第21話 このモヤモヤは何?

 なんだか、自分の名前を何度も呼ばれているような気がする。


 ぼんやりとする頭の中で、桜子はそんなことを思った。


「桜子さん、大丈夫?」


 我に返って声のする方に顔を向けると、クラスメートの葛城かつらぎ杏奈あんなが目の前に立っていた。


「あ、うん、大丈夫」


 そう返事をしながら辺りを見回すと、桜子はシャンデリアのかかった豪華なダイニングテーブルに座っていることに気づいた。


(ここ、どこ?)


「それで、お茶でいい? コーヒーの方がいい?」


「あ、ええと、お茶でお願いします」


 どうも学校を出てからの記憶が飛んでいるらしい。


 桜子は目を覚ますようにプルッと頭を振った。


 放課後、いつも通りクラスの女子たちに車で送らせて、と誘われたのは覚えている。


 確か、その中でお勧めのマカロンでお茶をしようと言ってきた杏奈の家の車で送ってもらうことにしたのだ。


 どこかのカフェに行くのかと思いきや、連れてこられたのは杏奈の自宅。プール付きのモダンな大豪邸。


 建てたばかりのところを見ると、成金という話は本当らしい。


 玄関に入るやメイドに出迎えられ、あれよあれよという間に、このダイニングに案内されたのだ。


(……ていうか、あたし、なんで送ってもらうことになんてしたの?)


 そういえば、午後の授業もあまり思い出せない。


(もしかして、体調悪い?)


 さらに過去までさかのぼってみると、頭が半分真っ白になったのは、昼休みのトイレでクラスの女子たちと会った時だった。


「桜子さんはもちろん知ってたわよね。妹さん、瀬名くんに告白したんですって」

「瀬名くんもオーケーして、青蘭始まって以来の格差カップル誕生」

「雲泥の差でしょー?」


 ――などという寝耳に水な話が、立て続けに桜子の耳に飛び込んできたのだ。


(でも、どうして? 薫子、あたしにそんなこと一言も言ってなかったよ。

 男の子に興味ないって言ってたのに、本当は圭介が好きだったの?)


 聞きたいことがいっぱいあるのだから、一緒に帰りながら話を聞けばよかったのに、なぜか杏奈に送ってもらうことにしてしまった。


 桜子自身は呪いのせいでカレシを作らないと決めているが、妹には普通に恋をしてほしいと思っている。


 だから、初めてカレシができた薫子の成長を喜んであげるべきところだ。


 なのに、素直に喜べない。


 薫子が自分の気持ちを隠していたことが気に入らないのか。それとも、その相手が圭介だからなのか。


 圭介は今まで友達として付き合ってきて、話しやすく一緒にいて居心地のいい人間だということはわかっている。


 だから、妹のカレシになっても反対する理由はない。


(じゃあ、なんで? なんで、こんなにモヤモヤしてるの?)


「桜子さん、本当に大丈夫? さっきから、ぼんやりしているみたいだけど……」


 杏奈の声が聞こえて、桜子は再び現実に戻った。


 目の前のことにまったく集中できない。こんなことは初めてだった。


「やっぱり気分がよくないみたい。今日は帰るわ。せっかく誘ってくれたのに、本当にごめんなさい」


「ううん、こっちこそ。無理させちゃって、ごめんなさい。運転手に家まで送らせるから、乗っていって」


「ありがとう。埋め合わせは必ずするわ」


「そんなこと気にしないで」と、杏奈は朗らかに笑った。


 杏奈の好意を台無しにしてしまい、桜子は罪悪感を覚えながら玄関の前に停まっている車まで送ってもらった。


「これ、今日食べようと思っていたマカロン。まだ日持ちすると思うから、気分がよくなった時にでも食べて」


 そう言って、杏奈は車に乗った桜子にパステルブルーのおしゃれな箱を渡してくる。


「え、悪いわ。杏奈さんが好きなものなんでしょう?」


「だから、桜子さんにも気に入ってもらえたらうれしいの。ぜひ味見してみて」


「そう? じゃあ、お言葉に甘えて。また、明日ね」


「うん。今日はゆっくり休んで」


 笑顔で見送られながら桜子は軽く手を振り返し、動き出した車とともに後部座席に沈み込んだ。


(……あたし、なんか、変だ)




 桜子が自宅に着いて居間に行くと、すでに帰っていた薫子がアイスキャンディーを片手にテレビを見ていた。


「あ、お帰りー、桜ちゃん」と、薫子が振り返る。


「ただいま」


「あー! お土産!?」


 薫子は桜子の手にしていた箱を目ざとく見つけ、返事を待つ間もなく取り上げる。


「マカロンだって」


「桜ちゃん、これ、この間テレビで特集してたお店だよね。覚えてる? パリに本店があって、日本一号店がつい最近オープンしたって」


 薫子の高いテンションに比べ、桜子はどうしてか一緒になってはしゃぐ気分にはなれなかった。


「あ、うん、覚えてる。1個五百円とか言ってたっけ」


「そうそう。五百円出すなら、どこに入ったかわかんないちっちゃいマカロンより、ファミレスのパフェの方がいいよねーって笑ってたじゃん」


 薫子に言われて、桜子はもらった箱の価値に初めて気づいた。


 箱の中には最低でも二十個はマカロンが入っているのだ。


「……しまった。そんな高いものをうっかりもらってしまったー!」と、桜子は頭を抱えた。


「珍しいねー。桜ちゃんがみつものを受け取るなんて」


 ボケボケしていたとはいえ、薫子の言う通りだ。


 桜子は母親の怒り顔を想像しながら、ぶるっと身震いした。


 藍田家には『特別な日以外、よそ様から物をもらってはいけない』という教育方針がある。


 日本には何かをもらった以上、お返しをしなければならないという風習があるせいだ。


 贈り物の意味が『お父様とお母様によろしく』程度ならまだいい。


 しかし、『一度会わせてもらえないか』だの『仕事で助けてほしいことがある』などという下心が入っていると、もらう物以上に代償が高くつくことがあったりする。


 そんなわけで、桜子たち兄弟は両親の迷惑にならないように、『貢ぎ物』には細心の注意を払っているのだ。

 

「……こ、これはきっと大丈夫よ。お茶に呼ばれたんだけど、あんまり気乗りしなくて、やっぱ帰るって言ったら、持たせてくれただけだから」


「それも珍しいねー。桜ちゃんがお茶にお呼ばれなんて」


「あんたのせいでしょうが!」


 思わず叫んで、桜子の方がびっくりしてしまった。

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