ep15 雪乃下

 辛い。


 偽善。確かにこれは、偽善以外の何物でもない。


 確かにその一瞬だけは、苦痛が全て消え、無くなる。

 でも、それはほんの一時。

 すぐにまた、苦しさはやってくる。

 一度苦痛から解き放たれてしまったばかりに、今までと同じはずのそれは、今まで以上に辛い。



 金曜の夜。一週間の疲れも溜まっているというのに、全く眠れない。


 ……飲むか。明日は土曜だから、もし二日酔いになっても影響は……ない訳ではないが、平日よりはマシだ。


 騒がしいパチンコ店や派手な看板を掲げたいかがわしい店、薄汚い立ち飲み屋などが立ち並ぶ、駅前の繁華街。まあ、パチンコはそろそろ営業時間終了のはずだが。

 溝鼠が這う狭い路地、油臭い換気扇に囲まれて設置されている、一台の酒自動販売機。

 旧式なので、年齢確認がない。


 私より、少し年上だろうか。少し不良っぽい風貌の……この時間帯にこんな場所にいる時点で、非行少年であることは確定だが……カップ酒ワンカップみたいなヤツを飲んでる男に、無言で会釈してストロング系の缶チューハイを買う。


 依存性は違法薬物並みだと聞くが、だから何だというのだ。

 プシュッと開けて、口へ流し込む。



 空になったアルミ缶をダストボックスに放り込んで、さて帰るか、と思った矢先、


「おまえが雪乃下仁だな?」

 夜だというのに黒いサングラスをかけた、どう見ても堅気ではない雰囲気の男。


「はい、そうで……」

 男の問いに答えながら、サイドステップ。

 「そうですけど」の「……すけど」、の声を、男が握る拳銃の銃声がかき消す。


 私は反射的、本能的に#The Doomを抜いて男に斬りかか……


 ヵキンッ!と、金属同士がぶつかる音。

 広げた#The Doomの刃と刃の間に、見覚えのある細い棒。

 それを目でたどれば、薄暗い路地に映える真っ白い髪。


 私の#The Doomを弾いた秋葉さんは……確か、#The Emperorだったか?を、そのまま横に振るい、男の腹を殴打。

 呻く男の手から拳銃を奪い、安全装置をかけてマガジンを外し、自分の制服の内ポケットに仕舞う。


「貴さ……」

「黙れ三下」

 先端に鋲が付いたブーツが鳩尾にクリーンヒット。彼女は男の両手足をテグスで縛り、地面に転がす。


「ん……田楽くん堕落パイセンか。彼ならこの時間帯にこんなところにいてもおかしくないけど……ま、この馬鹿のせいで迷惑かけちゃったから、お詫びに記憶と意識を保護して冥界送りにしてあげよう……ふふふっ」

 右手で#The Emperorを握り直し、左手に白手袋を掛けて、カップ酒を飲んでいたちょっと不良風の男の顔を撫でる。


「面倒なことにならないうちに、とっととずらかろう……」

 今度は左手に男の腕を握り、軽く目を閉じると、秋葉さんはふっ、と消えた。

 桑織に帰るときって、あんな感じなんだ……


 私も帰るか。

 自販機のボタンとか、指紋ついてそうだから拭いて……アルミ缶は、指紋だけじゃなく唾液も付いてるから、仕方ない、持って帰ろう。

 ダストボックスのビンとカンの山の、一番上に載ったチューハイの缶を拾って、ポケットに捻じ込む。


 私も軽く目を瞑って……




 ジリリリリ……ッ!


 携帯のアラームが、鼓膜を破るほどに鳴る。両耳に差したイヤホンから。


 耳を傷めるとか、そんなことを気にする余裕はない。

 寝坊したらまた……ぅ、ぁぁ……!……はぁ、だが、アラームをこんな早朝に鳴らすと、それも……ぁ、ぅゎあああ!



 彼女の偽善は、私の生活を何も変えてはくれなかった。

 今日も、一日が始まる……

 ……もう嫌、こんな生活。

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