第9話 タダより高いものはない
昼休み、圭介は学生証で食事ができる学校のカフェテリアで毎日を過ごす。
その日もたらふく食べて、満足しながら教室に戻ってきた。
ところが、圭介が教室に入ったとたん、何が起こったのかわからないうちに、四人のクラスメートに両腕両足を
「犯人、確保したぞ!」
クラス中の生徒に囲まれ、冷たい視線を投げかけられる意味は、圭介には思いも当たらない。
「な、なんだよ!?」
生徒の囲みから一歩前に出てきたのは、クラスの男子を牛耳っている
「僕の財布から一万円札抜き取ったの、おまえだろ。この貧乏人。盗人
「は? 何を言うかと思えば……」
「この学園におまえ以外、誰が人の金、盗むんだよ? 靴やら教科書やら新調して、金なくてやったんだろ?」
「……今までの嫌がらせの主犯は、おまえか」
「だから? 仕返しに僕の金、盗んだんだろ? さすがに盗みはヤバいよなあ。退学処分も免れないぞ」
「おれはやってねえ!」
圭介が振りほどこうともがいてみても、さすがに四人がかりで押さえつけられては、身動きもとれない。
「よし、じゃあ、身の潔白を証明してもらおうか。身体検査だ」
やめろという制止の言葉もむなしく、古賀の指の合図とともにジャケットをむしりとられ、シャツもボタンを引きちぎってはぎとられる。
しまいにはスラックスまで引きずり下ろされた。
まさかクラス中の目の前で素っ裸にさせられるのかと思った瞬間、圭介の目の前は真っ暗になった。
かろうじて一枚残っているパンツが、なんと心細いものか。
圭介は自分の人生において絶対起こることはないだろう思っていた現実に直面して、頭の半分がパニック、もう半分は思考停止状態。
相反する脳を抱えながら、目の前の光景をただ突っ立って見つめていた。
クラス中の生徒の小動物をなぶるようなぎらつく視線が自分に向けられている。
興奮と歓喜の入り混じる動物じみた『安パンツ』コールが狭い教室内に響き渡っている。
『
『
『
『弱肉強食』
高校受験の後遺症か、そんな言葉が圭介の頭をぐるぐると回っていた。
そして、この状況を的確に表す言葉にたどり着く。
『タダより高いものはない』
世の中、まっとうに生きた者勝ち。
金の魅力に惑わされて、人を監視するなどという仕事を引き受けたおかげで、人生の道を踏み外したのだ。
貴頼の言うことなど聞かず、そのまま都立高校に予定通りに行っていれば、こんなことにはならなかった。
たかがヒマつぶしに、会ったこともないイトコの呼び出しにホイホイ応じるべきではなかった。
圭介が遅すぎる反省をしていると、突然とがった高い声が聞こえてきた。
「安パンツの何が悪いっていうのよ!?」
その声は藍田桜子のものに間違いない。
が、そのあまりに外れた発言に、圭介は文字通りずっこけそうになった。
(論点はそこじゃねえ!)
圭介は自分の立場も忘れて、思わず突っ込みたい
「パンツは履き心地がよければ、三枚千円で充分。ブランドマークを付ける意味が分かんないわ!」
囲みをかき分けて前に出てきた桜子が怒った顔をしていなければ、笑える冗談でしかない。
(この女、まさか『安パンツ』をケナされて、マジ切れしたのか?)
「あ、藍田さん、また面白い冗談を」
古賀が引きつった笑みを浮かべて圭介から目をそらし、桜子に向き直る。
「冗談なんて言ってないけど。何なら証拠見せましょうか? あたしの三枚千円で買った安パンツ」
「そんな、め、
「遠慮することないわよ。古賀くん、人のパンツを見るのが趣味なんでしょ。それとも男の子のパンツ限定?」
「そんなわけないだろ!」
「なら、ありがたく拝んでおきなさいよ」
桜子は怖い顔のままニコリと笑ったかと思うと、左足を一歩前へ、次の瞬間、それを軸足に背の高い古賀の
あの回し蹴りがもろに顎に入ったら、かなり痛いに違いない。
圭介は思わず目を閉じた。
そして、再び開いた時、桜子のつま先は、古賀の顎の数ミリ手前で停止。文字通り寸止めになっていた。
「どう? パンツ見えた」
古賀が青い顔でコクコクとうなずくと、桜子は満足そうに微笑んで足を下ろした。
「それで、瀬名くん、本当に盗んだの?」
キョトンとした顔で見つめてくる桜子をにらみつけ、圭介ははっきりと言ってやった。
「おれはやってねえ」
「瀬名くんはこう言ってるけど、古賀くんのカン違いってことはないの?」
「藍田さん、こいつの言うことにダマされるなよ。ほら、見ろ。証拠だってここに。こいつのジャケットのポケットに入ってたんだから。
こいつがこんな金、持ってるわけないだろ」
ジャケットを手にしていた
「これ、瀬名くんのじゃないの?」
「おれのじゃねえ。そんな金知らん」
桜子はどっちの言い分を信じているのかは計り知れないが、「そう」と気のない返事をすると、自分のジャケットからハンカチを一枚取り出した。
そして、そのハンカチをぴらりと広げて、新庄の手の上の丸められた一万円札を包んだ。
(この上、『マジックショー』とか言ったら、ぶっ飛ばしてやる……!)
「はい、じゃあ、これは立派な盗難事件ということで、証拠品は警察に提出します。知り合いに鑑識さんがいるから、すぐに指紋を調べてくれるわ。
誰がこのお金を盗んで、誰が瀬名くんのポケットに入れたのか、すぐにわかるでしょ」
「警察って……」
青ざめたのは古賀の方だった。
被害者である圭介でさえ、いきなり事態が大事になってしまい、緊張のあまりゴクリと息を飲んだ。
「古賀くんだって、犯人がはっきりした方がいいでしょ? 瀬名くんの身ぐるみまで
「一万円くらい大した金じゃないから、警察ザタにする必要はないよ」
「あら、そう? じゃあ、古賀くんはそんな大したお金でもないのに、瀬名くんにこんなひどいことまでしたんだ。
それがどれだけ瀬名くんを傷つけることか、わかってるの? 瀬名くんが心的苦痛で、あなたを訴えることだってできるのよ。
ああ、あなたのお父様のことだから、きっとお金で和解に持ち込むでしょうけど、
これ以上、瀬名くんに対して、子供じみた嫌がらせを続けるというのなら、今のような生活は今後一切できなくなると覚えておきなさい!」
桜子の
桜子の言っていることははったりではない。
後ろについている藍田グループが、いとも簡単に一人の人間の生活を壊してしまうだろう。
今の生活を享受しているからこそ、それを壊されることに余計に恐怖を感じさせる。
そんなことは圭介にも簡単に想像ができた。
「それから、瀬名くん! だいたいあなたも嫌がらせ受けてもどこ吹く風だから、どんどんエスカレートするの。あなたが嫌がらせを受ける理由なんて一つもない!
この学校に通っているんだから、正々堂々、不当なことをなし崩し的に受け入れたりしないで。いい!?」
桜子の勢いに飲まれ、圭介は思わずコクコクとうなずいていた。
「じゃあ、この件はこれで終わり。警察が介入しない以上、瀬名くんを犯人扱いすることはできません。この一万円札は、あたしが預かります。
もしもこの件を蒸し返すことがあったら、その時こそ、警察の手で白黒つけてもらいます。みんなもそれでいい?」
桜子がぐるりと見回すと、クラスメートたちは気まずそうに目を見かわしながらも同意を示した。
それから桜子は自分の席のカバンから手帳のようなものを取り出すと、何やら書いてから古賀に手渡した。
「現金持ってないから、代わりに小切手渡しておくわ」
古賀は素直に受け取ったものの、桜子が背を向けたと同時にぎゅっと握りつぶしていた。
「あの女、僕に恥をかかせやがって……! ぜってえ、許さねえ!」
恨みがましく絞り出すような古賀の呪いの声は、桜子に届いたのかどうか。
圭介は自分のせいでありながら、まるで他人事のように「あーあ、完全に恨みを買っちゃって……」と、思ってしまった。
桜子は正義の味方、弱い者の味方。
誰かに味方をし、感謝される一方、反対にやり込められた方は、桜子に対し憎しみを覚えるのかもしれない。
どちらの言い分が正しいのかは、
しかし、この狂った社会の仕組みは、必ずしも正義を正しいとは判断しない。
桜子にはどれだけ敵がいるのか。
貴頼もそのうちの一人なのかもしれない。
圭介はそんなことを思った。
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