第18話 毒を食らわば皿まで

 気づかない間に第四ラウンドが始まっていて、いつの間にか終了ゴングが鳴ってしまった。


 そんな感じだった。


 しかも、完敗したのは圭介の方。


「……『なるほど』って、何を納得してんだよ?」


「これであらかたのことが、はっきりしたから」


「何がわかったんだ? 確認もしないで勝手にいろんなこと決めつけて、あることないこと吹聴ふいちょうして歩かれると困るんだけど」


「じゃあ、全部話してくれる?」


「それは無理」


「別に誰にも話したりしないよ。桜ちゃんの不利益になるようなことじゃない限り、桜ちゃんにも黙っててあげる」


「あんたは知ってどうすんだよ?」


「それは桜ちゃんのため。ひいてはあたし自身の将来のために最善を尽くすには、知りえるだけの情報は手にしておく必要があるんだよ」


「なんか、おおげさだな……」


「瀬名さんも困ってるようなら、ついでに力になるけど」


「おれは『ついで』か?」


「そりゃそうでしょ。桜ちゃんの『ただの友達』なんだから。まあ、もしも桜ちゃんが好きって素直に認めてくれれば、選択肢の一人として『ついで』じゃなくて、ちゃんと考慮に入れてあげるけど」


「選択肢の一人って……。普通、そこは応援するとかじゃないのか?」


「だって、あたしはお勧めを用意してあげるけど、最後に選ぶのは桜ちゃんだもん」


『うまい話には裏がある』


 貴頼にまんまと乗せられて、痛い目を見たことを考えると、ここで薫子の話にホイホイと乗ってしまっても、結局、後悔することになるような気がする。


(おれ、実は運がないのかも……)


 桜子と付き合う付き合わない云々うんぬんの前に、恋をしている自覚がある今、目下の最優先事項は『退学にならないこと』だ。


 それさえ回避できるなら、ここは悪魔にでもすがる。


(毒を食らわば皿までだ!)


「わかった。全部話すけど、本当に誰にも言うなよ。桜子にも。その代り、おれに協力してくれるか?」


「おっけー。あたしが味方なら百人力だから、大船に乗った気で任せてよ」


 薫子は笑顔でポンと自分の胸を叩いた。


 そうして、圭介は貴頼に初めて会ったことに始まって、高校入学のいきさつまで、洗いざらい薫子に話した。


 今まで自分一人の中で抱えていた秘密を暴露ばくろして、『王様の耳はロバの耳』気分で、ある意味爽快そうかいだった。


 黙って話を聞いていた薫子は、時々相槌あいづちを打っていたくらいで、特に驚いた様子も怒った様子もなく、終始静かな表情だった。


「まあ、大方、あたしが推測していたことと一致したよ」


「おい、すでにこんなことを推測してたってのか?」


 圭介からすると、どういう情報網で、どんな頭で考えたら、こんなアホみたいな話を想像できるのか、聞いてみたいところだった。


「もっとも、瀬名さんに後ろ暗いことがあって、おどされてるのかと思ってたんだけど。まさか高校三年間の生活費のためだったとはねえ。さすがに驚いたよ」


「驚いたようには見えなかったけど?」


「どっちかっていうと、呆れた感じ?」


 薫子はアハハッと無邪気に笑う。


「あんたなあ……」


「とにかく、あんな学校でも三年間通って卒業したいってことだから、桜ちゃんに恋したことがバレたら一番困ると。

 手っ取り早いところで、あたしと付き合ってることにしておけば大丈夫でしょ」


「は?」


「あたしとしては非常に不本意だけど、協力するって約束した手前、ここは涙をのんでカノジョとしてちゃんとふるまってあげるから、安心して」


 本当に安心していいのかどうか悩むほど、『非常に不本意』とか『涙をのんで』など、余計な言葉が入っている。


「桜子にもそういうことにしておくのか?」


「桜ちゃんはウソつかれるのが嫌いだからねー。折を見て、あたしの方からイトコの話を抜きに、本当のことを話しておくよ」


 薫子の言葉はどうしてこう突っ込みがいがあるのだろう。


 矛盾しているようでいて、薫子自身では筋が通っているあたり、圭介からすると敵に回したくない相手だ。


「……了解」


「それに、桜ちゃんが瀬名さんのことをどう思っているのか、反応を見ればわかるんじゃない?」


「反応って、ヤキモチ焼くそぶりとか?」


「でも、あんまり期待し過ぎない方がいいよ。あとあと落ち込むから」


「……端的に言うと、期待できないってことだろうが」


「瀬名さん、ネガティブに取り過ぎー」


 何が面白いのか、薫子はケタケタと笑う。


「ちなみに薫子、あんたはあいつのこと知ってるのか?」


「もちろん」


「桜子が監視される理由も?」


「瀬名さん、知らないの?」


 薫子はかなり驚いたように目を丸くする。


(おい、驚くのはここかよ)


 知らない方がおかしいと言わんばかりの薫子の言い方が圭介のシャクにさわる。


「知るわけねえだろ。ただ監視しろって言われただけなんだから」


 圭介は憮然ぶぜんと言い放った。


「やだ、ほんとに? 瀬名さん、面白すぎー!」


 薫子は腹を抱え、目に涙まで浮かべて笑いこけていた。


「何が面白いんだよ!?」


「ああ、もうおなか痛い。まあ、その話はおいおいに。もう帰らなくちゃ」


 よいしょ、と薫子は立ち上がる。


「『おいおいに』って、ここまで話振っておいて、帰んのか!?」


「うん。瀬名さん、思ったよりしぶとくてなかなかボロ出さないから、こんな時間になっちゃったよ。じゃあ、また明日ね」


「おい!」


 圭介の呼びかけに、薫子はふと立ち止まって振り返った。


「あ、瀬名さん、ちょっとは期待しても大丈夫だよ。だから、今夜はいい夢見てね」


「何の?」


「桜ちゃんのカレシになる夢。少なくともあたしは選択肢に入れてあげる」


「なんで?」


「んー、そもそも瀬名さんはあたしの第一条件をクリアしてるからね。桜ちゃんが選んでも文句は言わないよー」


 薫子はその『第一条件』が何なのか言うことなく、「お邪魔しました」と、ぺこりと頭を下げて出ていってしまった。


(桜子のカレシになる夢……?)


 桜子に恋をしたとはいえ、圭介は『友達』として近くにいようと思っていただけ。


 この恋が成就することや具体的に桜子と付き合うことは、正直考えていなかった。


 本当に付き合うことができたら、手をつないで歩いたり、抱きしめたり、キスをしたり、その先のことも許されるのかもしれない。


(でも、その先は?)


 桜子はいずれ時が来たら、家柄に合う相手と結婚するだろう。


 圭介自身は学生時代の束の間の恋愛対象にしかなれない。


 いつかフラれることを想像すると、桜子との関係にこれ以上のめり込まない方が、あとあと傷つかなくてすむような気がする。


(おれって、こんなに臆病おくびょうな人間だったのか……?)


 今さらながら、『友達』という関係に甘んじていたのは、何も貴頼との契約があったからだけではなく、そんな情けない自分が進んで選んだ道だったのだと思い知った。

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