第3話「戦う力」


 「だ、誰か!」

 「あっちか!」


 声がする方へ急ぐ。そこには足を引き摺る女性とオークが居た。

 手負いの獲物を目の前にしてオークは舌舐めずり。いつでも襲えると言わんばかりの余裕綽々な態度はユウイチの登場で消える。

 明確な殺意を感じ取り、ユウイチは女性を庇うようにして立つ。


 「逃げられそうですか?」

 「あ、足が。さっき挫いちゃって……」

 「だったら俺の後ろに。そこから動かないで下さい」


 こちらがオークとの距離を離せないなら近付かせなければ良い。

 ユウイチは即座に前へ。オークに向かっていく。

 棍棒を持つ相手にさっきのような突貫は出来ず、様子を伺いながら足を前へ、前へ。

 オークも鼻息を荒くしながらジリジリと足を進める。

 そして棍棒の間合いになったと同時にオークの腕がピクリと動いた。

 ユウイチはそれを見逃さない。横薙ぎ一閃の棍棒をしゃがんで回避。すかさず棍棒を持っているオークの右手を絡め取り、狭い路地の壁に叩き付ける。

 徹底的に右手を痛め付けてまずは棍棒を奪い去る。そうしないとまず勝ち目はない。

 普段ならそこで勝ち目が見えてくる程度だが、場所はそこそこに狭い路地。


 「さっきの大通りよりはいける!」


 ユウイチは攻撃を上手く流し、前蹴りでオークを壁にぶち当てる。

 そこから壁と反発しあうオークの頭を鷲掴み、更に壁に打ち付けた。鈍い音と気持ち悪い感触が手に伝わってくる。

 だらりと垂れるオークの腕を確認してからユウイチは頭から手を離す。


 「はぁ……はぁ……良し……逃げましょう! 肩を貸します!」

 「……は、はい」


 女性はオークを倒したユウイチに震えながらも肩を借りる。


 「その、ありがとうございます。強い……ですね」

 「いや、素人が首突っ込むことじゃないですよ。それっぽい奴らが駆け付けてたから頼もうと思ったのに話聞かねぇんだもんな……」


 ユウイチは女騎士の姿を頭に浮かべる。


 「でもお姉さんの友達に頼まれたらやるしかないっすよ!」


 女性の不安を振り払おうとユウイチが屈託のない笑顔を作る。

 すると女性は驚いたように目を開く。


 「ミライが? 無事なの!?」

 「多分、あのタイミングなら無事だと思いますよ。丁度特殊部隊と入れ替わりでここから避難しましたし」

 「そう……その口振りだともしかしてミライのことも助けてくれたの?」

 「運良くオークから武器を引き剥がして、しかもタイマンだったから。そうじゃなかったら逃げてます」

 「それでも凄いわ。本当にありがとう」


 噛み締めるように言われたお礼にユウイチは首を横に振る。


 「お礼はちゃんと安全な場所に避難してからでお願いします……っと?」


 路地の出口に近付くと歯切れの良い排気音が聞こえてくる。

 それはユウイチの良く知る音で、案の定ヒスイがユウイチのオフ車に乗ってきた。

 最高のタイミングだ。


 「よっしゃヒスイ! お姉さん乗っけてってくれ。足を怪我してんだ」

 「ユウは?」

 「俺は走れっから大丈夫だって! ほらほら早く」


 そうしてバイクの向きを変えようとしたヒスイが固まった。

 向かい側から来たヒスイの視線はユウイチたちの背後。つまり路地側に向けられている。

 ユウイチもゾクリとした悪寒を感じ取り、振り向く。

 路地の向こうに何かが居る。

 醜い顔で小太り、日本で言う鬼のように腰巻しか身に付けていない一般的なオークとは違う。端正な顔立ちに引き締まった身体、まるで何処かの公爵のような衣服を見に纏う灰色の肌をしたオーク。

 尤も、ユウイチはソレがオークかどうかも分からなかった。

 ただ一つ分かったことと言えば、限りなく危険な奴であることだけだ。

 少なくともユウイチの見立てでは逃げる以外の策はない。どう転んでも戦ってどうにかなる相手ではないのを肌で感じ取った、


 「ヒスイ、お姉さんを連れて早く逃げろ。あれはまずい」

 「でもそれじゃユウはどうするの!?」


 明らかに深刻そうな幼馴染の声色にヒスイが声を震わせる。


 「どうにかする。俺たちが揃って逃げ出したとしてもあいつから逃げ切れるかは分からねぇし、多分無理だ。ここで俺が時間を稼ぐ」

 「でも——」


 ヒスイの答えを聞く前にユウイチは足を前に進める。

 間もなくバイクの排気音が遠ざかる。ヒスイが女性を連れて逃げたようだ。


 「見たところ特殊部隊の人間じゃなさそうだな」

 「だったら何だ? 専門家じゃなきゃ敵じゃねぇって?」


 オークが喋った驚きを隠しながらユウイチは精一杯の虚勢を張る。


 「見下げた根性だと思ってな。女如きに命を張るなんて」

 「喋れるだけで知能は低いんだな。俺は張れる命なんか持ち合わせてねぇよ」

 「格好の良い顔面に格好の良い発言。嫌いだなぁ……」


 オークは頭を掻きむしりながらユウイチを睨む。


 (来る……!)


 そう感じたユウイチが構える。

 読み通り、オークは常人離れした速度で駆ける。だが、目で追える。

 真っ向勝負——と、見せかけて一瞬で姿勢を下げた。

 オークの視界からユウイチは消え、足元の障害物に。

 予想外の行動にオークはそのままユウイチに躓き、転倒。

 その隙にユウイチは路地の出口へと全力で走る。

 立ち位置を入れ替えたことでヒスイたちが逃げた方向とは逆だ。だが、大通りに出ることさえ出来ればあの女騎士たちが居る。

 ユウイチがやるべきことは二つ。

 太刀打ち出来そうにないオークを特殊部隊の居る場所まで引き摺り出すこと。

 そしてそれまで注意を引いておくこと。

 このままだと反対側に抜けられ、ヒスイたちを追われてしまう。


 (バイクだからまさかとは思うけど、念には念を、だ)


 ユウイチは走りながら振り返った。


 「ほら、どうした! 一般人如きに——っ!?」


 煽り文句を言うよりも先にオークが距離を詰めている。

 襲い来る殺意に満ちたオークの右腕。

 足を止めたユウイチが反射で避けると、その先で建物の外壁が派手に崩れた。


 「オレは嫌いなんだよ……オレを見下してくる奴がっ!」


 オークは乱雑に両腕を振るう。

 左右に。

 上下に。


 「顔の良い奴も! 直ぐに汚い物を見るような目を向けてくる女もっ!」


 怒りのまま繰り出される連打をユウイチは全力で避けて——避ける。

 一撃を貰うことすら許されない威力。

 しかし、単調。力任せに攻撃が飛んでくるだけであればユウイチは何とか出来る。


 「見た目にコンプレックス抱えてんだな。だったらもっと酷い顔にしてやらぁ!」


 見切れるのであれば恐怖は薄い。

 ユウイチは隙を突いてオークの顎を肘で打つ。続け様、腹部に回し蹴り。

 手加減なしの連打でも効くかどうかは分からない。だから最後に本気で股間に膝を入れた。

 声も出せずに苦悶の表情を浮かべるオーク。

 文字通り歪んだ醜い顔を拝めたユウイチはくるりと反転。そそくさとその場から退避したかったのに体が止まる。止められる。

 悶絶していたはずのオークは逃げようとするユウイチの服を掴み、後方へ投げ飛ばす。

 地面に体のあちこちをぶつけながらユウイチは頭だけを必死に守る。

 やっと体が止まり、痛みを堪えながらオークを見るユウイチ。


 「おいおいおい! まじか!?」


 金的を喰らってもオークはドタバタとユウイチに急接近。流石に速度は落ちているが。

 ユウイチは倒れた体を急いで起こす。頭を守っていた両腕をそのままに姿勢を低く構える。


 「簡単には殺さねぇぞクソ野郎っ!」

 「っ!」


 痛め付ける方向に変わったとて桁違いの威力に変わりない。

 その嵐のような連撃をユウイチはケイシと呼ばれる格闘技を用いて回避と受け流すことだけ考えて捌いて、捌いて、捌く。

 時折、間を作る為だけにカウンターを打ち込むがさほど意味はない。

 逃げる隙も見当たらず、集中力が一瞬途切れた。

 刹那、ユウイチの腹部に重い衝撃。


 「おぐっ——!?」


 オークの左拳をモロに喰らい、しかも乱暴な前蹴りのおまけ付き。

 再度地面に転がされ、なんとか勢いを利用して膝立ちで止まる。


 「がっ……ゲホっ!」


 腹部をぐるぐる回る吐き気と痛み。


 「良いな良いなぁ! 次はテメェが歪む番だ! はっは!」


 ユウイチの額に汗が流れる。暑さから来るものとは別だ。

 非常にまずい状況だった。

 戦うには力が足りず、逃げるにも隙を作れない。

 手詰まりだ。

 このままでは殺される。


 (こんなところで……死んでたまるか……!)


 それでもユウイチは強く、願う。

 誰かを助けるなら自分も無事でなければならない。そうでなければ助けられた人が罪悪感を覚える可能性があるからだ。

 それに人助けがそれっきりで終わってしまう。

 ユウイチは心さえも折ってしまいそうな痛みを抱えながら、立ち上がる。

 オークは眉を顰める。


 「まだそんなムカつく顔が出来るのか」

 「見下げた根性だろ?」

 「無謀とも言う。普通の人間にこのオレを倒せるかってんだよ!」

 「来いよ。何が何でもぶっ倒す」


 口ではそう言いながら、ユウイチは頭をフル回転させる。

 敵との力量差を埋める何かを探す。

 すると、左腕の手首が光る。


 「ん!?」


 ユウイチが驚き、オークも一旦動きを止めた。

 発光が収まり、ユウイチの左手首にはさっき拾って消えたはずの謎のデバイスが現れる。


 「これは……」


 何が何だか分からないのはオークもユウイチも同じだ。

 ユウイチが戸惑っていると、ポケットの中から一枚のカードが飛び出した。デバイスを見付けた時に拾った謎のカード。

 カードは独りでにくるくるとユウイチの周囲を回り、最後はデバイスの上に重なる。

 またもやパッと光を放ち、ユウイチの全身を包み込んだ。

 そうして光の中から現れたのは様変わりしたユウイチの姿。白銀に輝く透き通った髪、橙色の派手な服。

 とても同一人物とは思えない変わりようだった。


 「うお!? なんだこれ!? 服変わってる!?」


 オークは当然、ユウイチも自身の変化に目を丸くする。

 服は長袖になったのにひとっつも暑くない。涼しいくらいだ。

 そうやって服を見る流れでユウイチは気付く。

 体が軽い。

 オークが面食らってるのを良いことに地面を蹴るユウイチ。

 間合いを即座に詰め、空中でオークの後頭部に蹴りの一撃。振り抜いた右足はあれだけ頑丈だったオークの頭を弾き、アスファルトに叩き付けた。

 明らかな手応え。


 「これは凄い。何が何だか分かんねーけどありがたい!」

 「殺すっ!」


 体を起こす力でバネのように伸びながら繰り出されるオークの拳。

 手加減なしの拳打をユウイチは避けずに敢えてガード。


 「なっ!?」

 「やっぱり。俺の身体能力が桁違いに上がってるぜ!」


 重さも痛みも感じるが、余裕で耐えられる。

 避けることしか出来なかった攻撃が受け止められ、ユウイチの攻撃も通るようになった。


 「さあ! 第二ラウンドと行こうぜ不細工野郎!」


 ユウイチが意気揚々と声を上げ、後回し蹴り。

 それが戦いのゴングとなり、第二ラウンド開始。

 互角の戦いが繰り広げられる——かと思いきや、勝負は一方的だった。

 オークの動きはパワーだけで戦う動きは素人そのもの。

 ユウイチと戦う上でパワーと言う最大のアドバンテージが消えた。その時点で勝敗は決まっていたのだ。

 自慢のパワーを軽々と受け止められ、躱され、流れるようなカウンターの連打。

 羽のように軽く、速い。

 そして、重い。

 オークの思考に焦りが浮かぶ。このままでは負ける。


 「最後のいちげ……き、っと?」


 ユウイチの攻撃を寸でのところで避けたオークは跳躍。建物の屋根へ飛び乗り、逃げ出してしまった。

 一瞬、ユウイチの頭に追い掛ける判断が浮かんだが。


 「ま、良いか。取り敢えずヒスイに連絡しよう」


 倒すとは口走ったものの、撃退出来たから良しとした。

 スマホを取り出そうとすれば、デバイスからカードが飛び出し、ユウイチの姿も元通り。

 ユウイチはヒスイと電話しながらぼんやりとカードを見つめていた。

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