第14話 せっかくの相合傘が……

『藍田桜子は学校になじめず、何度もやめることを考えたらしい。

 一番話が合いそうなおれと友人になってほしいって頼まれて、一応オーケーした。

 彼女に学校をやめさせたいのであれば、断ることもできる。

 契約違反に当たるというのなら、契約打ち切りで構わない』


 圭介はいろいろな文面を考えた末、依頼主――貴頼へはそう書いて送った。


 正直、貴頼がどちらを望んでいるのかはわからなかったが、圭介のカンでは桜子を退学させることはないだろうと思った。


 やめさせることが目的なら、最初から入学させなければいい。


 人ひとり簡単に入学させることができるのなら、逆に人ひとり入学拒否することくらい簡単だ。


 一方で、桜子がこの学園に入学したいきさつである『笑えない話』も気にならないこともない。


 桜子はもともと都立を受験する予定だった。


 しかし、試験会場の高校へ向かう途中、道で苦しんでいる老女を見つけ、そのまま病院に搬送。


 その老女の家族への連絡がなかなか取れず、桜子は最後まで付き合う羽目になった。


 結局、試験時間には間に合わず、あきらめて家に帰ったという。


 それから一週間ほどして、受けてもいない青蘭学園の入学許可証が届いた。


 学園側が藍田家の娘を入学させればいい宣伝になると、勝手に通知をよこした可能性はある。


 実際、桜子は授業料免除の特待生なのだ。


 つまり、さすがに貴頼の家の権力でも藍田家のものには及ばず、学園側が桜子の入学を強行したというケースが考えられる。


 この場合、桜子を入学させたくなかった貴頼は、圭介に監視役を頼み、桜子の身辺調査から何らかの理由を見つけて、退学に追い込もうと画策しているということになる。


 そう考えれば、話のつじつまは合う。


 この圭介の送った報告によって、貴頼の意図が少なからずわかるに違いない。


 最悪『契約を打ち切りにする』と、返されてもおかしくはない。


 圭介は緊張しながら返事を待っていたが、ようやく届いたものはいつもの『了解』ではなかった。


『様子を見ることにします。定期連絡はいつも通りに』――だった。


 この曖昧あいまいな返答からは、結局貴頼の本意は読み取れなかった。


 桜子をやめさせたくないから現状を維持すると言っているのか。


 それとも、ただ時間の猶予ゆうよの問題で、そう遠くないある日突然、『契約解除』の一言が送られてくるのか。


 なんだか薄氷はくひょうを踏む思いで、毎日が心もとない気もしたが、少なくともそのXデーが来るまでは桜子とともに過ごせる。


 その時間はたとえ退学になっても、自分の人生においてかけがえのない時間になるに違いない。


 だから、今はこんな日々が1日でも長く続くように圭介は祈っていた。




***




 一年A組、圭介のクラスの放課後の風物詩――


 授業が終わるや否やクラス中の女子が桜子を囲む。


「桜子さん、今日こそあたしに駅まで送らせて」

「今日のお迎え、リムジンなの。駅なんて言わず、家まで送るわ。快適ドライブを約束するわよ」

「それより、うちにいらっしゃらない? パパがフランスに行ったお土産においしいチョコを買ってきてくれたの。一緒にお茶をしましょう」


 桜子と少しでも近づきたいがために、手を変え品を変え、連中は毎日誘うのをやめない。


「今日はお天気がいいから、歩いて帰りたいの」とか「弟と妹と約束があるから」とか、適当な理由を作って桜子が断るのもいつものこと。


「でも、今日は雨でしょう? 駅に着くまでにずぶぬれになっちゃうわ」


 関東はすでに梅雨入り。


 確かに登下校時に雨にあたることが多くなり、歩くのが億劫おっくうなのは確かだ。


「んー、でも、瀬名くんが傘を忘れちゃったって言うから、入れていってあげないと」


 それならば圭介も一緒に駅まで送る、と申し出る人間が一人もいない辺り、この学園らしい。


(おれを乗せると『貧乏菌』に感染するとでも思ってるのか?)


「瀬名くんって、傘忘れたとか言って、傘買うお金もないのよ、きっと」

「桜子さんがやさしいのにつけこんで、図々しい」


 そんな陰口も聞こえてくるが、桜子はてんで聞こえないフリをして、「瀬名くん、一緒に帰ろう」と、鮮やかな笑顔を圭介に向ける。


「おい、桜子。おれ、傘持ってんだけど」


「知ってるよ。朝、差してたもの」


 当たり前のように言われて、圭介はがくりと頭を落とした。


「そこでおれをネタにウソつくなよ。おれがますます貧乏に思われるじゃねえか」


「ごめん、ごめん。断るにもだんだんネタが尽きてきちゃって」


 桜子に無邪気な笑顔を向けられると、圭介は毒気を失ってしまう。


「雨の日くらい送ってもらえばいいのに」


「あたしが圭介と一緒に帰ってることを知ってるのに、誰も一緒にって言わないんだもん」


「そりゃ言わないだろ。あいつら、桜子と一緒に帰りたいんであって、おれは完全部外者」


「あたしが濡れない方がよくて、圭介が濡れていい理由なんてないんだよ。そういう差別する人とは一緒に帰りたくないもん。そういうわけで、今日は二人で仲よく相合傘」


「で、傘持つのはおれなんだろ?」


「そりゃ、身長差からいったら当然?」と、桜子はニッと笑う。


「はいはい。傘をお持ちして差し上げます、お嬢様」


「なんか、そういうセリフ、圭介には似合わなーい」


 くだらない話に笑い合って昇降口に着くと、桜子の弟、彬が立っているのが見えた。


 その脇には薫子でない女子生徒がいる。


「お待たせー」と、声をかけようとする桜子を圭介は止めた。


「どうしたの?」


「遠慮しとけよ。あれ、告白の真っ最中だろ」


「え、ほんと?」


 下駄箱の陰に隠れてのぞけば、中等部の赤いネクタイを付けた女子が顔を赤らめて、何かを彬に訴えかけているのが見える。


 話している内容までは聞こえなかったが、彼女が身をひるがえして雨の中を走っていく様子を見れば、断られたのだと一目瞭然いちもくりょうぜんだった。


(かわいそうに)


「相変わらずモテモテだねー、彬くんは」


 昇降口に立ったままの彬に、桜子が笑顔で声をかける。


「あ、姉さん。瀬名さんも」


 振り返った彬の笑顔がさわやかなこと。今さっき、一人の女を振ったとは思えない。


 今年のバレンタインのチョコレートの数、中等部一番だった彬は、告白され慣れているし、断り慣れているらしい。


「今のは誰?」と、桜子が聞く。


「ああ、隣のクラスの子。今日は薫子が先に帰るって、僕一人だったから捕まった」


「薫子、帰っちゃったの?」


「うん。人に会う用事があるんだってさ。あれ、瀬名さん、傘は? 朝、持ってたよね? まさか、誰かに壊されたとか?」


 桜子が傘を開くのをボサっと見ていた圭介に、彬が険のある顔で聞いてきた。


「そんなんじゃねえよ。誰かさんのせいで、忘れたことになってんだ」


「ごめんねー」と、桜子がひと言。


「姉さんのせいなの? じゃあ、よかったら僕の傘使って。僕は姉さんに入れてもらうから」


「はい」と、彬に傘を渡され、圭介は「どうも」と受け取った。


(本当によくできた弟だ)


 彬の眉目秀麗びもくしゅうれいは言うまでもなく、圭介より一つ年下だというのに身長はほぼ同じ。品行方正、成績優秀、スポーツ万能。


 まるでマンガに出てくるような完璧な王子様だ。


 男の圭介から見ても、彬がモテるのは当然だと思う。


(とはいえ、せっかくの相合傘が……)


 圭介は彬の気遣いに感謝しながらも微妙に残念な気分で、一つの傘を差す姉弟きょうだいの隣を歩き出した。

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