第10話 謎の瀬名くん

 放課後、桜子はいつものように昇降口で彬と薫子と待ち合わせてから、一緒に駅に向かった。


 歩きながら桜子はグイッと大きく伸びをする。


「あー、すっきりした!」


 入学式から二か月、クラスメートの瀬名圭介に対する数々の嫌がらせを目にしてきて、いい加減腹が立っていたのだ。


 当の本人が少しでも困った様子があれば、桜子はいつでも助けようと思っていた。


 にもかかわらず、圭介があまりに平然とやりすごしているので、手の出しようがなかった。


 黙っていればいるほど、桜子も加害者になった気分になる。


 おかげでイジメにあっているのが自分ではないのに、学校に行くのがイヤになっていた。


 何度も退学を考えたが、このまま圭介を放置したら、たとえ学校をやめても悔いが残る。


 結局、そのたびに思いとどまっていたのだ。


「桜ちゃん、今までのイライラ、ぜーんぶ爆発させてたもんねー。彬くんにも見せてあげたかったよ」


 昼休みに教室に来ていて、事の顛末てんまつを見ていた薫子が「どうだ、うらやましいだろう」と、言わんばかりに彬に言う。


「だいたい想像はつくよ。まあ、よかったんじゃない? 姉さん、つきものが落ちたように久しぶりにいい顔してるし」


 彬は女の子を恋に落としまくっているのもダテではない、キラキラとした笑顔を向けてきた。


「桜ちゃん、あとで瀬名さんに恨まれたりして」


 薫子がうひひ、と意味ありげに笑う。


「どうしてよ?」


「だって、あんなにイジメにあっててもケロッとした顔をしてたんだよ? 実はそれが快感っていうM男くんだったりして」


「何言ってんの。平然としてても、別に喜んでる風には見えなかったよ」


「でもさあ、ただでさえ貧乏でイジメられる要素いっぱいなんだから、イヤだったら普通は身だしなみくらい気をつけるでしょ? そうしないってことは、わざとイジメられたいのかと思うじゃん」


「美容院に行ったり、新しいメガネを買う余裕がないだけかもしれないでしょ?」


 桜子の反論に、彬が怪訝けげんそうな顔をする。


「それだと矛盾むじゅんしない? 制服やら教科書やら汚されても文句言わないし、すぐに新調してくるって言ってたよね?

 みんながウワサするほど貧乏じゃないのかもしれないよ。うちみたいに、家にお金はあっても生活は質素にしてるとか」


「だったら、貧乏言われて黙ってることないでしょ。ましてやイジメられる理由もないじゃない。それこそ矛盾してるよ」


 桜子と彬の間に議論が勃発ぼっぱつしそうになった時、薫子がポンと手を叩いた。


「まあ、そういうわけで、瀬名さんというのは謎な人なので、桜ちゃん、本人に直接聞いてみてよ」


「イヤよ。そんな興味本位で人のことをあれこれ聞くなんて」


「興味本位じゃなくて、友達になりたいと思ったら、話しかけていろいろ知ろうとするものじゃない?」


「友達になりたいって……?」


 薫子の意外な提案に、桜子は一瞬頭がついていかなかった。


「だって、唯一あのクラスで桜ちゃんがまともに話せそうなの、瀬名さんくらいなんだもん」


「薫子、そんな怪しい奴、姉さんに近づけるなよ」と、彬が嫌そうな顔をする。


「だから、怪しいかどうかは、話してみなくちゃ分からないじゃない」


 今度は弟妹の間で言い争いになりそうになるので、桜子が割って入ることにした。


「けど、瀬名くん、普通にあたしのこと、避けてるよ。あのウワサ、知ってるんじゃないかな」


「別に付き合ってって言うわけじゃないし、友達なら問題ないんじゃない?」


 薫子はあっさりと言ってくれる。


「そういう問題?」


「もっとも向こうが桜ちゃんのことを好きにならないって前提だけど。そもそもああいう格好してるくらいだから、女の子には興味ない人かもね」


「どうして?」


「だって、男の子だってカノジョがほしいって思えば、それなりにモテそうな格好するでしょ? しかも、瀬名さんって、は悪くないわけだし」


「確かに」と、桜子は同意した。


「そういうわけで、カレシを作れない桜ちゃんには、とってもお勧め物件ですが?」


「物件って……」


 苦笑する桜子の前で、先程まで無邪気にニコニコしていた薫子は、不意に真面目な表情になった。


「正直、今の桜ちゃん、見てられないよ。学校生活って、1日の大半を占めるんだよ?

 なのに、桜ちゃん、いっつも作り笑いして、人に合わせてて、ちっとも楽しそうじゃないんだもん。家に帰ってもウップン晴らすみたいに愚痴ぐちをこぼしてばっかで。

 だからね、桜ちゃんには一人でもいいから、なんでも話ができる友達が学校には必要なんだよ」


 桜子自身もそのことに気づいてはいたが、薫子に心配をかけているとは思ってもみなかった。


「薫子の言う通りだね。とりあえず、瀬名くんと話をする機会を作ってみるよ」


「姉さんが友達作りで悩むなんて、世も末だよ、まったく」


 彬に言われ、それもそうだ、と桜子も思った。


 この高校に入るまで友達など作ろうと思って作ったことはなかった。


 初めて会う人でも普通に話しかければ、いつの間にか仲良くなっているというのが、桜子の常識だったのだ。


 もっともそれは中学に入ってからは女子限定で、男子と友達になる機会はこの三年間、皆無だったことを考えれば、多少構えてしまう。


 しかも、相手は自分を避けているような男の子なのだから、余計に腰が引けてもおかしくない。


(けど、ここらで何とかしないと、あたし、このまま学校やめるしか道がなくなっちゃうもんね)


 桜子は頑張ろうと拳を掲げた。




 *** (ここから圭介の視点です)***




 桜子が仲裁に入ってから、圭介に対する嫌がらせはウソのようにぴたりと止まった。


 陰で何かを言われるのはともかく、面と向かって冷やかされることもないし、イヤミを言われることもない。


 相変わらず誰にも相手にされず一人なのは確かだが、少なくとも圭介から何かを聞けば、愛想程度に返事はしてくれるようになった。


 桜子を許さないと言っていた古賀の動向も気になって、一応観察しているのだが、驚いたことに桜子と仲よくなっていた。


(いや、これも何かの作戦のうちか?)


 そうは思えないのは、桜子と話をする古賀の顔がとろけ切っているからだ。


 桜子は怒っている時はともかく――それも美人の範疇はんちゅうに入るが――飛び切りの笑顔で軽い冗談を飛ばす姿は、誰が見ても魅力的に映る。


 男ならそんな笑顔で愛想よく話しかけられたら、鼻の下を伸ばして当然だ。


 そんなわけで、圭介は古賀が何を考えているのか理解できるようで、イマイチできないという日々を過ごしていた。


 とはいえ、その謎が解ける日はやって来た。


 教室移動の時、圭介の前を歩く古賀と新庄の会話が聞こえてきたのだ。


「僕、マジで藍田さんを狙うことに決めた。はあ、もうヤバい。あの笑顔」


 古賀が新庄に話しかけている。


「あんなに恥かかされたってのに?」


「僕、基本的に気の強い女って嫌いじゃないし。普段は物腰がやわらかくて、やさしくて、まっすぐでさあ。美人だし、スタイルいいし、これはもう理想の女だろ」


「まあ、おまえなら可能性無きにしも非ずだよな。頑張ってみれば? おれんちみたいな中小企業の社長程度じゃ、そんなリスクはおかせねえよ」


 ――とのことだった。


 てっきり、桜子はあっちでもこっちでも恨みを買って歩いていると思っていたのだが、古賀を見ているとそうは思えなくなってしまう。


 古賀が特別のケースで、忘れがたい恨みを抱えている奴は、どこかに存在するということなのか。


 貴頼がどういう理由で桜子を監視させているのか、結局、二か月過ぎた現在も圭介は何も知らされていない。


 クラスであった出来事も交えて定期連絡をしているものの、返事はいつも『了解』のみ。


 桜子のどんな情報を期待しているのか。

 何かのチャンスが来るのを待っているのか。


 圭介としてはせっかく平和な生活を手に入れたところなので、このまま何事もなく三年が過ぎてくれた方がいいと思う。


(そもそも、おれの人生にこの学校の人間は関係なさそうだし。関わっても得はなさそうだし)


 そう決めて、圭介はなんだか肩の荷が下りた気分だった。




 そんなある日の放課後、桜子との四回目の日直が回って来た――。

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