第2話「オーク騒動」


 とある夏の昼下がり、高校生の男女がカフェのテラスで談笑していた。


 「うーわ、暑っちぃ……アイスがどんどん溶けていく……」


 ソーダの上に乗っかったアイスをスプーンで突きながら、黒髪の男子高校生——ミヨシユウイチが言う。

 炎天下の正午の暑さはかなりのもので、そのままユウイチまでが溶けてしまいそうだ。

 外でも家のようにだらけた顔の幼馴染を見て、対面に座っている女子高生——ミノワヒスイは呆れた顔で口を開く。


 「だから中にしようって言ったのに。ユウがテラスの方がお洒落っぽいとか言うから」

 「ほらさ、だって外なら色んな人が歩いてんのを見られるだろ?」

 「うんそれで?」


 また始まったよ、と言わんばかりの表情で抹茶ラテの氷をストローでかき混ぜるヒスイ。


 「可愛い子とか美人を見られるかもしれない!」


 ユウイチは所謂面食いだ。あくまで個人の好みではあるが、日常的に好みの美人を見つけては喜んでを繰り返している。

 とは言え、声を掛けたりする訳じゃなく、ただ見て満足するだけだ。

 それだけで十分なのだ。


 「楽しいのそれ?」

 「元気になれる。俺なりのメンタルコントロール。顔の良さは正義! 楽しいことが多くて困ることはないからな!」

 「本当にユウは昔から悩みとかなさそうだよね。将来のこととか不安にならないの?」


 二人は丁度高校二年生。少しずつ大人に、自立に近付いてくる年頃。

 薬剤師になりたいと明確な目標がありながらヒスイは不安で一杯だ。

 受験は上手くいくのか。

 合格したとして大学の授業に耐えられるのか。

 果たして卒業した後、ちゃんと社会人として仕事をしながら生きていけるのか。


 「んー、俺は——あっ」


 ユウイチは話の途中で突然席を立ち、テラス席から飛び出してしまう。

 何があったのか大体察したヒスイは落ち着いた様子で立ち上がり、目だけでユウイチを追う。会計を済ませていないのに二人同時で店からは出られない。

 ヒスイの視線の先ではユウイチが尻餅をついた小学生くらいの男の子に駆け寄っている。

 男の子の右膝からは赤黒い血が出ており、目には涙も浮かべていた。


 「こりゃ痛いな。痛かったら泣いても良いぞ? ヒスイ! 水と絆創膏あるかー?」

 「あるよー! ちょっと待ってー!」


 ヒスイは鞄から絆創膏などが色々入ったポーチと水のペットボトルを取り出し、離れたユウイチに向かって投げる。

 ユウイチは難なくキャッチ。


 「ちょっと痛いぞ」


 ペットボトルを開けて、男の子の傷にぶっかける。

 ヒスイのポーチから小さなハンカチを取り出し、ポンポンと叩くようにして水分を取ってから絆創膏を貼り付けた。


 「立てそうか?」

 「……うん」


 小さく頷きながら男の子が立ち上がる。


 「怪我には気を付けるんだぞ? 後、暑いから水はやる」

 「ありがとうお兄ちゃん!」

 「あぁ、また会った時はよろしくな!」


 涙まで流していたのに男の子は嬉しそうに走り去っていく。

 ユウイチはその後ろ姿を見送りながらヒスイのところへ戻る。


 「絆創膏とかありがとな。それで、何の話だったっけ?」

 「将来のこととか不安にならないのかって話」

 「あー、そうだな。あんまり。消防士になりたいとは思ってるけど未来のこと考えてても良く分かんねーもん。俺は今出来ることをやるだけって感じだな」

 「ユウはそうだよねぇ。昔っから困ってる人見かけたら絶対声掛けるもんね」


 父親に憧れて消防士になりたいユウイチは昔からそうだ。

 友達なら当然。

 見知らぬ人でも。

 嫌いな人であっても必ず声を掛ける。

 それで助けてと言われれば助け、要らないと言われれば退く。

 ただし、自分勝手な願いは引き受けない。都合の良いタイプではなかった。


 「誰かに頼られるって嬉しいんだよ」

 「私はそこまで誰彼構わず手は差し伸べられないかなー」

 「良いんじゃん? 俺だって届く範囲だけだし、拒否されたらどうしようもねーし」


 無差別に声を掛ければそれなりに拒否されることも煙たがられることもあった。

 ユウイチも最初こそ拒否されるのは心にくるものがあったが、最近はもう拒否されてもどうでも良いと思うようになってきた。

 特に命が関わる状況でもなければ嫌がる人の手を無理矢理引っ張ろうとはしない。

 無論、命が関わる状況に居合わせたことはないが。 


 「ま、先のことばっかり考えてないで今を楽しもうってこと」

 「そんなもんかなー」

 「そんなもんだよ。明日の天気予報だって外れたりするんだから。もしかしたら明日世界が終わっちまうかしれねーんだぞ?」

 「割となくはなさそうなラインなのが困るね……」


 魔法やらがある世界では何かの間違いで一気に終末まっしぐらの可能性もある。

 そこで丁度、ユウイチがクリームソーダを飲み干し、席を立つ。


 「んじゃ、そろそろ出るか。暑いし」

 「だね。これからどうする? どっちかの家行く?」

 「服見に行きたいとか言ってなかったか?」

 「いや……まあ、折角出てきたから行きたいけど暑い!」

 「家でゆっくりするかー」


 そうしてユウイチがレジで会計を済ました直後のことだった。

 辺り一帯に聞き慣れたくないのに聞き慣れたサイレンが響く。

 和やかだった平和な空気は一瞬で崩れ去り、街行く人々の体がビクッと跳ねる。


 『特殊災害警報! 特殊災害警報! 直ちに身の安全を確保して下さい!』


 サイレンと共にアナウンスが響き渡った。


 「少しは避難する方向とか言えよ!」

 「あ! でもあっちから人が走ってくる!」


 不親切な避難勧告に怒るユウイチ。

 ヒスイの指差す方向からは大勢の人々が逃げてきて、それに釣られて逃げ場の分からなかった人たちも同じ方向に慌てて逃げ出す。

 ユウイチは逃げてくる人々の奥を凝視する。

 追い掛けてくるのは緑色の肌をした人型の魔物——オークだ。


 「オーク? こんなところに?」


 この近くに異世界の扉はなく、知能の低いオークが近くに住み着いている可能性もない。

 訝しむユウイチの袖を引っ張るのはヒスイだ。


 「私たちも逃げよう!」

 「分かってる——あっ」


 ユウイチの視界に映るのは転ぶ女性の姿。背後に迫るオーク。


 「やっぱ無理」


 逃げる方向とは逆に走り出す。

 今まさに、オークが手に持った棍棒を振り下ろそうとした時、ユウイチが顔面に飛び蹴りを浴びせた。

 勢いの乗った一撃にオークはゴロゴロと転がっていく。

 あちらの体勢が戻る前にユウイチは地面にへたり込んで目を瞑る女性に声を掛ける。


 「早く、逃げて下さい。ほら立って! 目開けて! 逃げる道すら分からなくなっちゃいますよ!」

 「は、はい。ありがとうございます……でも、あっちに友達が!」


 立ち上がった女性は路地の方向を指し示す。


 「俺がなんとかします。だから逃げて下さい」


 ユウイチが背中を押し、女性を逃す。 

 それと入れ替わるようにヒスイが駆け寄る。


 「ヒスイ、鍵預けるからこっちまで乗ってきてくれ。そしたら逃げよう」


 ユウイチはバイクの鍵を手渡す。


 「そしたらって。ユウは?」

 「やることが出来た。じゃあ任せた! ほら行った行った! オークが起きるぞ!」


 蹴り飛ばしたオークはユウイチを一直線に見つめている。睨んでいる。

 手に持っていた棍棒はさっきの勢いで何処かに吹っ飛んでいったが、回収しようとする素振りは見せない。相当頭にキているらしい。


 「武器なしなら……いけるな」


 大きく深呼吸をして、ユウイチが構える。

 オークは人とはかけ離れた唸り声と共に突進。

 ユウイチはそれを真正面から受け止め、お互いの両手を組み合わせた力比べ……なんてするはずもなく、力を抜く。

 フワッとオークの体がつんのめる。

 そこへユウイチは思いっきりヘッドバッドを叩き込んだ。

 仰け反り、倒れそうになるオークをユウイチは逃がさない。

 左手でオークの右腕を掴み、空いた右手の掌底で顎を突き上げる。更に両腕で頭を掴んで膝を鼻っ面に突き刺した。

 異世界の魔物で多少頑丈とは言え、体の構造は人とそう変わらない。

 頭部に何度も攻撃を喰らえば洒落にならない。

 意識が飛びかけ、ふらふらのオーク。

 ユウイチは両腕でオークの右腕をがっちり固めて体を捻りながら折り曲げる。


 「よっこいしょお!」


 容赦ない一本背負いでアスファルトに叩き付けられたオークはピクリとも動かなくなった。


 「ふぅ……っておお!? 多くね!?」


 息を吐く暇もなく、前方を見ればオークの大群が押し寄せてきていた。

 確かに特殊災害警報が鳴る規模である。


 「うわ……これ、路地まで行けるか?」


 女性の友人を助けるにはあの数のオークを掻い潜り、一緒に逃げなければならない。

 ノロノロもしてられない状況で金色の髪がユウイチの視界を横切った。


 「協力感謝する。だが、逃げてくれ。ここからはワタシたちの仕事だ」


 明らかに地球人ではない剣を携えた金髪の女騎士と共に警察とはまた別の組織が駆け付ける。

 詳しいことは伏せられている特殊災害専門の部隊だろう。

 配色は違うが、同じデザインの制服を身に纏った隊員たちが恐れることなくオークの大群に進軍する。


 「あの! あっちに逃げ遅れ——」

 「君は早く逃げるんだ!」


 ユウイチの話を聞かずにそそくさと駆け出す女騎士。


 「話聞けよっ……! 守るべき人の声を聞けよっ!」


 困ってる人を放っておけない性格でもユウイチは一般人。その道のプロが居るのなら任せるのが一番だと考えている。

 だが、こうなっては腹を括るしかない。


 「オークの一人くらいならギリなんとかなるか……ん?」


 いざ駆け出そうとするユウイチの足下に何かが落ちていた。

 それはアンティークの時計のようで、仮面を被ったヒーローや光の巨人に変身するアイテムにも見えた。

 ユウイチはそれと傍に落ちていた一枚のカードを拾う。

 急がないといけないのに不思議と手が伸びた。


 「天使……? 何だこれ?」


 カードには木の根元のような場所の水辺に居る美麗な女性が描かれていた。

 その時、左手に持っていた謎のデバイスが音もなく消える。


 「うお!? 何処行った!? ってこんなことしてる場合じゃねぇ!」


 ユウイチは目的を思い出し、カードをポケットに突っ込みながら言われた路地へと走る。

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