第12話 友達から始めてください
もっと抵抗されるかと思ったが、意外にもすんなりと桜子の顔が近づいていた。
あくまで『寸止め』にするつもりで、桜子の
次の瞬間、ガンッと
「イテッ」
メガネをかけ慣れていないせいで、人との距離感がわからなかった。
まさか『寸』より、メガネの方が近かったとは。
圭介は桜子を離し、メガネをはずして痛む眉間をこすった。
(ちくしょー! おれ、めっちゃカッコ悪!)
あまりに自分が間抜け過ぎて、恥ずかしさのあまり、しばらく顔を上げられなかった。
(絶対笑ってるよな!?)
しんと静けさが漂ったままなので、圭介は上目でそろそろと様子をうかがった。
桜子はゆでタコのように真っ赤な顔を両手で覆っている。
(……おれが想像していたのと、ずいぶん違う反応なんだけど)
逆襲したつもりで、まったくもって決まらなかった圭介を見て、てっきり
もしくは、反撃されるとは思わず、怒り心頭か。
そのいずれかだと思った。
この二か月、圭介は教室の中の『お嬢様』たちを見てきて、彼女たちの全部が『箱入り娘』ではないことに気づいていた。
今が青春の盛りと言わんばかりに、親の金で親の目を盗んで、夜遊びにいそしんでいる女子がとにかく多い。
いずれ親の決めた相手と結婚しなければならないのがわかっているからこそ、それまでは自由に恋愛を楽しみたいのかもしれない。
圭介を誘うようなことを言ってくるからには、桜子もそういう女子の一人なのかと思ったが、どうもそうではないらしい。
(普通に『箱入り娘』なのか?)
しかし、それもまた納得がいかない。
そういう女なら、
(わけわからねえぞ、この女)
とにかく、桜子は嘲笑っているのではないので、圭介が驚かせてしまったのは確かなのだろう。
「悪い。冗談が過ぎた」と、謝っておいた。
「あ、なんだ、冗談……。びっくりしちゃって」
桜子は目をキョトキョトと泳がせ、落ち着かない様子で目の前に座っている。
(ちくしょー! やっぱ、むちゃくちゃかわいいじゃねえか、この女!)
「これに
(おれみたいなバカ男がカン違いするから……)
「ごめん。なんか、言い方が悪かったみたい。瀬名くんのことをいろいろ知りたいって言ったのは、友達になれたらなって思ったからなの」
「友達?」
「でも、友達になってくださいってストレートに言ったら、告白みたいで変かと思って。難しいね、この歳になると男の子と『友達』になるのって」
桜子はへへ、と少し困ったように笑った。
「……つまり、あんたはおれと色恋なしの友達になりたいって言ってるのか?」
桜子はコクンとうなずく。
「正直ね、この学校が嫌で嫌で仕方がなくて、何度もやめようと思ってたんだ。けど、瀬名くんへのイジメを放ってやめるのも後味悪くて。
で、ようやく収まって思い残すことはなくなったんだけど、あたしがいなくなったら、また同じことが起こるのかと思うと、心配でやめられないし。かといって、このままこの学校にいるのも苦痛だし。
瀬名くんとは一番話が合いそうだし、一人でも仲のいい友達ができれば、学校生活も楽しくなるかと思ったんだ」
「苦痛って、あんたの方がおれなんかより、よっぽどなじんでると思ってたけど」
たとえ周りの女子と話がかみ合わなかったとしても、ちやほやされて悪い気になる人間はいないだろう。
富と権力のある人間は、当然
「そう見える? あたしからすると、どうもみんなと話は合わないし、遊びに行くにもお金かかるとこばっかで、あたしにはついていけないし。
それだけならまだしも、権力におもねって愛想笑いばっか浮かべて、機嫌を取ってくるような人たち、友達とは呼べないよ。
おまけに親の権力で人の優劣を決めて、子供じみたイジメまでする。高校生にもなって、いつまでバカなことやってんのよ!
あんなのが将来を担う大企業のボンボンやお嬢かと思うと、未来の日本はお先真っ暗だわ!」
桜子は話しているうちに怒りも頂点に達したのか、そこまで言い切って、机をドンッと拳で叩いた。
どうやら、みんなの語る桜子の『やさしい笑顔』も『物腰のやわらかさ』も、作り物だったらしい。
そういえば、この放課後、こうして顔を突き合わせて話していても、桜子は他のクラスメートに見せる笑顔を圭介に対して見せていない。
クラスの中で愛想のいい美少女然とした桜子は、どこか人間離れした完璧な深窓の令嬢だったが、実際、目の前の桜子は感情豊かで、表情もくるくると変わる。
美人なのは変わりないが、ごく普通の女子高生に見えた。
そんな桜子をもっと知りたいと思ってしまう。
居心地の悪いこの学校で、こんな風に桜子といつも話ができたらどれだけ楽しいだろう。
しかし、友達になりたいと思う一方で、桜子の魅力を知れば知るほど、『友達』ではいられなくなりそうだ。
『桜子に必要以上に近づかないこと』
それは好意を持たないようにするための必要条件だった。
近づいたら恋をする。
だから、近づいてはいけなかったのだ。
貴頼との契約が圭介の頭にずしんと重くのしかかってくる。
しかし、彼は『好意を持つ』イコール『好きになること』だと言った。
それが恋愛感情を指すのなら、圭介がどんなに恋をしようが、それを貴頼に悟られなければいい。
桜子と『友達』でいる限り、契約違反には当たらないはずだ。
(おれだって、せっかくの高校生活、もっと楽しんだってバチは当たらないだろ?
そのためなら、あいつをうまく言いくるめることくらいしてやる)
「ずいぶんストレスためてたんだな。この学校がどういうところか、だいたい想像ついてたんだろ? なのに、なんでこの学校に来たんだ? 中学は公立に行ってたのに」
「う、それを聞く?」
桜子はイヤそうに顔をしかめる。
「笑える話じゃないなら、やめとく」
「ちょっと、そこは興味津々に聞くところでしょ?」
ぷうっとふくれる桜子をやはりかわいいと思ってしまう。
恋するとわかっていても、近づきたい。
誰よりも近くにいたい。
それが『友達』という立場であっても、今はかまわなかった。
「ほら、言いかけたんだから、ちゃんと話せよ。笑えない話でも聞いてやる。友達としてな」
圭介にとって『友達になってください』は、やはり改めて言うには照れくさい言葉だった。
だから、冗談交じりにしか言えなかった。
きっとその言葉は桜子のものと違って、『友達から始めてください』という告白以外の何物でもなかったから。
そんな『告白』でも、桜子はうれしそうに鮮やかな笑顔を向けてくれたので、圭介も笑顔を返した。
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