願い

 それは暑い夜だった。ここの神主になってから、どれぐらいの頃だろう。まあ、忘れるほど長くここにいる。色んな参拝客がここへ来たが、やはりあの夜は忘れられない。

二礼二拍手一礼。珍しいな、こんな時間に少年が一人でなんて。

「神様、どうかお願いします。お父さんの病気を治してください。そのためだったら僕は何もいらない。お願いします・・・どうか、お願いします。」賽銭箱に大量の小銭が入れられる。でも、その表情は今にも泣きだしそうな顔だった。

・・・次の日、杖をついた男の人が来た。

「神様、どうかお願いします。息子には元気に楽しく生きてほしいのです。この病は遺伝する。それは私までで終わりにしてください。私は抗生剤を飲まず、治療は受けず、ここへ来れる日は必ずここへ来ます。だから・・・どうか、どうか。私のすべてを払ってでも。」男はただ一礼のみを終え、帰っていく。神主は一語一句紙にメモを取ることに決めた。

・・・次の日、杖をついた男が来た。一礼して何も語らず帰った。

・・・次の日、雨が降っていた。杖をついた男が来た。一礼して何も語らず帰った。

・・・次の日、杖をついた男が来た。一礼して何も語らず帰った。

・・・次の日、杖をついた男は来なかった。

・・・次の日、杖をついた男が来た。どうやら目があまり見えていない様だった。一礼して何も語らず帰った。

・・・次の日、杖をついた男が来た。男はゆっくり、ゆっくりと前に歩いて、ぼそりと呟いた。その目は驚くほどきれいに光る。

「ありがとうございます。息子はお医者さんによると、この遺伝性の病気を引き継いでないらしいのです。息子は寂しそうではあるけれど、大丈夫。なにせ強い子なんです。すぐに立ち上がって私が注げなかった愛情を自ら掴み取る事でしょう。お金はすべて息子へ託すのでここでは、一銭も使わずに参拝のみなり、申し訳ございません。明日はもう、ここへ来ることもできない。最後に、一礼をもって終わりとします。」男は杖を置き、二本の脚でしっかりとこの地に立つ。そして、見事な一礼をもって以降、何も語らず帰った。杖を使わず、歩く。それは意地でしかない。でもその背中は、これからの息子の人生が楽しみな父親のそれだった。・・・次の日も、その次の日も。また次の日も。その男が来ることは無かった。

・・・十五年後。子供連れの親子が来た。父親の顔は見覚えがあった。あの時、賽銭に小銭を入れた息子がここまで立派に成長していた。幸せそうに賽銭を入れて、明日の健康を祈る。そのあと、父親だけ長く一礼し、後にする。

その背中は最期に見せた父親そっくりの背中で、確かにあの父親の子供であった。そしてバトンはさらに次へと繋ぐ。その先も、さらにその先も。

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