第23話 『無効』は残念すぎる

 登校時、いつのまにか圭介の乗る電車の車両に藍田兄弟が乗ってくるようになっていた。


 衝撃の告白の翌朝も圭介がいつもの電車に乗っていると、「おはよう」と桜子が弟と妹とともにさわやかな笑顔で声をかけてくる。


「圭介、コンタクトにしたの?」


 目を丸くする桜子に圭介は「まあな」とうなずいた。


 昨日、薫子に言われた通り、貴頼への定期連絡とともに問い合わせてみたところ、『かまわない』と返事が来たのだ。


 おかげで、圭介は必要のない伊達メガネと目にかかるむさくるしいカツラともオサラバできて、今朝はなんだか気分がいい。


 圭介の姿を見て、薫子も貴頼の返事がどうだったのかすぐに悟った様子だった。


「うん。やっぱりそうしてた方がずっと素敵だよ」


 まぶしそうに目をほんのりと細めた桜子に笑顔で言われると、圭介の顔が思わずてれっととろけそうになる。


(いやいやいや、お世辞だって! 間に受けてどうする!?)


「桜ちゃーん、妹のカレシにちょっかい出すのはダメだよー」


 揶揄やゆする薫子に、桜子は振り返って目を吊り上げる。


「もう、何がカレシよ! 圭介を都合よく利用して!

 圭介、ごめんね。薫子が迷惑かけて」


「……それくらい大したことじゃねえよ。薫子も本気で困ってたみたい、だし……」


 薫子の目が『うまく話を合わせておけ』とにらみをきかせているのを見て、圭介はどもってしまった。


「桜ちゃん、今日はご機嫌だよねー。そんなにあたしが瀬名さんと付き合ってなかったことがうれしかった?」


 桜子のさらなる突っ込みをかわすべく、薫子がすかさず話の流れを変えてくる。


「もう、なに、バカなこと言ってるのよ。今日は久しぶりに朝から青空だから、気持ちがいいだけだよ」


 薫子の言う通り、桜子はいつになく機嫌がよさそうなのは確かだった。


 怒ったような顔をする桜子の頬が、ほんのり赤く見えるのは圭介の気のせいか。


 圭介も電車の窓の外を振り返れば、梅雨に入って厚い雲に覆われていた空が晴れ渡り、青色がまぶしい。


 圭介自身も今日初めて、いい朝だと気づいた。


 薫子が気づくような桜子の些細ささいな表情の変化は、圭介にはわからない。


 天気の良さばかりでなく、薫子との間に何もないことを知ったのが機嫌のいい理由だとしたら、本当にほんの少しは期待してもいいのかもしれない。


 しかし、今はただ、桜子が天気の良さにさえ喜びを感じる女の子だということを知っただけでも、圭介にとっては充分だった。


 桜子と出会ってまだ間もないのだから。


 これからも一緒にいることで、桜子を少しずつ知っていければいい。


「ねえ、圭介。ほんとにコンタクトしてる?」


 気づけば桜子に目をのぞき込まれていた。


 圭介がドキリとしたのはコンタクトをしていないことがバレた、と思っただけではない。


 鼻と鼻がぶつかりそうなほど、桜子の顔が至近距離に迫っていたのだ。


「姉さん、顔近すぎ。瀬名さん、びっくりしてるよ」と、彬の声が聞こえてくる。


「あ、ごめんごめん。ついいつものクセで」


(いつものクセってなんだよ?)


 圭介が改めて桜子の顔を見た瞬間、彼女の目がドキリとしたようにわずかに見開かれ、瞳が揺れたように見えた。


 揺れたのは気のせいではない。


 電車が突然ガタリと揺れ、「あ」と四人が声をそろえた時には、桜子は圭介の腕の中に倒れ込んでいた。


 もともと触れそうなほどに近くにあった顔は、まっすぐに圭介の顔にぶつかってくる。


 ガキッと前歯に衝撃が走って、「いってえ」と圭介は目に涙を浮かべて口を押えた。


 同じく目の前では、桜子も「いったーい」と口を覆っている。


(ぶつかったのが口と口ということは……?)


 圭介はまさかと思って、自分の顔が見る見るうちに赤くなってくるのがわかる。


 桜子もそれに気づいたのか、口を押えたまま湯でダコのように顔を赤くしている。


「あーあ、どさくさに紛れてチューしちゃったよ」


 薫子のトドメの一言に、自分たちが何をしたのか、傍目はために映っていた事実が発覚した。


「ち、違うから! 歯がぶつかっただけの、ただの事故なんだから! こんなの無効よ! そうよね、圭介!?」


 桜子の必死の形相に圭介は、事故はともかく『無効』とまで言われ、内心がっかりしながらもうなずいた。


(ああ、おれのファーストキスは幻に終わったのか……)


 しかも、痛い思いをしただけで、なんだか損した気分だった。

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