準備4日目、その夜

「……フリィ。起きてるか?」

 何度目かの寝返りを打ったタイミングでヒロは呟いた。

 ベッドの中で視線だけそちらに向ければ、フリィは同じようにベッドの中から視線だけヒロを見ていて。

「起きてるよ。珍しいね、ヒロの寝つきが悪いなんて」

「わかってて言ってるだろ、お前」

 フリィは何も言わずに笑い返した。

 それから同時に寝返りを打った二人は、示し合わせたように顔を合わせる。

 二人がそれぞれ使っているベッドの間にはベッドサイドテーブルが置いてあり、そこにはグローウィンのブランケットで作った寝床で丸くなってぐっすり眠っているヴィクリの姿がある。魔物恐怖症のアウトリタに配慮して、彼はヒロとフリィの部屋を使っているのだ。

 そんなヴィクリを起こさないようにフリィは小声で言う。

「レジーナのこと、考えてたんでしょ?」

「ああ」

 そう告げたヒロの声は、普段の彼からは想像もつかない程に弱々しい。

 短い返事で気丈に振る舞ってはみたものの、その実かなり滅入っているのだとフリィにはすでに見抜かれているだろう。言い争いからケンカにまで発展するとは思わなかった、そして、ここまで拗れて長引くとも思わなかった。どれだけ言い訳を重ねても、現状を変えることはできない。

 思わずといった様子でヒロは小さなため息を吐く。

 フリィはそんな彼へ柔らかい視線を向ける。

「でも、レジーナもレジーナだよね。ヒロの心配を、弱くて頼りないから信用されてないって解釈しちゃうんだから。誰が見たってヒロはレジーナのことをすっごく信頼してるのにね」

 フリィの気遣うような言葉がヒロの心に刺さる。

「……本当に、何でそうなるんだろうな」

 そう答えたヒロは、彼らしくない自嘲気味な笑みを零した。

 フリィの言葉通りヒロはレジーナを、ともに旅をし背中を預け合う仲間としてこれ以上ないくらいに信頼している。それでも、それとは別にレジーナが心配で、一人で無茶しないでほしいと、そう強く思っているのも事実だ。なのに、言いたいことも伝えたいことも何一つ届いていないような歯痒さがあって。

「本当は、言い争う気も、傷付けるようなことを言うつもりもなかったんだ。あの時だって、怒鳴ってごめんって謝って、そういう意味じゃないんだって言い直したほうが良いってことぐらい、わかってたんだ」

「珍しいね。ヒロが言葉選びを間違えるなんて」

「それじゃあいつまで経っても俺の気持ちが伝わらないし、……レジーナならわかってくれると、心のどこかで決めつけてた」

 気絶したフォレストベアの前で思わず感情的になって怒鳴ってしまった時から、ヒロの頭の中には謝罪と前言撤回の言葉が弾き出され続けていた。それが最善の選択であることは十分理解していた。

 それでも、その言葉を口にしなかったのは、ヒロの個人的な感情だった。

「フリィだって知ってると思うが、レジーナはいつも誰かのために無鉄砲な無茶ばかりするくせに、そのせいで自分が危険な目に遭って死ぬかもしれないなんて考えないだろ。だから、せめて何かするなら俺には事前に言ってほしいんだ」

「ヒロ……」

「俺は、誰に言われなくたって、レジーナなら一人でも問題ないってことも、俺が心配するほど弱くないってことも、俺が一番わかってる。わかってるんだ。……でも、それでもやっぱり不安でさ。今度こそ取り返しのつかないことになったらと思うと、俺の気持ちが大丈夫じゃないんだ。俺の手の届かないところでレジーナが一人で戦ってることが耐えられなくて、嫌な予感ばかり浮かんで、無事を確認するまでは生きた心地がしなくてさ」

 おもむろに目を伏せたヒロの脳裏に、あの日の光景がまたたく。

 燃え上がる炎と、必死に伸ばした自分の手。

 肺すら焼けそうな赤い光景の中で、あの柔らかな水色だけが鮮明に色付いていた。

「だからさ、自分のことをすぐ後回しにするあいつのことを誰かがちゃんと見ててやらないとって思うし、レジーナが何かしたいことがあるなら俺が手伝いたいんだ」

 ヒロは拳を握りしめる。

 要領を得ない言葉だったかもしれないが、それでも、ぐちゃぐちゃした心の奥底にあった想いをようやく吐き出せたような、そんなすっきりとした感覚があった。こういう時に、フリィが没キャラであることが有り難く思える。相手が没キャラだからこそ飾らない気持ちが吐露できたのだから。

 目が合ったフリィは相変わらず微笑ましそうな表情をしている。

 まるで、自分が言わなくてもわかってるよねと言いたげな親友に、ヒロは何とも言えない顔を返す。そうして、何か言おうと口を開きかけた時だ。

「意外だな。殺しても死ななそうな魔女の姉ちゃんの心配だなんてなァ」

 静かな部屋にヴィクリの声が響いた。

 ヒロとフリィは同時に起き上がってベッドサイドテーブルを振り返る。

「ヴィクリ!?」

「あ、起きてたんだね」

「ケッ、テメーらの話し声に起こされたんだよ」

 ブランケットの上で寝転がるヴィクリは頭の後ろで腕を組み、足も組んでいた。薄暗い室内でも彼がヒロを見ていることがハッキリとわかる。寝ぼけた様子のないその様子を見る限りでは、ずいぶんと前から起きていたらしい。

「すまない。気を付けてたつもりだったが、うるさかったか」

「まァ、別にいいけど」

 ぶっきらぼうに答えたヴィクリの尻尾が楽しそうに揺れていた。

 だがそれは、落ち込んでいるヒロを見て喜んでいるというわけでなく、面白い話を聞いたぐらいの感覚だろう。ヴィクリは悪魔族ではあるが、彼ら悪魔族は、言い伝えられているように他人の負の感情を糧にするような邪悪な種族ではないことをヒロは知っている。

「あの魔女の姉ちゃんだってケッコー強ェじゃん。勇者は何が心配なんだ?」

「強いのと死なないのは別問題だろ」

「なるほどなァ。ケケケ、勇者もニンゲンってワケだ」

 愉快そうに笑ったヴィクリの尻尾がゆらりと揺れた。

「ま、魔物は実力主義だからなァ。オレ様にはワケわかんねェや」

「そうかな? 僕、ヴィクリならヒロの気持ちがわかると思うけどな。だって、死んでほしくないから過剰に気に掛けるなんてヒロと同じだよ」

「バッ、違ェよ! オレ様は、泣き虫が弱ェのが気に食わねェだけだ!」

 ヴィクリは間髪容れずに噛みつきながら飛び上がった。

 フリィは別にティアリーのこととは言っていないのだが、ヴィクリ自らが話題にする辺り、気にかけている自覚はあるらしい。

 全力で否定しているヴィクリが過去にティアリーに対してやってきたことは、彼らの暮らす隠れ里内でも賛否両論分かれているそうだ。だが、当のヴィクリとティアリーの関係性を鑑みた結果、不器用が極まった情の裏返しなのだと結論づけられているらしい。実際に一度だけその現場を見たことがあるフリィも、ティアリーから話を聞いたことがあるだけのヒロも、隠れ里の彼らと同じようにティアリーとヴィクリは何だかんだ仲良しなんだなと思ったので、間違いではないのだろう。

 ふと、フリィが軽く手を叩く。

「そうだ。ヴィクリはどうやってティアリーと仲直りしたの?」

「ハアッ?! 何で、ンなことをオレ様に聞くんだ……!」

「そりゃあ、ヴィクリはこういうことに詳しそうだからだよ」

 あっけらかんと告げられた言葉に、ヴィクリは言葉を失ってワナワナと震えた。

 フリィとしては何気ない言葉だったのだろうが、暗にヴィクリはティアリーとよくケンカをしていると言っているようなものだ。

 そんな言外の意に気付いていないヒロは、ハッとヴィクリに視線を向ける。

「頼むヴィクリ、仲直りのコツがあるなら教えてくれ!」

 そして、ヒロはそう告げると勢いよく頭を下げた。

 フリィの発言に怒ろうとした矢先にヒロの行動に戸惑ったヴィクリは、困った様子でポリポリと頭を掻くと、ブランケットの上に胡坐をかく。

「ま、まァ、こういう時は詫びの品がいいんじゃねェの」

 そう言ったヴィクリの声音からは、まんざらでもない様子が伝わってくる。

 勇者と呼ばれるヒロから頭を下げてまで教えを乞われたのが嬉しかったのだろう。

「ずっと前の話だけどよォ、ブチ切れて口利かなくなった泣き虫に詫びの品渡したらすぐに機嫌直したから、効果アリだと思うぜェ」

「確かに。もうすぐクリスマスだし、プレゼントを渡すのはありだと思うよ」

「プレゼントか……」

 彼らのアドバイスにヒロは頭を上げ、オウム返しに呟いた。

 ヒロが誰かにプレゼントを贈ったことがあるのはたった一度だけ、しかもまだ病弱だった頃のことだ。拙いながらも必死に手作りしたあの贈り物しか経験値のない自分に、傷付けてしまったレジーナを喜ばせて笑顔にさせるようなプレゼントを贈ることができるのだろうか。

 そんなヒロの不安を汲み取ったのかフリィは笑う。

「難しく考えなくていいと思うよ。レジーナならどんな物でも大事にしてくれるよ」

「だなァ。魔女の姉ちゃんなら何渡しても喜びそうだ」

「…………ありがとな、二人とも。レジーナにプレゼント、贈ってみるよ」

 ヒロはそう言って笑った。

 きっと彼女なら嬉しそうに、あの満開の花のような笑顔を見せてくれる。

 そうであってほしいと、ヒロは心の底から思った。

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