪魔してしまい失礼しました。ポルド様もお疲れかと思いますので、私もこれで失礼致します。」

「大したもてなしも出来ずにすまなかった。アリオス。お客様のお見送りを頼む。それとお礼をしてくれ。」


 ポルドは立ち上がると、オスティウスを扉まで見送り最後に告げる。


「では、良い旅を。必ずまた寄る事を楽しみにしてるよ。」

「ポルド様もお元気で。バイネアット伯爵様にも宜しくお伝えください。」

 

 扉の外で待っていたアリオスは、オスティウスを玄関まで案内すると小袋を渡し挨拶をする。その小袋からはオスティウスにとって魅力的な音がしていた。

 屋敷を去りながらも、小袋の中を確認するとそこにはヘイホンス銀貨が五枚入っている。ヘイホンス銀貨は、セフィアローザの国が発行する銀貨で信頼性が高く、他国でも換金しやすい。

 これからアルバウェクシルムの国に入る事を考えると、とても強い味方になる事だろう。

 オスティウスはニヤリと笑いながら、鞄の中にそれを納めるのであった。

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