第5話「火車史人」


 学生が夏休みに入り、ほんの数日。

 クーラーの効いた自室のベッドでユウイチは寝入っていた。学校もないので夜更かし寝坊が許される夢のような長期休み。

 本日のユウイチの予定は何もない。ヒスイとユウナとも会う約束はしていない。

 だから昼まで寝ているつもりだったのだが。


 「兄様、兄様」


 可愛らしい声と共に扉がコツコツとノックの音を発する。

 しかし、その程度でユウイチが起きるはずもなく、声に対する反応はない。

 数秒間の沈黙。するとガチャリとドアノブが回され、黒髪ロングのお淑やかな少女が部屋に足を踏み入れる。 

 少女の名はミキ。中学入りたてでユウイチの妹だ。


 「……」


 扉を開けた瞬間、全身を突き抜ける冷気に頬を膨らませた。

 ミキは丁寧な早い足取りでユウイチのベッドの横に立ち、体を揺さぶる。


 「兄様、朝です。起きて下さい」

 「ん……まだ朝じゃんか……昼まで寝る……」

 「いけません。起きて下さい」


 ミキはそう言いながら掛け布団を丁寧に剥ぎ取る。


 「うわ! 寒い!」

 「冷房の温度を下げ過ぎです。どうして夏なのに毛布を被って寝ているのですか」

 「肌寒い日に半袖短パンで毛布被るの気持ち良いだろ。その感覚なんだよ」

 「そのような感覚は知りません。ほら、起きて支度して下さい。そろそろ朝食が出来上がりますよ」


 寝ぼけ眼を擦りながらユウイチは上半身を起こす。まだ眠気も疲れも取れていない。体も重たく感じる。

 欠伸をする兄を見ながらミキがカーテンを開ける。


 「昨日は夜更かしでもしていたのですか?」


 ユウイチが起きさえすればミキの口調は柔らかく変化した。


 「ユーナが作詞が全然進まないから手伝って! ってチャット繋いできたからヒスイも一緒に四時まで長電話だよ。ったく……ふあーあ」


 この数日間、ユウイチは拾った謎のデバイスがどんな物なのかを確かめていた。

 人気のない山に行き、帰りがけに困ってる人を助けたり、デバイスであの時のように変身して魔物を倒したり。

 おかげで体は疲労困憊。ゆっくり休もうと思った日の夜に限ってユウナの我儘に付き合わされてまともに寝られない始末である。

 実際はユウイチもユウナと同じく短時間睡眠で何とかなるタイプ。

 だが、寝ていられるのなら寝ていたいとも思う。


 「ユウナさんも困った人ですね」

 「夏休みの間だけユーナの家行ってこいよ。長期休暇のあいつ絶対生活習慣ぶっ飛んでるぞ」

 「ですが、それでは兄様が駄目になるのでは?」

 「駄目になるってなんだ駄目になるって。もう既にミキのおかげで七時には一回起きる体になっちまったよ」


 毎朝必ず七時には起こしに来る妹のおかげですっかり起床時間が染み付いている。

 そこから二度寝するかはユウイチ次第だ。


 「それは良かったです。早起きと朝ご飯はとても大事ですから」


 太陽の光を背に浴びて、にっこりと笑うミキ。


 「睡眠不足はどうしろと」

 「早寝して下さい。ユウナさんのお手伝いも昼間にするのが良いと思います」

 「……正論過ぎて返す言葉もございません。俺はショートスリーパーだから別に良いけどさ。よっこいしょっと!」


 横になったら寝てしまいそうで、ユウイチは勢いよくベッドから飛び降りる。

 これだけ冷えていれば着替えるのには十分だ。エアコンを切り、大きく伸びをする。


 「おはようございます。兄様」

 「おはよ。着替えたら直ぐ行く」

 「待っています」


 やっとミキはユウイチの部屋を出て、階段を降りていく。

 ユウイチは軽くストレッチをしてからクローゼットの着替えに手を伸ばす。

 寝っぱなしの休日にしても良いのだが、こうして早起きの習慣が身に付いていると何かしたいと思ってしまう。

 それに朝食後に寝てもどの道、昼食にはミキに起こされる。

 私服に袖を通し、机の引き出しからあのカードを取り出す。

 謎のデバイスについて分かったことは幾つかあった。

 強く念じれば左の手首に現れ、なんと武器に変化させることが出来た。時計の文字盤のような本体部分から穂先と持ち手が生え、槍や剣になる。

 そしてカードを文字盤に翳せば姿が変わり、身体能力が向上する・

 ユウナのように特殊能力を持たないユウイチにとってはありがたい代物。とは言え謎が多い。


 「一体何なんだろうなこれ」


 ユウイチは二階の洗面所で歯を磨いてから階段を降りる。

 リビングではミキと母親のアヤメが二人で朝食をテーブルに並べているところだった。

 朝のメニューはシンプルにご飯と味噌汁、メインのおかずは納豆。真っ白なパックが三人分置かれている。


 「おはよー」 

 「あらおはよう。ぐっすり眠れた?」

 「ユーナの所為で睡眠時間は削られた」

 「なら、朝ご飯食べて元気出さないとね」


 ミキと似た明るい笑顔を見せるアヤメ。


 「この家は日の出が三回あんのか……ってあれ? 父さんは?」


 夏の朝食昼食恒例の梅干し瓶をテーブルに置き、ユウイチが気付く。

 朝食の支度が三人分しかされていない。

 三人ほぼ同時で椅子に腰掛けたタイミングでアヤメが答える。


 「仕事。最近は忙しいみたいよ」


 ここ最近、特殊災害の余波で火事が起きることが多くなってきた。


 「今日は非番じゃなかったっけ? また呼び出し?」

 「そうみたい。断っても良いって言ってたけど」

 「父さんなら断るはずない、か」


 自分では絶対に言わないが、ユウイチは何度か父親の同僚に会ったことがあり、口を揃えて頼りになる優秀な人だと言う。

 人の命が関わる仕事であるからか、突然の呼び出しにもほぼ確実に応じる。


 「兄様は父様のそう言うところ、そっくりです」

 「俺は断る時もあるけどな」


 危険察知能力や勘が鋭く、視野の広いユウイチは自分が利用されていると思えば断る。

 所謂、都合の良いタイプにはならない。


 「はいはい、話はそこまでにして。食べましょう」

 「「「いただきます」」」


 ユウイチはテレビの電源を入れてから納豆をかき混ぜる。

 テレビには周りに黄色いテープが張られた家を上空から映していた。赤いランプを回したモノクロの車も集まっている。


 「家……廃屋か?」

 「とても大きな事件のようです」


 やけにボロボロの家屋と警察の数でありきたりな推察をする二人。

 朝食を食べながらニュースを見ているとアナウンサーらしき人の声が聞こえてくる。


 『市内の廃屋で男性が死亡し、警察は殺人事件の可能性が高いと調べを進めています』


 画面の右上のテロップには無数の刺し傷などと書かれている。

 警察の数、廃屋の外見ばかりで死亡現場を全く映さない。地上波には流せないほどに凄惨な現場になっているようだ。

 そこまでだけなら特別変な事件とは思わなかった。

 しかし、次に出された被害者情報を聞き、ユウイチは箸の手が止まる。


 『死亡したのはヒグルマフミヒト。十二年前に連続放火殺人犯として指名手配されていた人物です』

 「十年以上前の連続放火殺人犯? 警察は何やってたんだよ」

 「となると……怨恨の可能性が高そうですね。十年……探して探して探し回ったのでしょうか?」

 「ヒグルマ……」


 鳩が豆鉄砲を喰らったような顔でアヤメが苗字を呟いた。

 ユウイチたちの視線がテレビから母親に移り、何事かと訝しむ。


 「母様のお知り合いですか?」

 「違うわ。ミキは小さかったし、ユウイチも覚えてないと思うんだけどね。ギンが何度か放火魔の現場に参加していたの」

 「父さんが関わった火事の犯人!?」


 まさかの偶然に驚くユウイチ。


 「連続放火殺人と言うことは……亡くなってしまった人たちが……」

 「そうね。全部が全部ギンが関わった火事じゃないけど、救助出来たり、出来なかったり……どうしようもないことかもしれない。それでもギンは辛いって言ってたわ」


 テレビ画面の向こう側に過去のギンを見ているかのようにアヤメが言う。

 窓から差し込む夏の日差しが照らし出すのは暗くなった空気の影。

 その重い沈黙を破るようにアヤメが手をパチンと叩く。


 「朝から暗い話しちゃったね。さ、切り替えて食べよ」

 「そ、そうですね! 食べましょう兄様!」

 「あぁ」


 ミキに促され、箸を進めるユウイチだが。


 『未だに犯人の手掛かりとなるものは一切見つかっていないようです——』


 無機質に文を読み上げるアナウンサーの声が耳から途切れることはなかった。

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