ep23 黒文字
自然に親しみ、その恩恵に感謝する祝日・みどりの日。
とはいえ、ワレの貧弱な体力では登れる山にも限度がある。
他人より多少、歩くことには自信があるがのぉ……所詮は散歩好きのひ弱な女子。ワレが好んで登る……いや、歩く山は、散歩の延長線上にあるような低山ばかり。
しかし、低山にも低山なりの魅力があるのよのぉ……。
何か見落としておるものがないか、昨日の夜からある程度準備しておいた荷物の最終チェックをして、だいぶ使い込んで傷と汚れが目立つモスグリーンのリュックサックを左肩に担ぐ。
お母にゃんの安らかな寝顔、ワレそっくりのかわゆい顔を少し眺めて、
「いってきます」
と、起こさないように小声で囁き、冷蔵庫にも書置きを残しておく。
ハイカットトレッキングシューズの靴紐をきつく縛り、リュックサックも背負い直し、そして桑祓から貰った杖二本が入った袋も軽く肩に担いで、準備完了。
「六時少し前、出発……本厚木駅まで歩いていくとするかの」
バス使うと少し遠回りになる気がするしのぉ……
白み始めた空を眺めながら歩くこと、一時間弱。
北口から道路を挟んで反対側、6番乗り場から宮ケ瀬行きのバスに乗って飯山観音前バス停で下車。
森の里行きの飯盛山バス停だと多少歩くが、これから何キロも歩くことを考えれば誤差の範囲。6番乗り場で待っておって、来たバスに乗ればよいから楽よのぉ。
見慣れた朱の欄干の橋。
お、この飛び出し注意の看板、いつ見てもかわゆいのぉ……
『←散策道を
ご利用ください』
そう書かれた看板があって、ワレがそちらを使わぬという選択肢はない。
小川に沿って植えられた桜は、とうに葉桜になっておる。
千社札がべたべた貼られておる門をくぐり、急ではあるが歩きやすい石段を登ると、駐車場の前。
紅葉の時期など、ワレは都合が合えば必ず行くようにしておるのだが、時々駐車場の奥で豚汁と鮎の塩焼きを無料で配っておる。
あれ、美味しいのよなぁ。
『坂東六番霊場 飯上山 長谷寺 飯山観音』と石に刻まれた文字を横目に、そんなことを思いながら、数年前に新しくなった仁王も……ん?何か違和感があるおぉ……
その仁王門の捨身飼虎の彫刻を見ながら石段を登り、仁王門の真ん前に立って気付く。
……一年ほど、修復作業、とな?
うむ。来年、桜の頃にまた来るとするかのぉ。
イヌマキの大木の脇で手水をして、石段をまた少し登れば、奥に佇む本堂、左右に並ぶ石灯篭、大きな香炉から漂う線香の香り……は、誰も立てておらぬな。全くないのぉ……
一応ハイキング中の安全を祈ってから、『白山ハイキングコース→』の看板の前で、装備を整える。
杖を布袋から出して、軍手をはめて、錫杖が鳴るからいらぬと思うが、一応熊鈴も着けておくとするかの。
『栄光への坂道』……って、何であろうかのぉ、この真新しい石の道標は。
まあよい。左手、女坂の方へ歩を進める。
この腹に『女坂』と書かれたウサギ、かわゆいのぉ……
杖を小脇に抱えて、
女坂を進む……のではなく、今回もこっちに行ってみようかの。
柵の脇、落ち葉が積った急な階段を下りていく。
『みはらし坂』。ワレはこのコースが白山ハイキングコースで一番好きであるのぉ。
鉄板を渡しただけの小橋を渡ると、さっきと同じウサギの腹に『見はらしの森』と書かれておる。
積った落ち葉と生い茂るシダで、他のハイキングコースと比べて道が不明瞭。何となく、人が通った跡があるところをたどって歩く。
楽しいのぉ……
暫くすると、木の陰からぴょこっ!と、タヌキが顔を出す。もちろん、ウサギと同じコンクリート製。腹には『見はらし広場』とある。こっちもかわゆいのぉ……
かつては見はらしがよかったのであろう。伸びた枝の合間から、遠くの景色がよぉく見える。
いくつかあるベンチも、笹と落ち葉で埋もれておる。今は、殆ど使う人がおらぬのであろうな。
裂けた枯れ木。雷かのぉ……?内側が焦げておる。
この木を通り過ぎたということは……
少し先に、道標が見えた。
猪久保コースとの合流であるのぉ。
すぐ近く、ラミネート加工された紙が、落ち葉に埋もれておる。
染み込んだ雨でぐちゃぐちゃに汚れておるが、
『 注意
「見はらし坂」方面は
一部悪路のため、通行には装備
と技術を必要とします。』
道標の傍にある、このちっこいポールは、これを掲げるためのものよな?完全に外れてしまっておるが……
ごつごつした牡丹岩を登って少しすれば、山頂の白い展望台が見えてくる。
……この茸が生え、鎖が付いた謎の木は何であろうかの……?
着いたぁー!
どんな低い山であっても、その
んんっ、石の道標がまたあった。『優勝決意の地』とな?展望台に写真が貼られておるし、サインもされておる。「チーム厚木」……って、何であろうかのぉ?
『横浜が本拠地の某球団の自主トレだよ!』(念話)
のわぁぁ!急にどこからか声が……ん、この声どこかで……?
しっかし、横浜の球団というと、たいよ……ん、DeNAベイスターズであるか。
さて、荷物降ろして一息つくとするか。
「……ん?おぬし、桑祓かの?」
この前と同じ黒い服を着て、瞑想しておった。
「……ん?あ、黒文字さん……錫杖と六尺棒、使ってくれてるんだ……」
……瞑想の邪魔をしてしもうたかのぉ……取り敢えず隣に座って、
「随分とやつれておるのぉ……」
荷を解いて茶を……
「む、開かぬ……」
軍手のままだと開けられぬな……しかし、外すのも面倒……
「ぁぐっ!」
キャップを歯で噛んで回す。行儀は悪いがのぉ……
八重歯の痕が付いたキャップを外して、直に口をつける。
賞味期限が切れておるが、ペットボトルは密閉されておるから平気であろう。
「桑祓はいつからここにおるのかの?」
こんなところで会ったのも縁。少し話しかけてみる。
「こんな低山に、始発の数本後のバスに乗って来たワレより早く登り始めた輩など、おらぬと思っておったのだがのぉ……」
見たところ、かなり長い時間ここにおる雰囲気であるがの……アマチュア無線をやっておる輩レベルで居座っておる雰囲気であるがの……
「昨日から」
「昨日!?」
「そういう修行で、な……」
この前は刀を佩いておったし、刀傷のような跡もあった。一体こやつは何を目指しておるのかのぉ……
ぐぅ~……
「……」
ワレ、ではないよのぉ……?チラッと桑祓を見ると、あ……と、気不味そうな顔をしておる。
「……腹、減っておるのか?というか、シュラフやツェルトどころか防寒着や合羽、新聞紙やアルミシートも無しに、春の低山で多少の雨が凌げるとはいえ、そんなところで一晩過ごすなど……死ぬ気か!?」
確かリュックのポケットに、業スーで買ったデーツバーがあったはず。
ワレの行動食として持ってきたものであるがのぉ……
「食え!ワレが言えたことではないし、いったい何のための修行かも知らぬが、いくら修行とはいえ無理してはならぬぞ……!」
突きつけるように見せてから、テーブルに叩きつける。
「ありがとう……」
早速、桑祓は包みを破いて齧り、
「……!」
目を見開いて、ゴホゴホ咳込んでいる。
「だ、大丈夫かっ!」
咄嗟に、ワレは手に持っていた茶を、桑祓に飲ませる
……空っ腹にデーツバーでは、体が驚いてしもうたか……
「く、っ……」
桑祓は口元を巫女服の袖で拭いながら、
「黒文字さん……」
と、ワレに呆れを呈する。
「な、何か不味かったかの?……あ、これ賞味期限切れであった……一、二か月過ぎたところで、腐る訳ではないが、他人に飲ませるのは、いや、そもそもワレが口を付けたものなど……」
ワレが口を付けた賞味期限切れの茶など、気持ち悪くて飲みたくないよな……
「いつも微妙にズレたところばっかり気にするな、黒文字さんは……」
「……良く分からぬが、ワレはいつも見当違いの事を気にしているとな?まあ……どうでもよいか。では、連休明け、また学校で会おう!」
気にしても仕方がないからのぉ……装備を整えて、忘れ物がないか指差し確認して再び歩き始める。
今日のハイキングはまだ始まったばかり。七沢方面に下りる坂の前で一度後ろを振り返って、ばいばい、と軽く手を振るう。
さぁ、行くぞ!
……誰に対して言っているのであろう?ワレは独りよの?自分自身に対してか。
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