第20話「ヒーローの正体」
「兄様、兄様、起きていますか?」
部屋の扉を間に挟んでミキが呼び掛ける。時間は昼。
夏休みも終わりに差し掛かっている中、数日前からユウイチはまともに家族と顔を合わせていなければ外に出てもいなかった。
時折、声を掛けにくるミキに適当な返事だけをして、気が向いた時にご飯を食べてはずっと部屋で横になりっぱなしの日々。何が正しいのか分からなくなっていた。
手が届かない場所があるのは理解している。
それでもあの判断を下したことを良いと思えない。
ユウナの強さは知っていた。放っておいても黒オークは呆気なく倒されていたはずなのに、助けるべき命を見捨てる形で陣形を崩した。
「なんでだよ……何してんだよ俺は……!」
ユウイチは壁に拳を叩き付ける。
守るべきだったはずの怪我人が死に、その関係者たちの顔が今でもユウイチの頭を離れない。
泣いた顔。
怒った顔。
そして、泣きながら笑顔で感謝を示す人。
ユウイチは初めて感謝をありがたくないと思った。
「ユウ? 居るんでしょ?」
「……!」
ヒスイの声だった。
「ミキちゃんが心配してたよ。入っても良い?」
「あぁ、鍵は掛かってないから入っても別に」
「じゃあ、入るよ……」
扉が音を立てて開く。
ユウイチが顔を上げると感情がぐちゃぐちゃになったヒスイが立っていた。
傷や痣が残るユウイチ。ベッドの側には血が滲んだ服が脱ぎ捨てられている。
「ユウ……!」
「馬鹿……痛ぇよ」
ベッドの上に向かって飛び付いてきたヒスイにユウイチが優しく文句を言う。
それでもヒスイの抱き締める力は強くなるばかり。溢れる涙がユウイチの肩を濡らす。
「心配したんだよ……ミキちゃんから連絡貰って、その後にユーナちゃんたちも巻き込まれたって話聞いて……本当に無事で良かった……」
「俺は平気に決まってんだろ。それよりアオは……無事か?」
「うん。時間は掛かるけど命に関わるような状態じゃないって。フミちゃんも落ち着き始めて、ユーナちゃんは特に。ただ落ち込んでたけど」
それを聞いたユウイチはほんの少しだけ安心する。
これでアオが死んでいたら本当に無駄でしかない行動だった。ユウナの状態も大して悪いものではないらしい。
そこでやっとヒスイがユウイチから離れる。
「ニュース見たよ。なんであんな場所に飛び込んだの? 死んじゃうよ! 私はユウが死んだら嫌だよ!」
「ヒスイは知ってるだろ。俺は本当に死にそうなら逃げる」
「それでも! 心配なの……ギンさんもアヤメさんもミキちゃんもそう思ってる。出来ることなら危険なことに首突っ込むのはやめて欲しい」
「そうかもな」
「!?」
ユウイチの返答にヒスイが驚愕する。
「ねぇ、ユウは最近何やってたの? 何があったの? 聞かせて」
夏休みに入って明らかにユウイチの付き合いが悪くなった。
遊んでいる途中に誰かを助けに行くことはあっても、ヒスイとユウナ、家族以外でユウイチの予定が決まっていることはまずない。
今までのバイト先も辞めて、一体何をしていたのか。
「バイトだよ。それで偶然特殊災害に巻き込まれた。ただそんだけ」
ぶっきらぼうに答えるユウイチのそれが嘘であることは直ぐに分かった。
ヒスイは静かに立ち上がり、悲しそうに口を開ける。
「話したくないんだね……分かった」
それだけ言い残してヒスイは部屋から出て行ってしまう。
部屋で一人ぼっちになったユウイチはベッドから体を起こし、『Rouge』のバッジを手に取る。
前までのユウイチならそれを持って外に駆け出していただろう。
「自分の選択に自信持てなくなっちったよ……」
ユウイチは夏休みの残り数日間、ちょっとした買い物以外家から出ることはなかった。
学校が始まる。
ジンは未だ見つかっていない。
「はーい! 後でこの荷物職員室に運ぶの手伝って欲しいんだけど」
授業の終わりがけに先生が段ボールを指差して教室中に呼び掛ける。
呼び掛けながらも視線はユウイチ。だが、今日もまたユウイチは机に突っ伏したまま反応がない。ここ一週間ずっと同じだ。
授業中も休み時間も誰とも喋らずに過ごしている。
人助けも全くしなくなっていた。
「あ! 私やります!」
「ありがとうねミノワさん。助かるわぁ」
ユウイチがやらなくなってからはヒスイが積極的に行動し、それに連なってユウナやフミが手伝い、時折男子たちが手を貸してくれるようになった。
今回もヒスイが段ボールを持ち上げようとすれば数人の男子たちが手伝いに来る。
ユウイチは手伝いが来たのを確認だけしてまた突っ伏してしまう。
そんな突然変わってしまったユウイチを、何も気に掛けないヒスイを、ユウナは心配そうな表情で見つめていた。
そしてとある日の放課後。
ユウイチはヒスイが帰ったのをバイクの排気音で確認して図書室の椅子から立つ。
北欧神話に関する本を棚に戻してから図書室を出るとヒスイが待っていた。
「一緒に帰らない?」
「別に良いけど」
断る理由もなく、二人並んで帰路につく。
ユウナの足取りにユウイチが合わせて歩道を歩く。と思ったらいきなりルートを変えるので近くの河川敷方面へ歩き出す。
「最近、元気ないね」
「あぁ」
「人助けもしないし」
「あぁ」
「夏休み明けからヒスイとだって話してるの見てない」
「あぁ」
ユウイチは短く返事をする。ただそれだけ。
話を広げる気がない態度にユウナは歩く足を止めて、ユウイチと向き合う。
「ねぇ、何があったの? 話してよ」
「ユーナになら……良いか。リザードマン事件の後にすっげぇ美人な人と俺が一緒にどっか行ったの覚えてるか?」
不思議なもので、本当に悩んでいる時に話しやすいのがユウナだった。
家族もヒスイも身近過ぎて逆に話すのが怖くなってしまう。今回のことに限ってはきっと「もうやらない方が良い」なんて意見しか出てこないからだが。
二人で河川敷の土手に座り込み、ユウイチは話を続ける。
「あの日から特殊災害専門の警察? って言えば良いのか分からねぇけどそんな感じのところで働いてたんだ」
「それで遊びにもあんまり付き合ってくれなくなったんだ」
「あぁ、そんである日。間違った」
「間違い?」
「持ち場を離れたら人が死ぬかもしれない状況で俺は離れた。別の誰かを助ける為に」
「それが間違いなの?」
ユウナが聞き返す。少なくとも助けられる人を一人でも多くする行動が間違いとは思えなかった。
「間違いだ。別にその誰かは俺が助けなくてもなんとか出来る奴だったから」
それを聞いたユウナが大きく、大きく目を見張る。
ユウイチは川に向かって石を投げる。隣のユウナの変化に気付かない。
「そしたら死ぬかもしれない怪我人が魔物に殺された。あの時どうしてあの場を離れたのか分からないんだ。俺は何が正しいのか分からない」
「そっか……でもきっとその子は救われたと思うよ。ユウイチはきっと命だけじゃなくて心も守りたかったんだと思う。あたしには正しいとか間違いとか分かんない。でも、ほら見てよユウイチ」
ユウナが立ち上がり、くるっと体を回転させる。
その視線をユウイチが目で追えば、学校帰りの中高生や犬の散歩をする人、仲睦まじい老夫婦が視界に映る。
「確かにその人たちはは死んじゃったかもしれない。でもまだ居る。他の人が滅亡した訳じゃない。難しく考えなくて良いんじゃない? 今、目の前に困ってる人が、命が脅かされてる人が居て、それを助けようとするのがあたしは間違いだとは思わない」
「ユーナ……」
目の前困っている人が居るから助ける。
確かにそれはこれまでずっとやってきたユウイチの行動原理だった。
「仕事にするのは大変で苦しいかもだけど、人の命を助けるんだもん。簡単なことじゃないのは分かってたはずでしょ?」
「それは……でも!」
「でもじゃない!」
ユウナの叫びにユウイチの体が跳ねる。
「まだ人が居る! 助けられる命がある! なのにヒーローが弱気でどうするの! 弱気じゃ何も出来ない! 相手の強気に勝てるのは強気な心だけなんだよ!?」
ユウイチの肩を掴み、声を荒げるユウナ。
ユウイチはユウナに出会った頃を思い出す。ユウナは特に音楽の才能に溢れている才女だった。
だが、その実態は基本を欠かさず、気持ちを強く持った継続力で成り立っている。全部大好きな野球選手の言葉をモチベーションとしてやってきたらしい。
ユウイチにとっての基本は目の前で困っている人を助けることだった。
しかし、今はどうだ?
助けられなかった命があると後悔し続け、基本すらやっていない。
今を生きることを信条としていたはずなのに目を向けているのは過去のこと。
「辛くても苦しくても……前に、か」
前にユウナが言っていたことを口に出し、気持ちを切り替える為に拳に力を入れる。
掴まれていた肩の腕を解き、久しぶりに笑顔を作る。
「ユーナ、ありがとな。後悔するのは人類滅亡してからにするわ」
「アテナの力があってもあたしたちは人間だもん。無理なこともあれば壁にぶつかる時だってあるよ。でも、逃げるのはユウイチに似合わない」
「こりゃ手厳しい」
しかし、今はその厳しさがありがたかった。
と、その時だった。
「きゃああああ!?」
一人の女性らしき悲鳴を皮切りに沢山の悲鳴が河川敷から離れた大通りで響く。
ユウイチとユウナが顔を見合わせ、土手を駆け上がる。
「ユーナ! 手伝ってくれるか!? ユーナ?」
普段はヒスイに頼んでいる避難をユウナにやって貰おうと振り返るが、ユウナの足が止まっている。
「ユウイチ」
「どうした?」
「本当にごめん。あたし、もう決めた。だから思う存分頼って」
何かを決心したであろうユウナの瞳。
そこでユウイチは理解した。ユウナの謝罪の理由を。
「ユーナの所為じゃない。とにかく今は目の前の人を助けるぞ!」
「うん、分かった。行こう!」
暴れる魔物に立ち向かったのは銀髪と空色の髪の二人のヒーローだった。
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