準備3日目

 翌日の昼。

 一行はパーチェも含めて、コテージの前で焚き火をしていた。それは昨日グローウィンが準備をしていたもので、その隣にも同じような焚き火跡がある。もう一つ側では熾火が燻っており、専用の紙に包まれたサツマイモがじんわりと焼かれていた。

 それは、昨日の騒動でやむを得ず変更になった昼食である。

 コテージでキャンプすることが決まった後でアウトリタがアクセプタに教えた、子どもが喜ぶキャンプ飯のひとつだ。ターゲットがモイとティアリー、ついでにこういうことが好きなグローウィンやレジーナなのは言うまでもないだろう。

 本日改めて、アウトリタ指導のもとサツマイモを焼くための焚き火や熾火などを準備し、パーチェ監修のもとサツマイモを下準備して熾火の周囲に置いてく。孤児院育ちとその幼馴染みなだけあって、二人ともずいぶんと慣れた様子だった。

 そして十分に焼けたサツマイモをアクセプタが火バサミで焚き火から取り上げる。

 焼き芋の完成である。

「できたぞ」

「わーい」

 最初に焼き芋を手にしたのはモイだった。

 続いてグローウィン、レジーナの順でアクセプタから焼き芋を受け取ったのだが、なぜかレジーナの手には焼き芋が二つもあった。

 小首を傾げたレジーナがアクセプタへ視線を返すも、彼女はパーチェに焼き芋を渡そうとしているところで。ふと視線を向けた先では、軍手を装備したアウトリタが果敢にも直接焼き芋を回収していた。

 意図的だったのか偶然だったのか。改めて問うまでもないだろう。

 レジーナは少し迷ってから、二つの焼き芋のうちひとつを、彼らから少し離れた場所で焚き火にあたって指先を温めていたヒロへと差し出す。

「はい、ヒロ」

「あ、ああ。ありがとな、レジーナ」

 レジーナの態度はどこかよそよそしく、ヒロの言葉は妙にぎこちない。

 ヒロの微笑みには寂しそうな色が混ざっており、レジーナは無理して取り繕った笑みを浮かべているのだが、互いに相手から絶妙に視線を外しているせいでどちらも気付く様子はない。ややあって、ヒロが二の句を告げるよりも先にレジーナはさっさと仲間たちの元へと戻っていった。

 その背中を見送ったヒロは、思わず手元の焼き芋へ視線を落とす。

 ヒロとて、謝れるものなら今すぐにでも謝りたいのが本音である。

 その思いを胸にヒロが行動を起こしたのは、昨晩のことだった。

 あれから一度も口も利かず目も合わなかったレジーナのところへ、ヒロはモイの助力を得て就寝前に訪れていた。黙々と薬の調合をしていたレジーナはアクセプタ特製の夜食をモイではなくヒロが差し入れたことに驚いていたが、結局何も言わずに作業を続けていた。ヒロも彼女の邪魔をしたくなかったので黙って調合する姿を眺めながら作業が終わるのを待っていたのだが、結局彼女は調合が終わるなり寝落ちてしまったので何も話せずに終わった。そのうえ、今朝は今朝でなかなかタイミングが見つからずに挨拶を交わした以外は話せるチャンスがなかったのである。

 謝らなければと思えば思うほど機会がなくなっていくような気がして。

 そんな焦燥感に襲われたヒロが、焼き芋をティアリーと半分こしているレジーナの楽しそうな横顔をぼんやりと見つめながら思わずため息を吐いた時だ。

「ヒロ」

 モイの抑揚のない淡々とした声が降ってきた。

 そちらへ顔を向けると、両手に焼き芋を持った彼女の無表情がヒロを見つめている。

「ヒロは焼き芋食べないの?」

「これから食べるところだ」

「そっか」

 そう言ったきり黙ったモイは真顔のままヒロの隣に座った。

 かと思えば、彼女は何か喋り出すでもなく黙々と焼き芋の包みを破り、いただきますと言って食べ始めた。

 そんなモイをヒロはどうしたのかと困惑した様子で見つめていたが、ややあって、彼も同じように少し豪快に包みを破いて焼き芋を食べることにした。豪快に包みを破けば、ほのかに湯気を立てるサツマイモが顔を出す。それを食べれば口の中にホクホクとしたサツマイモの独特な粘り気と優しい甘みが広がり、続いて皮の苦みが押し寄せてくる。ヒロは少し考えてから、焼き芋を咀嚼しながらサツマイモの皮を剥がして焚き火に放り込んだ。

 そんな彼の隣で、モイは皮ごとペロリと焼き芋を完食していた。しかし彼女は次の焼き芋をもらいに行くでも、何か話し出すでもなく隣で黙って座っている。

「焼き芋は美味いか?」

「うん。ホクホクで美味しい」

 会話が途切れた。

 ヒロは残りの焼き芋を口に放り込み、咀嚼しながらどうしたものかと思案する。

 モイは常に無表情であるがゆえに何を考えているのか、ヒロにはたまにわからない時があるのだ。ただ、何をするでもなく大人しく隣に座っていることから、おそらくモイがヒロに用事があることは察せられる。とはいえ、良い意味で遠慮しないモイが何も言わないということは、話したいことがあるわけではないらしい。

 ヒロは少し迷った後で、何もせずただ座っている少女へと声をかける。

「モイ。何かあったのか?」

「何もないよ。ただヒロが寂しそうだから」

「……俺が?」

「うん。寂しい気持ちは自分ではわかりにくいんだって。フリィが言ってたよ」

 こちらを見たモイは、内心を見透かすかのような無垢な眼差しをしている。

「ワタシもね、記憶がなくてみんなと違うことが寂しくて悩んだ時があったんだ。けど、その時フリィがワタシの傍にいてくれて、一緒に思い出を作ろうって言ってくれたの。フリィだけじゃなくてレジーナもグロウィンも一緒にいてくれて、……今はティアリーやトリたん、セプたんにヒロもいる」

「モイ……」

「前にフリィがね、一人より二人のほうがいいって言ってたんだよ。ワタシもみんなと一緒に旅をしてから毎日が楽しいから、わかる気がするの。だからワタシね、フリィやレジーナの代わりに一人で寂しそうなヒロと一緒にいようって思ったんだ」

 先の言葉通り彼女は記憶喪失で、出会う前の記憶をほとんど持っていない。

 けれど、ヒロが出会った時には彼女はすでに、他人とは違う特異な体質を持つヒロやフリィと同じく自身の境遇で悩んで立ち止まるのではなく、自分らしく前向きに生きていた。それもあったのだろう、没キャラという常識の枠の外にいるフリィ同様にモイもまた、記憶喪失だからこそヒロのことを色眼鏡なく見てくれていた。だから、ヒロにはモイの記憶喪失に対する不安や悩みはわからなかったけれど、それを根掘り葉掘り聞きたいとも思わなかった。その悩みに寄り添うのではなく、ともに前を向いて生きていたいと思ったのである。

 だから、そんなモイの口から出てきた言葉に、少なからずヒロは驚いた。そして同時に、彼女の悩みに寄り添ったフリィの彼らしさがくすぐったく思えた。

 記憶の片隅からもすっかり忘れていた親友を思い出してヒロは小さく笑う。

「そうか。モイはフリィの代わりをしてくれてるのか」

「うん」

 モイは相変わらず真顔だったが、その表情には柔らかさが滲んでいるようで。

「ヒロは知ってた? 寂しい時はいっぱい寂しくなっていいんだって」

 その言葉にヒロは目を丸くした。

 その表情を見たモイは、どことなく得意げそうな様子で言葉を続ける。

「レジーナが教えてくれたんだ、その気持ちもワタシの大切な思い出なんだって。その時レジーナがね、たくさん落ち込んじゃったりいっぱい悩みたい時はレジーナが傍にいてワタシは一人じゃないよって教えてくれるから、それで最後に笑ってくれたら嬉しいって言ってくれたの」

「……」

「だからヒロ。ヒロも最後に笑ってね」

 ヒロは思わず言葉を失った。

 それは、まだ彼が病弱だった幼い頃に聞いた、ずいぶんと懐かしい台詞だ。

 ヒロが最後に笑ってくれれば、それが一番嬉しいもん。そう言って少し照れたように笑ったレジーナの笑顔をヒロは今だって鮮明に覚えている。薬学の勉強で夜更かしばかりしていた彼女に文句に近い不満を伝えたことも、そんな些細なことで言い争いをしたことも、ヒロが覚えている限りあの時が初めてで困惑して。けれど、親友のアドバイスを基に仲直りした後の彼女の笑顔が眩しくて、自分の手を握りしめる彼女の手が優しくて、心が温かくなったのだけは確かで。きっとそれが、今日まで積み重なったレジーナから貰い続けている恩義の始まりなのだろう。

 そうだった、と改めて思い返す。結局のところヒロは、今までレジーナにたくさん支えられている分、今度は自分も彼女を支えたいだけなのだ。

 そう思いながらヒロが何か言おうと口を開こうとしたが。

「ヒロ、モイ。焼き芋の追加いるか?」

 ちょうどそのタイミングでアウトリタが二人の元に来た。

 焼き芋の包みを四つほど手にしている彼を見て、モイは両手を差し出す。

「いる」

「よし、じゃあモイには二つやろう」

「トリたん、ありがとう」

 そんな二人のやり取りを見ながらヒロは、少し離れた場所で同様に焼き芋を食べていた仲間たちのほうを見やる。どうやらまだ食べているのは、談笑しているアクセプタとパーチェの二人だけで、とっくに食べ終えたらしいティアリーとレジーナとグローウィンはなぜか雪ダルマを作り始めていた。

 おそらく、アウトリタが持っているのが最後の焼き芋なのだろう。

「俺も一つもらっていいか?」

「もちろんだ」

 アウトリタは笑って答え、ヒロに焼き芋を一つ渡した。

 そのまま彼らの元へ帰るかと思われたアウトリタは、当たり前のようにヒロの隣にドカリと座った。そうして焼き芋の包みを破ると、彼は皮ごと食べ始めた。反対側の隣でもモイが早速一つ目をもう半分ほど食べている。彼らに続くようにヒロも焼き芋の包みを破いていく。

 ややあって、アウトリタが思い出したかのように言う。

「そうだモイ。さっきティアリーにも言ったが、オレ、明日はグローウィンと一緒にバイトでもしようかと思ってる」

「何のバイト?」

「クリスマス市の裏方つってたし、品出しとかそんなんじゃねぇ?」

「ワタシもやりたい。ヒロはどうする?」

「考えてなかったな。どうするか……」

 モイとアウトリタ、左右からの視線を感じながらヒロは考える。

 ヒロが担当している買い出し班はクリスマスの前日までやることがないうえに、出番が来る時はイコール大きな出費をする時でもある。クリスマスに向けて事前にある程度は資金を貯めていたとはいえ、少しでもお金があるに越したことはない。だからアウトリタやモイと同じように、持て余した時間を利用してグローウィンと一緒に稼ぎに行くのは名案だろう。……けれど、とヒロは思い留まってしまう。自分も一緒に稼ぎに行く、と素直に言えない気持ちがあるのは隠しようがない事実で。

 迷っているヒロを見て、アウトリタは軽く笑いながら言う。

「ま。無理に何かしなくても、クリスマスまで休んでもいいんじゃねぇか。勇者だって、たまにはゆっくりしてもバチは当たんねぇだろ」

「それはそうなんだが……」

 歯切れの悪いヒロの言葉にモイが突然立ち上がる。

「モイ?」

「どうした?」

「ワタシに任せて」

 モイは力強く頷く。

 不思議そうに顔を見合わせたヒロとアウトリタは、何となく感じた嫌な予感に慌ててモイを見やるが、すでに彼女は焼き芋を片手にレジーナの元へ駆け出していて。引き留めようとヒロが立ち上がろうとするより先に、モイは雪をかき集めていたレジーナの腕を引っ張っていた。

「レジーナ」

「どうしたの? モイ」

 ヒロのいる場所では、二人が何を話しているのかまでは聞こえない。

 だが、モイの話を聞いているレジーナの表情が曇っていくような引き攣っていくような様子を見るに、状況はヒロにとってもあまり良くないほうへ進んでいるようで。

 ややあって。

 レジーナと目が合ったかと思えば、彼女が持っていた雪を固めて投げるのが見えた。

 投げられた雪玉は綺麗な放物線を描いてヒロの顔に直撃した。

「ちょっとヒロ! いくら私への信用ないからって余計なお世話だよ!」

「待ってくれ! 俺は別に――」

「もう勝手に行動しないから、私のことは放っておいて!」

 そう言い捨ててレジーナはもう一度ヒロに向けて雪玉を投げた。

 避けることもできたそれを、ヒロは甘んじて受けた。顔に残った雪を払い、続けて膝に落ちた雪を地面に落としていく彼の視界の隅では、レジーナがモイに何かを言いながら彼女の頭を撫でているのが見える。

 話し終わったらしいモイが、心なしか重そうな足取りで戻ってきた。

「ごめんヒロ」

「ああ、いや気にしないでくれ。煮え切らない俺の態度が悪かったんだし、それにモイのおかげでこの程度で済んだんだと思うからさ」

 ヒロはそう言って爽やかに笑った。

 しかし、その表情からはどこか無理しているのが伝わってきて。

 アウトリタが持っていた焼き芋の包みを焚き火に放りながら問い掛ける。

「っつうかモイ、レジーナに何言ったんだ?」

「ヒロが心配してるから、明日はヒロと一緒にいてほしいってお願いしたの」

「ははっ、それはヒロじゃなくてモイが言って正解だったな」

 モイとアウトリタの言葉にヒロは何も言えなかった。

 自分でも明確になっていなかった気持ちをモイに代弁してもらったことも、それに対するレジーナの返答は当然だと言わんばかりのアウトリタの言葉も、自分への情けなさと上手くいかないことへの歯痒さで心がぐちゃぐちゃになってしまいそうで。素直に自分の気持ちを話すことが最善だと答えを弾き出せても、こういう経験がほどんとないヒロにとってどうしたらいいのかわからないのだ。

 立ち上がったアウトリタはモイの頭を慰めるように撫でながらカラリと笑う。

「っつうわけだ。気にすんなよ、モイ」

「でも……」

「レジーナは今ヒロとケンカしてっから、オレたちが何言ってもヒロの言葉や気持ちを素直に受け入れられねぇんだよ。こればっかはヒロが自分で解決しねぇとどうしようもねぇからさ。二人が仲直りするまで、オレたちはそっと見守っててやろうぜ」

「うん。わかった」

 頷いたモイは相変わらずの無表情でヒロを見た。

「ヒロ、早くレジーナと仲直りしてね」

「……ああ。そうだな」

 純粋なモイの言葉と視線が痛くて、ヒロは苦笑いを浮かべていた。

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