ep3 雪乃下

 スケジュール係の仕事が異様に速く、明後日の時間割がすでに後ろ黒板に書かれていた。


「予定訊きに行くの頼むわ、ユキウサギちゃん?」


 技術・家庭係のもう一人は明日原柘。

 普通なら、技術の予定訊きに行くのは私、明日原は家庭科の予定訊きに行く……と分担するだろうが、おそらくこいつは家庭科の予定訊きに行くのも私に丸投げするだろう。

 まあ、どちらも週一回。二倍になったところで五教科の係よりは楽だろう。


 「1st steppe」というどう考えてもスペルミスってる冊子を見て技術の先生の名前を確認。

 秋葉桂、か。



 コンコンコン、と職員室のドアをノック。

「失礼します、一年二組の雪乃下です。秋葉先生いらっしゃいますか」

「ん?あんバカなら技術室に居っど思っど」

 濁った声、汚れた黒ジャージの、少し、いやかなり……ふと……ふく……太った先生が答える。

「ありがとうございます」

 あのバカ呼ばわりについては触れないでおこう……



 「1st steppe」の教室配置図で技術室の場所を確認。


 技術室に向かうと、『美術室にいます』の張り紙。盥回しにされている気がする。


 なぜ美術室……と思いながら美術室に向かう。

 途中スラックスタイプの制服を着た女子生徒とすれ違う。

 ボブの総白髪。

 彼女も私と同じように、どこかの教科の予定でも訊きに行っているのだろうか、と思いながら着いた美術室。


 誰もいない。


「どじだ?」


 さっきの肥満気味……肥満体型の先生に声を掛けられる。

「いや……技術室に行ったら、『美術室にいます』って張り紙してあったので」

「な!?マジデ……?」

 突然焦ってドアに手を掛ける。

「開いでる……いねゑ。もゔ技術室戻ったらしいど」



 どこですれ違ったんだろう。技術室に再び向かうと、張り紙は剥がされていた。


 コンコンコン。

「はいー、勝手に開けて入っていいよ」

「失礼します、一年二組の雪乃下です……」

 暫し黙ってしまう。


 プリント類が雑多に積み重なった机の端。

 ノートPCを広げ、高速でキータッチする、先ほどすれ違った女子生徒。


「ん?雪乃下さんどーしたの?」

 その声で再起動。

「えーと、秋葉先せ……」

「先生と呼ぶな」

 鋭いナイフのような声。思わず体が竦む。


「あ、ごめんごめん。えーと、授業の持ち物の確認?」

 少しハスキーな、優しい声に戻る。


 PCの画面を見ていた顔をあげ、こちらを向く。

 眼鏡の奥、蒼とも灰色ともつかない瞳が、係決めのときの朝顔のように見つめてくる。


「教科書と筆箱、ネームペン。ジャージか体操着で来るように伝えといて。OK?」

「はい……失礼しました」

 ドアを閉めて去ろうとする。


 しかし、

「ちょっと待って、雪乃下さん」

 呼び止められる。


「桑織」


 !


「鋏」


 !!


「自傷」


 !?


「ん。何でもない。帰っていいよ」

「えっ、何でもないって……さっきの質問」

「じゃあ、鋏、見せて」



 鋏。

「はい……」


 バックパックのファスナーを開け、鋼製の大きな裁ち鋏を取り出す。

 ぁぁ……ひんやり、ずっしり……この感じ、心が落ち着く……


「どれどれ……」

 眼鏡の蔓を軽く抓んで、骨董品を鑑定するかのようにその鋏を見る。


「#The Doomか。所有者との適合度もかなり高い」

「ざ・どぅーむ?」

「そ。ほら、ここに書いてあるでしょ」

 留め具の下あたりを指す。確かに、何か花のような紋章とともに刻まれている。


「悪い運命、死とか破滅とか、最後の審判とか、そういう意味」

 そう言って、鋏を私に返す。


「ちなみに、私のはこれ」

 教室の隅に立て掛けられていた、弓袋のようなもの。そこから取り出されたのは、


「棒?」


「槍の柄。#The Emperor、まあコンセプトはオールラウンダーなんだけど、狭い場所だと扱えないし、持ち運びも大変だし、むしろ扱える場面少ないんだよね」



「ね、雪乃下仁さん、特化傾向何?」

 特化傾向か、そういえば何なんだろう。


「多分……破壊特殊型だと思うんだけど、あってる?」

 破壊特殊型?

「特化傾向って、呪術、分析、奇術、表現、生産、暴力、成長の七つじゃないんですか?」

「かなり珍しいけど、その他に特殊型っていうのがあるの。耐久、破壊、それから桑織。特に、破壊特殊型は……ん、なんていうか、ね」

 少し目を伏せて、黙り込んでしまう。


「ね、目瞑って」

 言われた通りに、目を瞑る。シャンプーの香りだろうか、仄かに甘い香りが鼻孔をくすぐる。


「……脱力して」

「……っ!」

 耳元で囁かれ、ドキッとする。


「ん」

「!?」

 突然の抱擁。女性らしい柔らかな……私の体に押しつけられる、胸。

 裁ち鋏……#The Doomをジャキジャキと閉じたり開いたりしながら眺めるとき、いやそれよりも遥かに、心が凪ぎ、何か悪いものか溶けて消えるような感覚。

 だんだんと、意識が遠のいて……



 目を開くと、林道。桑織と外界を繋ぐ唯一の道。


 白昼夢……?だったのだろうか。

 技術室で下ろしたバックパックは、右脇に置かれている。

 その上に、今にも春風に吹き飛ばされそうな、一枚の紙。


『桑織神社の資料室、暇な時に覗いてみて。私には、上手く説明できそうにないから。By K.』

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