第3話 白い花
新聞には散々に書かれ、町の人達からは揶揄われて男爵の面目は地に落ちた。
マルテスは大丈夫だろうか。
成果が出せなくても、男爵家で可愛がられているだろうか。
ある日の夕方、男爵家の使いがエステラの家を訪れた。
男爵からだというバスケットを受け取ると、中にはマルテスがいた。
だが、ぐったりと横たわり、息も荒い。
使いが言うには、もう何日も出された食事も食べず、今日は朝から立ち上がることもできない様子だったという。
男爵がエステラに返してくるようにと言ったのでここにきたとのことだった。
「二度も恥をかかされたからな。男爵も相当おかんむりだよ。俺達にまで八つ当たりされてよお」
使いの男は吐き捨てて帰っていった。
エステラはバスケットからマルテスを出して膝の上に置いた。
「ごめんね。ごめんね、マルテス」
何もできなかった自分を悔やんでも悔やみきれない。
「これからはずっと一緒にいるからね」
マルテスは目を開けて、エステラを見た。
「マルテス」
もう一度名前を呼んだが、それから何度も呼んだが、もう二度と目を開けることはなかった。
エステラの涙が頬を、顎を伝ってマルテスの毛並みに落ちた。
その瞬間、マルテスの体がふっと軽くなると、真っ白い灰になった。
マルテスは魔獣だったのだ。
エステラは一晩中泣き、翌朝マルテスの遺灰を庭の隅に埋めた。
それからしばらくは泣き暮らして、毎日マルテスのために祈りを捧げた。
数日後、遺灰を埋めた所から白い五弁の花が咲いた。
甘い芳香を放つその花は、切っても再び花をつけ、エステラの家は放たれる甘い香りでいっぱいになった。
しばらくしてようやく町へ行く気になったエステラは、いつも刺繍やレース編みを買ってくれる商店を訪れた。
商店の夫婦もしばらく顔を見せなかったエステラのことを心配してくれていたようで、親身になって話を聞いてくれた。
からんとドアベルが鳴り、お客様が入店した。
立派な身なりの若い男性と手を繋いだ小さな可愛い女の子、その後に男性と乳母と思われる女性が続く。
女の子は男性の手を離すと、エステラに駆け寄った。
エステラの仕上げた作品が入っている籠を覗き込み、一番上にある犬の刺繍のあるハンカチを手に取った。
「こら、勝手に触ってはだめだよ」
男性は女の子を軽く嗜めて、エステラに謝り、そのハンカチを買い上げた。
お礼に、匂いづけで籠にいくつか入れてあった白い花の切花を差し上げた。
受け取った女の子がすうっと香りを嗅ぐと、ぱっと笑った。
「おじさま、このおはな、とってもいいかおり」
女の子が言うと、若い男性は膝をついて女の子を抱き締め、連れの男女は驚きで涙を浮かべていた。
この男性は首都で大きな商店、百貨店というものを経営していて、女の子は姪とのことだった。
女の子の両親は旅先で亡くなってしまい、それ以来女の子は口をきかなくなってしまった。
夏休みを兼ねて、噂の町にバカンスに行って気分転換できればと思って連れ出したところだったという。
一年振りに姪の声を聞いた男性は感謝を述べて、籠の中のエステラの作品を全て買い上げてくれた。
ゆうに二ヶ月は暮らせそうな金額で。
エステラは過分な代金のわずかなお返しに、鉢に植え替えた花を彼らが滞在しているホテルに届けた。
女の子は、帰っても大事に育てると約束してくれた。
それから少ししてから、首都であの白い花が話題になっていると、あの時に一緒にいた女の子の叔父の秘書の男性が手紙で知らせてきた。
鉢に分けた株を栽培して増やしているが、需要に追いつかなくててんてこ舞いしているとのことだった。
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