第24話 お父さんに会うのが怖い
日曜日、圭介は持っている服を端から引っ張り出して、鏡の前でとっかえひっかえしていた。
四畳半の狭い部屋の中は、すでに起き抜けの布団と共に足の踏み場もない。
ゴソゴソとうるさかったのか、寝ていたはずの母親が起きてきて、
「なに、どっかに出かけるの? デート?」
寝ぼけ
「ちげーよ。友達んちに呼ばれてんの。おれ、ロクな服持ってねえ!」
最近、服を買っていなかったので、ヨレヨレのジーンズや洗いざらしたTシャツばかりしかないのだ。
出かける今の今まで着ていく服のことをまったく考えていなかった圭介が悪いのであって、母親に当たる理由はそもそもないのだが。
「友達って、青蘭の?」
「そうだよ」
「あんたを家に招待するなんて、変わった生徒もいるのねえ」
「確かに……」と、圭介はしみじみとうなずいていた。
「もしかして、あんた、イジメにあっていて、嫌がらせで呼ばれたとかじゃないの?」
それだったらわかるわ、と言わんばかりに母親が言った。
「そんなんじゃねえよ。まあ、お嬢にしちゃ変わってるけど、クラスで一番仲いい奴だよ」
「お嬢って、女の子なの? なに、女王様タイプ? あんた、下僕になったとか? いやよー、息子がマゾなんて。お母さん、そんな風に育てた覚えないわ!」
よよと泣くマネをする母親に、圭介はげんなりしてしまった。
「母ちゃん、頼むから下世話な話は、店だけにしておいてくれ……」
「ま、冗談はさておき、あんたを友達だって言ってくれる子の家なら、何着ていったっていいじゃない。ミエ張ったところで、たかが知れてるでしょ」
「あいつに会うだけならそんな気遣いいらねえけど、父親に会うにはあんまり変な格好もして行けねえだろ」
「ウソ、やだ。親に紹介って、そういう関係なの?」
母親はぱっと両手を口元にあてて、今にも笑い出しそうな顔で目をきらめかせる。
「そういう関係って?」
「友達とか言って、実はカノジョなんでしょ? 交際の許可をもらいに行くの? で、許可が下りたら、あんたは晴れて逆玉? やるわねえ」
「……おい、期待してるところ悪いけど、全然そんなんじゃねえから」
「どう違うのよ?」
「あいつの語る父親像ってのが、ウワサと全然一致しないから『納得いかない』って言ったら、『じゃあ、会ってみればわかるよ』みたいな簡単なノリで言われて……あれよあれよって間に会うことになっちまったんだよ!
おれ、何かやらかしたら、うちなんかあっという間に路頭に迷うんだぞ! ただでさえ貧困にあえいでるってのに、これ以上、不幸が襲ってきたら、どうやって生きてくんだ!?
そんな父親に会いたいなんて、おれが思うわけないだろーが!」
そう、会うことになったものの、圭介は内心恐ろしくてしょうがなかったのだ。
この恐怖を吐き出す機会もなく今日を迎え、今ようやく泣き出さないのが不思議なほどのレベルで本心を母親に訴えることができた。
「なに、彼女の父親、そんなに大物なの?」
圭介はうなだれるようにコクンとうなずいた。
「藍田グループの
「『藍田』って、あの藍田グループ? 日本の経済界を牛耳ってる?」
「そう……」
「あんた、その娘と友達なの?」
「何の因果か」
「まさか、藍田音弥の長女なんてことはないわよね?」
「そのまさかだよ」
驚くのも無理はない。
母親はしばらく絶句し、それからブヒャヒャといきなり笑い出した。
「ウソだと思ってんのかよ!?」
「ないないないないない。それだけは絶対ないから、安心して招待されときなさいよ」
母親は笑いがなかなか収まらないのか、とぎれとぎれにそう言った。
「何が絶対ないんだよ?」
「だって、相手は藍田桜子さんでしょ? 社交界の『姫』よ? 藍田音弥にとってあんたなんて、物の数に入ってないんだから、あんたが娘に近づこうが、ヘマしようが、うちみたいな弱小一家をつぶすなんて、
「母ちゃん、まさか、藍田音弥を知ってんのか?」
「やーね。知ってるわけないでしょ。お目にかかれるものなら、一晩お相手してほしいくらいよ」
圭介は一気に脱力して、がっくりと頭を落とした。
「おい……。どさくさに紛れて不倫したいとか、息子の前で抜かすんじゃねえよ」
「でもねえ、あそこまでイイ男だと、ちょっとふらっとしてもあの人も許してくれるわよー」
(まあ、確かに……)
桜子と友達になってからは、圭介も時々テレビに出てくる藍田音弥に注目していたので、思わず同意したくなる発言だった。
完璧王子系の彬からさわやかさを引いて、大人の色気と知性をマシマシにした『オジサマ』――と言うのもはばかられるカッコいい男なのだ。
藍田音弥は母親より三つ年上の三十八歳。
学校で彬がキャアキャア言われるように、父親の方も同世代の女から人気があってもおかしくない。
「とにかく、そういう寝言は離婚してから言ってくれ。青少年の教育上、問題だろうが。
ちくしょー。話がそれてやがる。まともに話を聞いてソンした」
「ねえ、そういえば、時間はいいの?」
母親に言われて、圭介がはっと壁時計を見上げると、そろそろ家を出なければいけない時間になっていた。
「やべえ。まだ着ていくものが決まってねえ!」
「決まんないなら、制服でも着ていけば?」
「なんで日曜日に制服なんか着なくちゃならねえんだよ?」
「あら、あんたが持ってる服の中で一番高価で、唯一のブランド物じゃない。そもそも制服は学生なら
「そ、そうか……?」
確かに足元に転がっている服より、タンスの脇にかけられた白シャツとモスグリーンのネクタイ、茶系のチェックのスラックスの方が藍田家訪問にはふさわしい服に見えてくる。
「じゃ、じゃあ、今回は制服で行くことにしよう」
圭介は時間もないことからさっさと決断を下した。
あとになってこの母親は、「本当に制服着ていくとはねえ」と大笑いをしてくれたが。
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