準備2日目

 翌日の午前中。

 ヒロはアウトリタと一緒にコテージへ大きなクリスマスツリーを運んでいた。後ろには、ティアリーを肩に乗せたモイが大量のツリー飾りが詰まった袋を抱えている。

 アウトリタの話によれば、昨日飾りつけ担当の三人はモイのためにクリスマスの飾りつけについて下調べをしに村の広場へ行ったようだ。そこで昼食を兼ねて屋台で買い物をした際に村の住民と話が弾み、クリスマスをコテージで過ごすことになった顛末を話したところ余っているツリーを貸してくることになったのだという。

 部屋の大きな窓際に鎮座するクリスマスツリーを眺めてヒロが呟く。

「ずいぶんデカいんだな」

「元々、受付の横に飾ってたヤツらしいぞ」

 アウトリタが、腕を回して肩の筋肉をほぐしながらそう言った。

 二人の視線の先では、モイがクリスマスツリーの足元に袋の中身をぶちまけ、ティアリーが目を輝かせてその飾り一つひとつを見ている。ツリー飾りは木の板をカットして様々なモチーフを切り抜いたオーナメントがいくつかある中、赤と白のストライプ柄の杖やカラフルな玉、リボンのついたベルなどもあり意外と種類が豊富だ。

「天辺んとこが傷んでて星を上手く飾れねぇから新しいのを買ったそうだが、この通りまだキレイで使えっからどうすっか悩んでたみてぇでさ」

「それで貸してくれたのか」

「昨日、この村の奴らにモイたちはクリスマスが初めてだって話したらぜひ使ってくれってさ。クリスマスをめいいっぱい楽しんでくれって言ってたぜ」

「ありがたい話だな」

 直後、散らかった飾りの中から星飾りを掴んだモイがヒロとアウトリタを振り返る。

「見て。ツリーのてっぺんに飾るお星さま」

 そう言いながら無表情のモイは持っている星を見せびらかした。

 それを見てヒロは柔らかく微笑む。

「モイ、よく知ってるな」

「一昨日レジーナが教えてくれた。……お星さまは空にあるものだから、空に一番近い場所に飾ってあげるとお星さまが喜ぶんだって。喜んでくれたお星さまはお礼に希望に導いてくれるんだって、レジーナ言ってた」

「へえ、それは初耳だな」

 ヒロの相槌に、モイの口角が微妙に上がった。

 モイは表情が全然変わらないためわかりにくいが、おそらくニヤリとしたのだと思われる。彼女が姉のように慕うレジーナはこういう時にどや顔で笑うので真似をしたのだろう。

「あとね、ツリーに綿を飾ると可愛いって言ってたよ」

「綿ってぬいぐるみの中に入ってるあの綿、だよな?」

「うん、そう」

 モイの言葉にヒロは不思議そうに首を傾げた。

 だが、彼女の隣でそれを聞いていたティアリーがうんうんと頷く。

「なるほど~。確かに雪みたいで可愛いかもしれないですね~」

「なら、買い物リストに追加しとくか?」

「そうですね。お願いします、トリたん」

 ティアリーの返事を聞いたアウトリタはさっそく、キッチンで料理の仕込みをしているアクセプタに話しかけに行った。財布の紐を握っているのは相変わらずアクセプタなので、欲しい物があればまず彼女に言わなくてはいけないのである。

 ティアリーとモイはツリー飾りを見ながら、何をどこに飾ろうかと話している。

 そんな二人を微笑ましそうに見ていたヒロがふとツリーの天辺を見上げた時だ。

「セプたん~。頼まれてたもの準備できたよ~」

「おーあんがとよ、ニイサン」

 穏やかな笑みを浮かべたグローウィンがコテージに戻ってきた。

 彼は今日は出稼ぎに行かず、朝食が終わった後はずっとアクセプタに頼まれたある事をするためにコテージの庭にいた。冬本番の高原は空気も風も突き刺すように冷たいのだが兵器であるグローウィンには何てことないらしく、喜んで庭で何か作業をしていた様子をヒロはツリーを運びながらチラリと見かけている。

「よし。じゃあ、少し早いかもしんねーけど昼飯に――」

 言いかけたアクセプタの言葉を遮るように、コテージのチャイムが鳴った。

 ヒロとアクセプタが迷わず玄関ドアへ向かい、ティアリーとモイとアウトリタが顔を見合わせる。そして玄関ドアの一番近くにいたグローウィンは、ヒロたちの邪魔にならないよう室内へと移動した。出方を窺うようにヒロはアクセプタを見やるが、ヒロより一歩後ろで立ち止まったアクセプタは顎で玄関ドアを示して対応を譲る。

 ひとつ頷いてからヒロは玄関ドアを開けた。

「あっ、みなさん! よかった、コテージにいたのね」

 玄関ドアの向こうにいたのは、藤色の長い髪を一つに結わえた少女だった。

「パーチェ!?」

 アウトリタが驚いた声を上げ、一目散に彼女へと駆け寄った。

 彼女、パーチェはアウトリタの婚約者だ。

 アウトリタは孤児院出身なのだが、実は彼が生まれ育った孤児院のある村は魔物の襲撃で滅ぼされてしまっていた。生き残った住民たちが他の集落へ移り住む際、彼は幼馴染みのパーチェに結婚の申し込みをして受け入れてもらった。そして、何やかんやあってアウトリタは、彼女とその家族と一緒にランパートに移り住んだのだと、以前本人から聞いたことがあった。

 玄関まで駆け寄ってきたアウトリタに、パーチェは焦った様子で縋りつく。

「リタ! よかったわ、あなたもいてくれて」

「どうした? っつうかお前、何でここに?」

「レジーナに誘われたの。詳しくは落ち着いたら話すわ。それよりも助けて!」

 その言葉にアウトリタとヒロ、そしてアクセプタの三人が顔を見合わせる。

 彼らの背後でティアリーとグローウィンが心配そうな顔をし、モイも無表情ながらもジッとパーチェを見つめていた。

 アウトリタはパーチェの腕を掴んで落ち着かせながら問い掛ける。

「何があったんだ?」

「レジーナが囮になって一人で戦っているの」

 それを聞いた途端、ヒロが血相を変えてコテージを飛び出した。

「あっ、おい、ヒロ!」

「アタシらも行くぞ! 嫁、道案内頼めるか!」

「ええ、もちろん。こっちよ」

 アクセプタの言葉にパーチェは頷き、全員でヒロを追いかける。

 彼らはルミエル村を山脈側に出て、積もった雪でより狭くなった山間の細道を抜けていく。一足先に駆け出したヒロと道案内をするパーチェが先頭を走り、パーチェの肩にティアリーが掴まり、その後ろをモイとアウトリタ、アクセプタと続き、最後尾をグローウィンが走っていた。

 踏み固められた雪に足を取られないよう気をつけながら、ヒロが問い掛ける。

「パーチェ、レジーナが戦ってる相手は?」

「たぶん、あの魔物はフォレストベアじゃないかしら」

「フォレストベアだって?!」

 声を荒げたヒロだけでなく、アクセプタとティアリー、そしてアウトリタも血相を変えた。初めて聞く魔物の種族に顔を見合わせたグローウィンとモイも彼らの様子からただならぬ空気を感じたのだろう、その顔には緊張が走っていた。

 フォレストベアとは、森林の奥地に生息する大型の肉食魔物だ。

 ヒロたちは初めてランパートを訪れた際に何度か遭遇している。獲物を見つけると見境なく襲いかかる好戦的な魔物で、発声器官の違いから人間と会話ができないらしく、言葉が通じるのかもわからない相手だ。ヒロも何度か戦ったことがあるものの、獰猛で凶暴な魔物だからか一人で応戦するのは骨が折れる相手で手負いは特に退けるのに苦戦した記憶がある。

 話を聞いていたアクセプタが怪訝そうに口を開く。

「っつーか、あの魔物って森に棲息してんじゃねーのか? なんで、こんな山ん中にまで出てくんだよ?」

 その疑問に答えたのは、ランパートの自警団員でもあるアウトリタだ。

「この時期に見かけるフォレストベアは冬眠し損ねたやつで、食料を探して活動範囲を広げんだ。それと遭遇したっつうことだろ」

 話を聞きながら焦燥感に駆られたヒロが、ふと視線を脇へ向けた時だ。

 街道から外れて森の奥へ向かう木々の隙間。柔らかい雪上に、誰かの足跡と獣の足跡が時折途切れながらも点々と続いているのを発見したのである。

 足跡の先へ方向転換したヒロは、苛立たしげに自身の拳を握りしめる。

「あのバカ、何考えてんだ……!」

 足跡から察するに互いの間合いはそれなりに近い。おそらく、戦いながら移動していたのだろう心優しい彼女の性格を思えば、往来のある山道の間で戦うよりも一歩外れた奥地で戦ったほうが、ここを通る何も知らない民間人に被害が及ばないと考えたことは容易に想像がつく。自分の身の安全や援軍が来るかもしれないことなど、すっかり頭から抜けている部分も彼女らしいと言える。

 ヒロの頭に、考えたくもない嫌な予感がよぎる。

 もし意識不明の重傷だったら、もし殺されていたら、もし食われていたら。数日後にはみんなで一緒にクリスマスを過ごす予定なのだ。もしも何かあればヒロはそのフォレストベアのことを絶対許さないし、きっと、守れなかった自分のことも無茶して死んだレジーナのことも一生許せないだろう。怪我で動けないうちならまだ笑い話にできる。せめて戦闘中であってほしいとヒロは心から思った。

 何本目かの木を通り抜けた後、獣の鳴き声と、何かが弾かれる乾いた音がした。

 目を凝らせば確かに木々の隙間から大型の黒い獣が暴れている姿が見えた。けれど、振り下ろされた魔物の腕が積雪を舞い上げたせいで戦っている人物の姿は見えない。

 迷わずヒロは森の中の戦場へと飛び出した。

「っ」

 目の前では、フォレストベアが鋭い爪の伸びた太い片腕を振り下ろそうとしている。

 それと対峙しているのは、雪に溶け込む白い外套をなびかせて、水を纏わせたレイピアでフォレストベアの重い一撃を受け止めようとする水色髪の後ろ姿。

 ヒロの脳裏に忘れもしないあの日の光景が――届かない背中がまたたく。

 目を見開いたヒロは、もはや脊髄反射で動いていた。

「レジーナ!!」

 ヒロの大声が届いたのだろう、攻撃を防ごうとしていたレジーナは咄嗟にバックステップをしてフォレストベアと間合いを開けた。

 そうして振り向いたレジーナの蒼色の目がヒロの燃えるような緋色の目を捉える。

「ヒロ?」

 そんな彼女のすぐ後ろでフォレストベアの一撃が振り下ろされた。

 弾かれるようにレジーナがフォレストベアに向き直った直後。フォレストベアが腕を叩きつけた勢いのまま続けざまにもう片腕を薙ぎ払おうとするのと、咄嗟にヒロがハルバートを振り抜いて衝撃波を放つのは同時だった。

 放たれた衝撃波を受けたフォレストベアは一瞬怯んだものの動きは止まらない。

 しかし。

 怯ませたその一瞬の隙を突いてヒロはレジーナの腕を掴んで引き寄せながら、そのままフォレストベアの視界から外れるように受け止めた彼女ごと真横へ転がるように飛んで距離をとる。次の瞬間、先程までレジーナがいた場所をフォレストベアの太い腕と爪が一掃した。

 柔らかい雪の上を転がった二人は、少し離れた場所で止まった。

 守るようにレジーナに覆い被さっていたヒロが、その金髪に付いた雪を振り落としながら上体を起こす。

「レジーナ、大丈夫か?!」

 声を荒げたヒロの目の前では、仰向けで転がるレジーナが目を白黒させて彼を見上げていた。ずっと寒いところにいたせいなのか彼女の頬が少し赤くなっているが、それ以外は普段と同じで目に見える怪我はない。

 呆然としていたレジーナはやがて、何度かまばたきをした後で困惑を残しつつ頷く。

「ええと、うん、大丈夫。ありがと、ヒロ」

 柔らかく笑ったレジーナに、ヒロは優しく笑い返す。

「本当に、無事でよかった」

 安堵を滲ませたヒロは誰に向けたわけでもなくそう呟いた。

 それから彼は近くに転がっていたハルバートを掴みながら膝をついて起き上がる。それに続くように上体を起こしたレジーナが自身のレイピアを探して、フォレストベアの足元に転がっていることに気付いた。

「あ」

 小さく声を零したレジーナの視線を追ってヒロもフォレストベアを、その足元に転がっている彼女のレイピアを見やる。その柄にはめ込まれた青い宝石がゆっくりと輝きを失っていき、同時に、その剣身が纏っていた水が蒸発するように消えていく。

 その輝きに見入っていたフォレストベアがハッと顔を上げる。見失った二人の姿を探そうとフォレストベアが周囲を見回したと同時、その横っ面目掛けて何かが弾丸のような勢いで飛んできた。

 盛大に吹き飛んだフォレストベアの巨体が近くにあった木をなぎ倒した。それを冷静な眼差しで見つめながら拳を構えて臨戦態勢をとるのは。

「モイ?!」

 呼ばれた声に彼女はガントレットを握ったままこちらを振り返る。

 モイはレジーナと目が合うと無表情のまま、しかし、どことなくパッと嬉しそうな顔を浮かべたように思える雰囲気を纏ってレジーナの元へとすっ飛んできた。

「レジーナ! 大丈夫?」

「うん、私は大丈夫だよ、モイ」

「よかった。ヒロ、グッジョブ」

 モイは真顔のままヒロに向けて親指を立てた。

 直後、フォレストベアが唸り声を上げながら起き上がった。それにいち早く気付いたヒロとモイが同時にレジーナを庇うようにそれぞれの武器を構え、少し遅れてレジーナが身構える。

 相手の出方を窺うような、空気が張り詰める緊張感の中で。

「勇者! 迷子! 一人で突っ走んじゃねーよ!!」

 その言葉とともに、木々の間からアクセプタが姿を現した。

 直後に吹き抜けた風が愛用の杖を構える彼女の姿を掻き消すように雪を舞い上げ、視界を遮るほどの雪幕の向こうから炎の熱を纏う盾を構えたアウトリタが飛び出す。

「今だ、自警団!」

「ああ。任せとけ!」

 アクセプタの声に応えたアウトリタはフォレストベアとの間合いを一気に詰めると、構えた盾をその後頭部に勢いよく叩きつけた。

 鈍い音と短い悲鳴が聞こえた直後、フォレストベアはゆっくりと雪上に横たわる。

 それを確認してからアウトリタがそっと後退していく。ちょうどそのタイミングでパーチェと彼女の肩に座るティアリー、そして彼女たちを守るグローウィンの三人もこの場に到着した。

 緊張した空気の中、しかし、フォレストベアは気を失ったまま動く気配はない。

 ややあって、全員が構えていた武器を下ろしたのと同時。

「レジーナ! 一人で危ないだろ! 何考えてんだ!!」

 そんな声を張り上げながらヒロはレジーナの両肩を掴んだ。

 レジーナは意外そうに目を丸くしたが、すぐにへらりと笑う。

「大丈夫だって! 私も勇者の仲間の一人だもん」

「だからって一人で無茶するな! あの魔物は人間を食う危険な肉食の魔物なんだ。俺が間に合わなかったら、あのまま殺されて食われてたかもしれないんだぞ!?」

「ヒロは心配性だなあ。私だってそう簡単に負けたりしないよ!」

「だとしても、もう少し危機感を持ってくれ!!」

 ヒロの言葉にアクセプタが大きく頷いた。

 彼女もレジーナに説教しようとしていたが、それより先にヒロが声を荒げたので結局、開きかけた口を閉じて説教役を譲ったのである。

 怒りの感情を露わにするヒロ、何か言いたそうにしながらも黙ったままレジーナを睨むアクセプタ、本心を見透かすかのようにジッとレジーナを見つめるモイ。三者三様の視線を一身に受けるレジーナはへらりと浮かべた笑みを保ったまま、しかし、どことなく困惑した様子を隠し切れずにいた。

 そんな空気の中、見かねたらしいティアリーが彼らの元へと飛んでいく。

 アクセプタの肩に座った彼女は、のほほんとした口調で声をかける。

「レジーナ、レジーナ」

「うん。どうしたの? ティア」

 ティアリーが声をかければ、全員が彼女へ視線を向けた。

 ヒロの手がレジーナから離れたのを確認してから、ティアリーは言葉を続ける。

「パーチェさんと一緒だったってことは、ランパートに行ったってことですよね。どうしてランパートに行ってたんですか?」

 パーチェがこの場所にいることについてアウトリタが尋ねた時、状況が状況だったこともあり、パーチェ本人からは後で話すと聞いたきりだった。全員の疑問を解決しつつそれとなく話を逸らす。それは、ティアリーなりのレジーナへの助け舟だった。

「薬師の仕事だよ。ランパートの町医院に不足分の薬を届けに行ったんだよ」

「だったら、なんでランパートに行くってことは教えてくれなかったんだ」

 しかし、ヒロが咎めるような口調で口を挟んだ。

「何でって……、だって、せっかくだからサプライズでパーチェを誘って、みんなをびっくりさせたかったんだもん」

「だからって――」

 言いかけてヒロは口を噤んだ。

 せっかくティアリーのおかげで少し冷静さを取り戻せたのに、再び感情的になってしまったらせっかくの気遣いを無駄にしてしまうと、ブレーキをかけたのである。

 心配そうに様子を見守るティアリーとアクセプタとモイ、そして少し離れたところで静観しているアウトリタとパーチェとグローウィンの視線を一身に受けながらヒロは、目の前で小首を傾げるレジーナを真剣な眼差しで見つめた。

 結果だけ見れば何事もなかったとしても、レジーナが死ぬかもしれなかった事実は変わらない。大切な仲間の命の危機に気付いた瞬間は肝が冷えたし、無事を確認するまでは生きた心地がしなかった。自分の知らないところで、という状況がその恐怖に拍車をかけたのは言うまでもないだろう。

 いつか取り返しのつかないことになってからでは手遅れなのだ。

 ヒロはひとつ深呼吸をしてから口を開く。

「レジーナ。次からそういうことをする時は、せめて俺にはちゃんと言ってくれ」

「……わかった。次からは気を付けるよ」

「ああ」

「心配してくれてありがとね。……でも私、ヒロが思ってるほど弱くないよ」

 そう続けたレジーナが浮かべたのは、ヒロを安心させるような笑みで。

 ヒロは思わずといった様子で目を丸くした。

 そうして口を開きかけた彼の脳裏に、ふと、あの日の出来事がよぎる。

 あの時、大丈夫だからといつもみたいに明るく笑っていて。

 どんな言葉も届かなくて、遠ざかる背中に伸ばしたこの手は空を切った。

 悔しさに、歯痒さに、心臓が止まるほどに苦しい悲しみの中で決意したのだ。

 あの日のような思いをもう二度としないと、誰にもさせないと。

「だから、そんなに心配しなくてもだいじょ――」

「っだから! 大丈夫じゃないから言ってんだ」

 なのにレジーナは、そんなヒロの気も知らないで呑気なことを言うから。

「頼むから、これ以上、勝手に行動しないでくれ!!」

 気付けばヒロは怒鳴っていた。

 シンッと辺りが静まり返る感覚があった。

 ハッと冷静さを取り戻したヒロが慌てて目の前を見やれば、レジーナはポカンとした様子でパチパチとまばたきをしている。視界の隅で、アクセプタとティアリーが意外そうな顔でこちらを見ているのが確認できた。

 呆れ半分のアウトリタを押しのけ、パーチェが慌てた様子で何か言うよりも先に。

「勝手な行動って何? 一人で魔物を追ったこと?」

 レジーナがやや棘のある口調でそう言い返した。

 普段ならば何を言われても明るく笑って流す彼女にしては珍しい対応である。不満を滲ませた冷たい物言いをするレジーナに、モイが弾かれるように彼女を見つめた。「ヒロ、いつも私に勝手に行動するなって言うけどさ、ヒロだっていつも何も言わないで勝手に飛び出すし、今さっき助けに来てくれた時だって、ヒロもモイも一人で行動してたよ。何で私だけ怒られなきゃいけないの?」

「俺やモイと違って、レジーナはすぐ自分のことを後回しにするだろ」

「ヒロだって同じじゃん!」

「俺は勇者だからいいんだよ」

「そんな屁理屈で誤魔化さないでよ。どうせヒロは私のこと、一人で任せられないくらい弱くて頼りないとか思ってるんでしょ」

「思ってるわけないだろ!」

 ヒロは仲間に対して、一度だって、弱いとも頼りないとも思ったことはない。

 そしてレジーナに関して言えば、村にいた時からずっと、ともに旅をしている今だって変わらず、幾度となく彼女に助けられてきた。レジーナが一緒ならば心強いと断言できるほどに、彼女の頼もしさも強さも身に染みて理解している。

 けれど、ヒロが言いたいのはそういうことじゃないのだ。

「そうじゃなくて。俺は、黙って一人でランパートまで行ったり、援護がいないのに一人で魔物を追ったり、そうやって勝手なことするのを止めろって言ってるんだ」

「…………ヒロだって、私と同じ状況だったら絶対同じことするくせに」

「だから、俺は勇者だからいいんだよ」

 もはや売り言葉に買い言葉である。

 顔色を変えたアクセプタが慌てて口を挟もうとするよりも先に。

「ともかく。何かするなら、まず俺に言ってくれ」

「私だって勇者の仲間なんだよ。もっと信じてくれたっていいじゃん!」

「だから、そういう話じゃないって言ってるだろ! 少しは俺の身にもなってくれ」

「だったら、何で私だけそんなこと言われなきゃいけないの!!」

 声を荒げたレジーナは、怒ったような泣きそうな顔でヒロを睨む。

「私は、そんなことのためにヒロの旅に連れてってもらったわけじゃないんだよ!」

「俺だって、こんなことしたくてレジーナを旅に連れて来たわけじゃねえよ!!」

 レジーナもヒロも叫ぶように怒鳴り声をぶつけ合った。

 このまま取っ組み合いでも始めそうな二人の間にアクセプタが割り込む。

「わーった、わーったから。とりあえずストップ!」

 そんなアクセプタに続くように、ティアリーとモイも二人を宥めようとする。

「レジーナ。気持ちはわかりますけど、落ち着いてください~」

「ヒロ、言い過ぎ」

 ティアリーがレジーナの肩に座り、モイはヒロを押してレジーナと物理的に距離をとらせる。そんな中でヒロとレジーナは様子を窺うように相手へと視線を向け、一瞬目が合ったもののお互いすぐに目を逸らした。

 そんな彼らを見てアウトリタは苦笑いを浮かべる。

「まずは帰ろうぜ。ここにいたって寒ぃだけだし、そろそろ腹減ってきたし」

「……ああ、そうだな」

 アウトリタの言葉にヒロはしぶしぶながらも頷いた。



「――ごめんなさい。レジーナが迷惑をかけちゃって」

 ルミエル村のコテージに帰る道中、パーチェがそう言った。

 一行は、ヒロと一緒にいたくないらしく足早に歩くレジーナとそんな彼女と話をしているアクセプタを先頭に、空腹で昼ご飯を待ち切れないモイとアウトリタが続き、姿は見えるが声までは聞こえない程度の距離を開けて、ヒロとグローウィンとパーチェ、そしてパーチェの肩に座るティアリーが歩いている。

 突然の謝罪にヒロは驚きつつもからりと笑い返す。

「何でパーチェがレジーナのことで謝るんだ? 関係ないだろ」

「関係あると思うわ。だって、レジーナが囮になったのは私たちが理由だもの」

「私たち、ってことは、パーチェさん以外にも誰か一緒にいたんですか?」

 ティアリーが首を傾げながら問い掛けた。

「ええ。ルミエル村に向かっていたのは私とレジーナだけじゃなくて、グラリエへ向かう旅商人さんたちも一緒だったのよ」

「ふむ。旅商人が一緒なんて珍しいね。何かトラブルがあったのかい?」

「グローウィンさん、察しがいいですね。実は、今年は例年に比べて冬眠し損ねたフォレストベアの被害が多いらしくて、配達が滞っていたみたいなの。あっでも、それも少しずつ収まってきているから心配しなくて大丈夫よ。……だから、クリスマスに向けて少しでもリンゴをグラリエへ届けたくて、今回は勇者の仲間であるレジーナが護衛についてくれるからってことで、先行配達に踏み切ったみたい」

「レジーナなら喜んで手を貸しそうだね。レジーナもヒロと同じで困ってる人を放っておけないからね~」

「……ああ、そうだな」

 微笑ましそうなグローウィンの言葉にヒロはバツが悪そうな表情で答えた。

「それで、私とレジーナと、それからリンゴを大量に持った旅商人さんたちも一緒に山道を歩いていたら、木々の向こうに姿を見つけたの。それでレジーナが、私や旅商人さんたちが襲われないようにって、いくつかのリンゴを手に囮になってくれたから、その間に私と旅商人さんは急いでルミエル村に向かったの」

「そうだったんですね! レジーナらしいです~」

「ええ。姿は隠せても匂いまでは隠せないからって、みんなを無事に送り届けるって約束したからって、レジーナは魔物と戦わざるを得なかったの。……だから、今回レジーナが一人で戦っていたのは私や旅商人さんたちのためでもあったから、レジーナが責められているのをみていると申し訳なくて……」

 パーチェの言葉にヒロはしっかりと首を横に振った。

「いや、だったら尚更、謝らないでくれ。……レジーナだって喜んでほしくてやったわけだし、パーチェの話を聞いて俺も嬉しいんだ」

 そう言ったヒロはふと顔を伏せる。

 ややあって、彼は前を歩くレジーナの背中をジッと見つめた。

「すまない、パーチェ。ティアリーとグローウィンも。俺たちのせいで心配かけて」

 ヒロの言葉に三人は顔を見合わせた。

 まさかそんなことを言われると思わなかったと言いたげな表情を見せる彼らのうち、グローウィンがヒロへ穏やかな笑みを返す。

「でも本当、意外だったよ。ヒロもケンカをするんだね」

「……別にそんなつもりじゃなくて、ただ俺が少しキツく言い過ぎただけなんだ。あんな言い方じゃなくて、他にもっと良い言い方があったのはわかってる」

「ヒロはレジーナのことが心配なんですね」

「そりゃあ心配にもなるだろ。レジーナは自分が危険な目に遭うかもしれないって自覚が全然ないからな。誰かが気にしててやらないと、取り返しのつかないことになるかもしれないんだ」

 いつだってレジーナは自分のことを顧みない行動ばかりする。だからヒロは心の底からレジーナのことが心配で、けれど他己主義な感覚は彼自身にも覚えがあるから止めろとは言えなかった。それなら、せめて何があってもちゃんと守れるように近くにいたいと思った、ヒロの気持ちはただそれだけである。

 穏やかに微笑むグローウィンが慰めるようにヒロの肩を叩く。

「早く仲直りできるといいね」

 ヒロとしては、別にレジーナとケンカをしているつもりはなかった。けれど、互いに感情的になって言い争った結論だけをみれば、確かにケンカをしているのと同じようなものだろう。ただ彼女が心配で、二度とあんな危険なことをしてほしくないだけなのに、どうして上手く伝えられなかったのだろうと後悔ばかりが積もる。

「……そうだな」

 ヒロは力なく笑った。

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