クリスマス
そして時刻は昼頃になった。
コテージの前の庭にはフリィ考案の特設の茶会会場が出来上がっていた。
大きめの丸いガーデンテーブルに揃いのガーデンチェアを五脚ほど並べる。それから雪景色の中でも寒くないよう以前焼き芋を食べた時に使った焚き火を再度起こし、暖を取れるようにする。そうして設営が終わった後で、フリィは最後の仕上げのためにいったんコテージ内に戻っていく。
一人残ったヒロはチェアに座り、手持ち無沙汰に村の景色を眺めていた時だ。
「やっほー! ヒロ!」
明るい声と笑顔でレジーナがやってきた。
玄関からひょこりと現れた彼女はフードカバーをした皿を手にしている。
その姿を見てヒロはパッと表情を明るくして立ち上がった。
「レジーナ! 待ってたんだ!」
「そ、そう? ふふ、しょうがないなあ。私は何すれば――」
「レジーナの席はここだ。遠慮なく座ってくれ」
しかしヒロはレジーナを促すと、焚き火の熱が届く奥側に座らせた。
促されるまま席に着いたレジーナは、皿をテーブルに置きながらヒロを見やる。
「え? 準備は? 私も何か、手伝わなくていいの?」
「準備はもう全部終わってるぞ」
「あ……あれ?」
「やることがなくて、一人で暇してたところなんだ」
ヒロはからりと笑うとレジーナの隣に座った。
二人の距離は少し動けば肩が触れそうなほどに意外と近く、レジーナは仄かに顔を赤くすると、座り心地を直す振りをしながらそっと椅子の間隔を離す。
それから彼女は、先程テーブルに置いた皿へ手を伸ばす。
「あのね、ヒロ。これ――」
「レジーナ。いないと思ったらこんなところにいたんだね」
明るい声をともにフードカバーをした皿を持ったフリィが戻ってきた。
そしてその隣には、大量のサンドイッチが盛りつけられた大皿と取り皿を持ったアクセプタと、仲間全員分のカップを乗せたお盆を持ったモイがいる。
「あっフリィ! って、そのお皿!」
「うん。セプたんから、二人で食べる予定だったって聞いて、持ってきたんだ」
「いやいやちょっと待ってよ。私たち別に、ここで食べるなんて――」
「読書会ならここでやりなよ」
「――えっ?! フリィってば何で知ってるの?!」
驚いた顔をしたレジーナは、弾かれるようにアクセプタを見やる。
目が合ったアクセプタは、意外そうな顔を返した。
「薬屋が配達員に言ったんじゃねーの? アタシもさっき、こっちで読書会するって配達員から聞いたんだけど」
「えっ、私何も言ってないよ!」
顔を見合わせたアクセプタとレジーナは同時にフリィを見た。
彼女たちの怪訝そうな視線を一身に受けたフリィは、にこやかに微笑む。
「せっかくだから一緒に過ごそうよ」
言いながら彼は持っていた皿をレジーナの側に置いた。
彼らのやり取りにヒロが何がなにやらと思っている間にも、モイはいそいそとお盆をテーブルに置いてヒロの隣に座る。それに触発されるように、困惑顔のアクセプタが持っていた皿たちをテーブルに下ろした。それでもアクセプタが席に着く気配がないのは、ポカンとした様子のレジーナからこの状況を受け入れているわけではないのが伝わってくるからだろう。
少し考えたヒロはレジーナに向き直る。
「俺はレジーナとも一緒に過ごしたいが、もしかして迷惑だったか?」
「えっ?! べ、別に迷惑じゃないよ! 迷惑じゃない……けど、……ええと、ほら! 私はフリィが言ってた特別なプレゼントを準備してなくて。条件を満たしてないから参加できないけど、その、私だって……」
「……? 何言ってんだ。レジーナは――」
「レジーナ、特別なプレゼントを準備してないの?」
何か言いかけたヒロの言葉を遮って、モイが驚いた顔で口を挟んだ。
小首を傾げたモイは更に質問を重ねる。
「じゃあ、レジーナはこのお茶会に参加できないってこと?」
そんなモイの問いに答えたのはニコニコと微笑むフリィで。
「大丈夫だよ、モイ。レジーナもちゃんと特別なプレゼントを準備してるから、お茶会に参加できるよ。ね、セプたん」
「へ? ……ああ。もしかして配達員、あのアップルパイのこと言ってんのか」
「セプ、ちょっと待っ――」
「レジーナ。あの特製アップルパイ、今年もヒロにあげるんだよね?」
その言葉に、場がシンッと静まり返る。
その中でモイが呟いた、よかったレジーナもちゃんとプレゼントを準備してたんだね、と安心した声がお茶会会場によく通った。
顔を赤くしたレジーナと驚きを隠せないヒロが揃ってフリィを見る。
「ちょっとフリィ!! 何で言っちゃうの!? ていうか何で知ってるの?!」
「レジーナ手作りアップルパイ? どういうことだ?」
「前にレジーナのお母さんが教えてくれたんだ。ヒロが毎年クリスマスプレゼントにもらってるアップルパイは、レジーナが毎年早起きして作ってるお手製なんだって」
笑顔のフリィはあっけらかんと言った。
直後、レジーナは短い悲鳴とともに立ち上がる。俯いて顔を隠していても髪の隙間から見える耳まで赤くなっていることまでは隠せておらず、羞恥心に耐えられなくなったことが窺える。
そんな彼女が逃げ出す早く、立ち上がったヒロがレジーナの手を掴んだ。
「ありがとな、レジーナ! 俺、今、すっげぇ嬉しいよ!」
はしゃぐ子どものように声を弾ませたヒロは、眩しいほどの笑顔を浮かべている。
ヒロを振り向いたレジーナはリンゴのように顔を真っ赤にして目を白黒させているが、当の本人は気付いていない。
「俺、今年もあのアップルパイを食べたかったんだ! 旅をしてるから仕方ないって今年は諦めてたが、まさかレジーナの手作りだったなんてな。言われてみれば確かにレジーナ好みの甘さだったし、ヒントはあったのに気付けなかったのは悔しいな」
「え、ええと」
「言ってくれりゃいいのに、レジーナのことだから、教えてくれなかったのは俺やフリィに気を遣ったからだろ? 俺がフリィが喜んでたって話したから、律義に毎年持ってきてくれてたもんな。俺、余計な義務感を背負わせたくなかったから黙ってたが、本当は俺だってレジーナからもらうアップルパイを毎年楽しみにしてたんだからな」
「ああああ、あの」
「でもそうか……レジーナの手作りってことは、毎年作ってくれてたってことなんだよな。そりゃあ、どうりで特別なアップルパイって言うわけだ。これじゃあ本当に、一生かけても恩を返せないな!」
耐えきれなかったらしいレジーナは、逃げるようにヒロから視線を逸らした。
そんな彼女と目が合ったフリィは微笑ましそうに笑っており、アクセプタはレジーナが持ってきた分とフリィが持ってきた分、両方の皿のフードカバーを外す。どちらの皿の上にも、ほんのり美味しそうな香りを漂わせるアップルパイが載っていた。
アクセプタはふと目を細めると、顎で促すアップルパイを示した。
促されるままレジーナは自身が持ってきた皿をヒロへ差し出す。
「ど、どうぞ。お口に合うかはわかんないけど」
「何言ってんだ。毎年食ってんだから、美味いに決まってんだろ」
受け取ったヒロは心の底から嬉しそうに笑う。
「ありがとな、レジーナ。俺、この甘いアップルパイが大好きなんだ」
「ひえ」
レジーナは短い悲鳴を上げた。
恥ずかしさと嬉しさと照れがキャパシティを越えたらしい彼女が倒れる直前に、アクセプタがそっとその体を支えて耳打ちする。
「大丈夫か薬屋? 息してっか?」
「もう無理……耐えられない……。主人公体質恐ろしい……!」
アクセプタの髪に負けないほどに顔を真っ赤にしたレジーナは、目を白黒どころかもはや顔や頭から湯気が出そうである。
そんな彼女の様子にアクセプタは苦笑いを零すとテーブルを見回した。
「先に昼飯にしよーぜ。配達員も勇者も迷子も、それでいーか?」
「僕はどっちでもいいよ」
「お昼食べよう。お腹ペコペコだよ」
フリィとモイの言葉を聞いて、ヒロはひとつ頷く。
「確かにそうだな。もう昼飯の時間だし、俺たちだけで先に飯を食うか」
ヒロはそう言いながら、レジーナの手を離すと席に座り直した。
それを確認したアクセプタは人知れず胸を撫で下ろすと、レジーナを椅子に座らせてから自身もその隣の席に座る。そして、残った一席にフリィが腰を下ろす。
そうしてフリィは焚き火で温めていた飲み物を五人分のカップに注ぎ、ヒロがそのカップをそれぞれに配った。その間、何とか冷静さを取り戻したレジーナが一皿分のアップルパイを五等分に切り分け、アクセプタがそのアップルパイを取り皿に載せて各自の目の前に置いていく。それを見守るモイは相変わらずの無表情だが、着実に準備が整っていくテーブルの上を、まばたきもせずにジッと見つめていた。
そうして準備が整うと、フリィは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「それじゃあ一足先に。ようこそ、クリスマスのお茶会へ」
フリィ主催のクリスマスのお茶会は和やかな空気に包まれていた。
一昨日の買い物のことや、昨晩のクリスマスパーティにその時もらったプレゼントのこと、聖女さまからのプレゼントのこと。そして、明日以降の旅のこと。サンドイッチやアップルパイを食べながら、五人はそんな雑談に花を咲かせる。
賑やかというよりも、穏やかに時間が過ぎていった。
「そう言えば、何でフリィは私たちが読書会をするって知ってたの?」
会話の途中でふと、アップルパイを頬張りながらレジーナが尋ねた。
その質問にフリィはあっけらかんとした様子で答える。
「それはね、昨日、セプたんとレジーナがお互いに本をプレゼントし合ってるのを見かけたからだよ。その時に、今日の午後に一緒に本を読んで過ごそうって話してたのも聞こえたんだ」
「何だそりゃ。つまり配達員は盗み聞きしてたっつーことじゃねーか」
「そう言うかもしれないけど、僕だって盗み聞きするつもりはなかったんだよ。僕が没キャラだったから聞こえちゃっただけで」
「最後まで聞いてる時点で盗み聞きだっつーの」
アクセプタは口を尖らせた。
フリィは彼女の言葉に否定も謝罪もせず微笑んで流すと、言葉を続ける。
「でも話を聞いて意外だったのは、その読書会、レジーナじゃなくてセプたんが提案したってことかな」
「確かにそれは意外だな。てっきりレジーナが誘ったんだと思ってた」
ヒロがフリィに同意した。
彼らの言葉を聞いたアクセプタは、少し呆れた様子で肩を竦める。
「そりゃあ、毎年一人でクリスマスを過ごしてるんだって言われちゃあ、放っとけるわけねーだろ」
「ありがとね、セプ! セプが誘ってくれてとっても嬉しいかったよ!」
「そりゃどーも。……っつーかそんなことより、配達員がこんな茶会を企画するほうが意外じゃねーか」
「そうかな?」
「そりゃそーだろ。特別なプレゼントを持ってくるのが参加条件だなんて、何か企んでるに決まってんじゃねーか」
アクセプタはそう言ってジロリとフリィを睨んだ。とはいえ、別に彼女は睨んでいるつもりはなく、生来の目つきの悪さからそういう風に見えてしまうだけなのだが。
そのことを理解しているフリィは困ったように笑った。
「あはは、セプたんは鋭いね」
自身の隠し事でも何でもペラペラと喋ってしまうフリィにしては珍しく、それ以上言及することなく笑って流した。フリィとしては、普段は言えないヒロの本心やレジーナの隠し事などが絡むから黙っていることを選んだのだが、もちろん、そんな事情があることすら話せないわけで。しかし、何となく察したのかアクセプタはそれ以上追及することはなかった。
その代わりと言わんばかりに、アクセプタは
「ま。おかげで薬屋が、今年も勇者に特製アップルパイを渡せたわけだしな?」
「もうセプ! その話はもういいでしょ!」
「はいはい。どーせ配達員と勇者は単なるプレゼント交換になるだろーから後で勝手にやらせるとして、迷子はどんなプレゼントを準備したんだ?」
アクセプタの問いに、モイは待ってましたと言わんばかりに立ち上がった。
「あのね、聖女さまとサンディにお手紙を書いたの」
「手紙?」
フリィが首を傾げる。
モイはポシェットから少し皺の入った封筒を取り出すと、それを全員に見せた。
「うん。クリスマスパーティでみんなで一緒に美味しいご馳走を食べれて嬉しかったことと、フリィとお揃いのポシェットをくれてありがとうって伝えたくて」
その純粋で真っ直ぐな言葉に全員が口を閉ざした。
聖女もサンディも実在するが、歴史上の人物なので会うことができないのである。
そんな中、ヒロがニッと笑って言う。
「それならモイ。その手紙はフリィに預けたらどうだ?」
「フリィに?」
「うん、いいと思う! フリィは配達員だからモイの手紙を届けてくれるよ」
レジーナが笑顔で同意した。
二人の言葉にモイはいそいそとポシェットから手紙を取り出す。
そして、それをフリィに差し出した。
「はい、フリィ。これ、クリスマスのお礼の手紙。ひとつしかないけど、聖女さまとサンディに届けてほしいの」
「うん、わかった。ちゃんと届けておくね」
「ありがとう。よろしくね、フリィ」
モイは満足げに頷いた。
フリィが手紙を大事そうにバッグにしまったのを見て、ヒロが口を開く。
「じゃあ、次は俺の番だな」
そう宣言したヒロはウエストポーチへ手を伸ばし、ようやく、お目当ての物を取り出すことができた。
生成り色のリボンで装飾された藍色の小箱。
それを握りしめたヒロは、体ごとレジーナへ向き直る。
「レジーナ。これ、俺からのクリスマスプレゼントだ」
ヒロはそう言いながら、手の中の贈り物を彼女へ差し出した。
その小箱を見つめるレジーナは心底不思議そうに小首を傾げると、フリィ、モイの順で視線を向けて、それからもう一度ヒロを見やる。
「え? 私? フリィやモイじゃなくて?」
「何でだよ。前に言っただろ。毎年プレゼントをもらってる分、いつか俺も、まとめて返せるようなクリスマスプレゼントを贈るからって」
「言ってたけど……」
「だから、どうしてもこれをレジーナに贈りたかったんだ」
ヒロはレジーナの手を取ると、その掌に小箱を握らせる。
その小箱は、ともに過ごした年月の分だけ積み重なった、恩義のある大切な幼馴染への想いを――願いを込めた特別な贈り物だ。昨晩、フリィに届けさせた彼女のように相手へ渡せればそれで満足、だなんてヒロは思っていない。
上手く伝えるためにすれ違いなく理解してもらうために、何度も何度も頭の中で考えた言葉を、今一度繰り返す。頭が良い割にどこか抜けているレジーナに告げるのならシンプルでストレートな言葉がいいと、直感的思ったのだ。
そしてヒロは、渡した小箱ごとレジーナの手を握りしめる。
「なあレジーナ。聞いてほしいことがあるんだ」
「っひゃっ、ひゃい……!」
レジーナの肩が小さく跳ね、その顔が真っ赤になっていく。
そんな彼女の様子も声の裏返った返事にも気付かず、ヒロは言葉を続ける。
「クリスマスの話、フリィから聞いたんだ。俺が至らないせいで、いつもレジーナに迷惑をかけて悲しませて……傷付けてすまない。もっと早くに気付けていれば、レジーナに寂しい思いをさせずに済んだのに」
「いやいやそんな、ヒロが謝ることじゃないよ」
「……覚えてるか? 俺、いつか元気になって自分の足で歩けるようになったら世界を見て回る旅がしたいって話したこと」
「え? う、うん。もちろん覚えてるけど……」
「俺は、もう二度とレジーナに寂しい思いをさせないと誓うよ。だから、この旅が終わっても……いや。この旅が終わったら一緒に旅をしよう」
「え……え? 旅が終わったら、旅?」
「ああ。俺は昔からずっと、レジーナと一緒に世界を巡りたいと思ってたんだ。だから勇者の旅が終わったら、今度は俺の旅に一緒に来てほしいんだ」
ヒロは優しい声でそう告げた。
揺るがない意志が炎となって燃えているような目が、真っ直ぐにレジーナを見つめていた。それを見つめ返すレジーナはパチパチとまばたきをしており、彼の言葉を理解しようとしている様子が窺える。
フリィとアクセプタ、そしてモイの三人が固唾をのんで見守る中。
「……そっか、うん、そっかぁ、ふふ」
そう呟いたレジーナはふりゃりと笑った。
彼女の声からも表情からも、その嬉しさがありありと伝わってくる。
「うん、喜んで。私をヒロの旅に連れてってよ」
「ああ、もちろん。一緒に行こうな、レジーナ。約束だ」
ヒロもまた幸せそうに笑い返す。
ぼんやりと脳裏に浮かぶ、クリスマスイブのあの夕日の中。
少し寂しそうに笑っていた彼女の手を引き止められたような、のみ込まずに告げた言葉に花のような満面の笑顔が返されたような、そんな気がした。
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