過去

ep26 黒木/乃東耕雨(黒紀元年)

   ◆現在


「しおりー、なにをみてるのー?」


 桑織神社の資料室。

 持ち込んだカセットコンロとやかんでお湯を沸かして作ったインスタントコーヒーを飲みながら、詩織はパソコンの画面を眺めていた。


 ……表現特化型のクセに、「……」沈黙の表現すらしてくれない。


 ひょいっ、とのぞき込むと、見慣れた桑織データベースの画面。


 けど、活字中毒の詩織のこと。面白そう知識欲を満たせる情報にはほとんど目を通してるはずだけど……


 カタカタッ、と詩織がキーを押す。それは、


 ↑↑↓↓←→←→BA


 コナミコマンド!?

 すると、『これより先、閲覧レベル3以上が必要です。閲覧レベル3未満の方は、申請をして下さい。既に申請済みの方は、10桁のIDを入力してください』のメッセージ。

 詩織はそこに、『4011』との数字を打ち込む。


 ヴ、と短いバイブレーション。

 すぐさまスマホのメーラーの、受信ボックスの一番上にあるメールを開く。


『user:詩織様

認証コードは[wdfawefgkanohjisafjkdsdsiweijewqnjnoqjfpasdjfasoijasdfijaoewhdj]です。一分以内に入力してください』


 64桁とは中途半端な。大文字や数字や記号が混じってないだけマシか。

 すぐさま]jdhweoajifdsajiosafjdsapfjqonjnqwejiewisdsdkjfasijhonakgfewafdw[と入力。


『資料室内に詩織様以外の方がいます。

>続行(閲覧レベル6以上が必要です)

>承認

>中止』


 詩織は迷わず『承認』をクリック。

 『ようこそ!』の文字とともに、坐禅ちゃんのイラストが表示される。

 ……実際は四桁なのに『10桁のIDを入力してください』とか、長い認証コードを一分で入力させたり、認証コードを[]カッコ含めて逆から入力しないといけなかったり、坐禅ちゃんらしい。

 セキュリティっていうより、半分冗談っていうか、お遊び的なノリでやってる。たぶん。




『記憶保持の呪術のせいで記憶領域がパンク寸前なんで、ここに保存しとくよ!』



「坐禅ちゃんの生涯の記録とか、そういう感じ?」

 自分史とか自伝とはまたちょっと違うみたいだけど。


「私にも読ませて」

「……」

 無言で椅子をずらしてスペースを作り、後ろから椅子をもう一脚引きずりだしてくれる。


 詩織はかなり速読だけど、私に合わせてゆっくりスクロールしてくれる。有り難い。



   ◆黒紀元年


 激しい雨が降る中、俺は濡れた石段を駆ける。


「姫!」


 焦りからか、日に何度も往復して、雪の日でも絶対に踏み外さない自信がある石段を、幾度も踏み外し、脛を打ち付けてしまう。


「姫巫女様!」


 痛む脛を押さえながら、朱の鳥居をくぐり玉砂利の境内を走り、賽銭箱を飛び越えて拝殿の軋む戸をこじ開け放つ。


「姫巫女……さ、ま……?」


 不気味な笑みを浮かべて御神札を手に載せた仏像の前、幽かな蝋燭の灯りに照らされて、拝殿の中央に一人の幼女が立っていた。


「耕雨……」

 どこか悲しげで、そして無邪気でありながら邪悪さを孕む微笑。

 足元には、雨漏りでは決してあり得ない赤黒い水溜まり。

 それが血であることを否応なし証明する、微動だにしない男女の屍。

 右手に握った短刀を中心に、両手と巫女服は、朱袴の色とは全く違う赤に染まっている。


 彼女は鮮血で染まった巫女服の袖で短刀を拭い、懐に収めると、二つの屍を踏みにじるようにして越え、血の海をぴちゃり、ぴちゃりと音を立てながら、俺の方へゆっくり歩を進める。


 怖さは、ない。

 今まで見てきた姫とは全く違う。

 何か、とてもおぞましい、幼女とは、あるいは人とは思えない存在に思える。

 それでも、怖さはない。


「耕雨……!」

 紅く染まった手で俺を抱き締め、

 彼女は、今までに見たことがないほどの満面の笑みを浮かべた。



「己の為に他者を殺すのは当然のこと……」

 俺に向かって言っているのか、自分に対して言っているのかは分からない。


「桑織の為に犠牲になれ?冗談じゃない。綻びかけた異界の神の呪いを相殺するための、綻びかけの呪術。この私がそんなくだらないものの犠牲になる方が、よっぽど桑織にとって損失になることくらい分からないのか?」

 ただ、ぽつりぽつりと、呟く。


「私は、私のやり方でこの地を治め……いや、違う。私は私の為だけに生きる。私利私欲のために生きる。素戔嗚が見初めた娘を娶る為に八岐大蛇を倒したように、三百五十年前の陰陽師が名誉欲の為に桑織の救世主Messiahとなったように」

 血で汚れた病的に青白い肌。薄紅色の唇が不敵な笑み湛えて歪み、八岐大蛇のような朱の瞳は、まさしく獲物を狙う蛇のように、遠くを睨み付けている。


「ねぇ、耕雨。私の初めて、貰って……」

「……は?」

 ……なぜ、この流れで急にそういう話になる!?


「お前……幾つだよ」

「数えで五つ」

「完全にアウトだ!!」


「誰かのために身を捧げる聖女処女なんて嫌なの。誰かに私を捧げるのは、これが最初で最後……」



   ◆現在


「これが、坐禅ちゃんの原点かぁ……ハジメテが五才はヤバいよ」

「そうそう、もう「ひぎぃぃ……♡」とかかわいい声出せるようなレベルじゃなくって、苦悩の梨でもぶち込まれてるんじゃないかってくらいに……すぐ気やっちゃってあんまり覚えてないんだけど」

 さっきから、視界の隅でふわふわ黒い塊が漂ってるなー、と思ってたけど、やっぱり坐禅ちゃん来てたのね。

 ……耕雨さん、こっから苦労するんだろうな。


「あ、坐禅ちゃん。この黒紀っていう年号みたいなヤツ何?」

「あー、それね。一言で言えば、この出来事を元年とした暦法?皇紀神武天皇即位紀元桑織バージョンパチモンだと思ってもらえればいいよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る