第15話 お父さんって、どんな人?

 青蘭からの坂道には、歩道というものはなく、白線の外側を歩くだけ。傘を差した三人で歩くほどの幅はないので、圭介は桜子と彬の後ろを歩いていた。


「彬、傘、もっと真ん中でいいよ。肩濡れちゃってるじゃない」


「あのねえ、姉さん、自分が濡れても女の子は濡れないようにってのが男なの。こういう時は、男に花を持たせるんだよ」


「そういうものなの?」


 桜子が振り返って圭介に同意を求める。


(そういうものなのか? 女と付き合ったことがないからわからねえ……)


 しかし、モテる男の言っていることなので、間違いないと判断した。


「そういうもんなんだよ」


「ふーん」と、桜子は気のない返事とともに前を向き直った。


「姉さん、そんなんだと、いくら呪いがなくてもカレシなんかできないよ」


「彬くーん、人の傷口に塩塗るようなこと言うのは、男としてどうかなー?」


 不毛な姉弟ゲンカの始まりを予感して、圭介は話題を変えることにした。


「あのさあ、前から気になってたんだけど、その『呪い』って、あんたらみんな信じてんの?」


「もしかして、瀬名さん、うちの父のことを疑ってる? 学校でウワサになってるでしょ」

 

 ちらりと振り返って答えたのは、彬だった。


「なんだ、知ってんのか」


「僕が中等部に入学した時から、散々聞かされたウワサだからね。父はそんなことしないって言ったんだけど、実際、姉さんに起こったことだし。まあ、もっともらしく聞こえる話だから」


「で、あんたら姉弟は父親がやってないと信じて、『呪い』を信じるわけだ」


「だってねえ、あのお父さんが娘のためにそこまでするとは思えないもの」


「だよねー」と、彬も桜子の意見に同意する。


「そりゃ、子供の前ではそんな汚い大人のやり取りなんか話さないだろうし、うまく誤魔化ごまかされてるんじゃねえ? なんせ『ウサギの皮をかぶった人喰いワニ』って言われるくらいなんだし」


「あたしからすると、ぐうたらナマケモノが気合いで背筋伸ばして、仕事に行ってるって感じだけど」


「父さんにそこまで言ったら悪いよ」


 彬はまるで悪いと思っていないかのようにケラケラと笑う。


「お父さんの好きなものってね、一に『お母さん』、二に『子供たち』、三番目が『こたつ』と『扇風機』なのよ。いかにグータラしているか、わかるってもんでしょ?」


「いや、でもさあ、大変な仕事して忙しくしてるから、家にいる時くらいのんびりしたいだけなんじゃねえ?」


「まあ、お父さん、ある意味忙しいのは確かだけど」


「ある意味も何も、普通に忙しいだろ。巨大グループを率いていれば。それこそ、寝る間も惜しんで仕事しなくちゃならないんじゃねえ?」


「て、みんなが思うのを逆手に取る人なのよ」


「どういう意味?」と、圭介は首を傾げた。


「たとえば、打ち合わせに行けなくても、接待に行けなくても、電話に出られなくても、ひと言『忙しい』って言えば、誰もが納得するでしょ? そうやって時間を作って、ゴロゴロしてるのよ」


 圭介は写真で見たキリリとした男前の藍田あいだ音弥おとやを頭に思い浮かべて、別人の話をしているような気分になった。


「じゃ、まあ、仮にそうだとして、そんなに家族が大事な人なら、余計に娘の男関係に気を張ってるってことはないのか?」


「多少は心配してると思うけど、基本的に子供の恋愛には口をはさまないって言ってるからね。恋愛も人生経験のうちって」


「けど、変な男に引っかかって、金せびられたり、妊娠させられたりしたら困らないか?」


「娘を持つ父親なら、それくらい誰でも心配するんじゃない?」


「けど、富と権力がある場合、普通じゃできないこともできるだろ?」


「権力はともかく、うちはそんなくだらないことにお金を使うなんて、お父さんがよくてもお母さんが大反対するよ」


「ああ、慈善事業をしてるとかいう?」


「そう。お母さんの方針で、生活は必要最低限に、困っている人を一人でも多く助けられるようにって。グループの経理にも目を通しているから、明瞭めいりょう会計。お父さん、ヘソクリ作るのも苦労してるんじゃないかなー」


「なんか、その話聞いてると、母親の方が社長職やってるみたいに聞こえるけど」


「圭介もそう思うよねー。そこまで仕事したいなら自分が社長になればいいのに、慈善事業に集中したいって、お父さんは泣く泣く社長就任」


「……ダメだ。まったくもって想像できん」


「じゃあ、会ってみる? うちのお父さん。どういう人かわかるよ」


「そりゃ、興味はあるけど、おれなんかがいきなり会えるような人だと思ってないし……てか、まさか、おれのこと、父ちゃんに話したりするのか?」


「うん、もちろん。学校であったこと、いろいろ話すし。ねえ?」

 

 桜子の問いかけに彬があっさりうなずく。


(おいおいおい……?)


 学校でウワサになっている方が正しいとしたら、『友達』と称して近づく貧乏男を今頃、排除にかかっているかもしれない。


 過去三件のように家族――圭介の場合、母親に不幸が起こるのか。どちらにせよ退学処分は確定。


 圭介は想像して、顔が青くなった。


「あ、そうだ。今度の日曜日なら、父さん、うちにいるはずだよ。庭木の手入れ、母さんに頼まれてたから」


 彬が余計な提案をしてくれる。


「あ、ほんと?」


 桜子は『それはいい考えだ』と言わんばかりにニコッと笑う。


(おい、マジでヤバいぞ。このままじゃ、本当に会うことになっちまう!)


「日曜日にやることがあるのに、お邪魔したら申し訳ないような……」


「遠慮することないって。午前中には終わるだろうから、午後がいいかな。二時頃でいい?」


「あ、うん……」


「じゃあ、決まりね」と、その話はそれで終わってしまった。


(ええー……。おれ、マジで会うのか?)


 桜子の父親は日本一のグループ企業の総帥。経済界を牛耳っているという大物。


 しかも、『人喰いワニ』とまで言われている人物なのだ。


(普通に怖えだろうが!)


 トントン拍子に話が進んでしまい、圭介は半ば呆然としていた。

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