とある村にて

 だだっ広い草原を走るヒロが不意に足を止めた。

 何かを探すように周囲を見回してから、彼は空へと目を向ける。

「どうだ、ティアリー! そっちは見つかったか?」

 その視線の先では、上空から草原を見下ろすティアリーが必死そうに草原全体の隅から隅まで目を走らせていた。だが、ヒロの声を聞いた彼女は彼の目線の高さにまで戻ってきた。

 ティアリーは一目見てわかるほどに途方に暮れている。

「全然見つからないです……」

「そうか。じゃあ、もしかしたらこっちにはいないのかもしれない。向こうの方も探してみよう!」

「はい! 行きましょう!」

 言うなり走り出したヒロを追って、勢いと元気を取り戻したティアリーも草原を駆け抜けた。

 事の始まりは数時間前に遡る。

 旅の道中、山麓付近で偶然見つけた村に立ち寄った一行はトラブルに遭遇した。

 村民いわく、先日の嵐で壊れかけた牛舎を改修することになったのだが、建物の修理をしたことがないためどうすればいいのかわからず途方に暮れていたらしい。それを聞き、建物の手直しなら経験があるアウトリタを中心に手伝うことになったのだが、いざ直そうとしたタイミングで牛たちが大暴れして牛舎の一部を壊し、そこから七頭の牛が逃げ出したのだ。

 それを目の当たりにして真っ先に駆け出したのはヒロとアクセプタ、そしてモイの三人で。三者三様に別の方角へ向かう彼らのうちアクセプタに続いてフリィが、モイを追ってレジーナがそれぞれ間髪容れずに走り出した。見兼ねて頭を抱えたアウトリタが、ティアリーにヒロを追うよう頼み、彼自身はグローウィンとともに早急に牛舎の修繕に取り掛かったのである。

 誰よりも最初に飛び出したヒロは村周辺を広範囲で探し回り、そんな彼と行動をともにするティアリーは同範囲を空から捜索していた。

「全然見つからないな」

 村の外に広がる草原を一通り走り回ったヒロが言った。

 彼は立ち止まって周辺を見渡しながら、次の一手を考える。そんなヒロと合流すべく上空から降りてきたティアリーが、きょろきょろと周囲を見回しながら頷く。

「見つからないですね。もしかしたら牛さんは森にいるのかもしれませんね」

「森、……ってことはアクセプタとフリィが向かった方か?」

「セプたんたちじゃなくてモイちゃんたちです」

「モイか……」

 ティアリーの言葉にヒロは考え込む。

 三手に分かれて牛を捜索している経緯を知らないヒロも、ティアリーからだいたいの話は聞いていたので仲間の誰が誰と一緒に行動しているかは把握している。助太刀に行くべきか否か、ヒロが思案したのは一呼吸にも満たない時間だった。

「なら、向こうはモイたちに任せよう。俺はもう少し遠く、向こうの街道まで捜索範囲を広げてみようと思うんだが、ティアリーはどうだ? 疲れてないか?」

「大丈夫です。空からの捜索は任せてください!」

「助かる。それじゃあ行こう!」

「はい!」

 顔を見合わせて頷き合って、ヒロとティアリーは同時に駆け出した。

 それから数時間後。

「ありがとうございます。勇者さま!」

「何から何まで、本当に助かりました!」

「気にしないでくれ。困ってる時はお互いさまだろ」

 ヒロは口々に感謝を告げる村人たちに取り囲まれていた。

 彼の斜め後ろには無表情のモイが黙って立っているのだが、距離感的に彼女も勇者を囲む輪のほうに加わっている感じだった。そんなモイの肩に座るティアリーは人助けをして感謝されていることが嬉しいらしくニコニコと笑っている。

 そんな三人の様子を、少し離れたところからフリィとアクセプタが眺めていた。

「本当にありがとうございます、勇者さま!」

「このご恩は一生忘れません!」

「勇者として力になれたならよかったよ」

 何度も頭を下げる村人たちへ、ヒロは爽やかに笑って答えた。

 その横に建つ牛舎は見違えるほど綺麗になっていた。しかも立派なゲートと広々とした庭が新設されており、庭では大脱走の末に捕獲された七頭の牛たちがのびのびと過ごしている。

 一方で、庭の外側では牛舎の改装に尽力したグローウィンとアウトリタが疲れ切った様子で座り込んでおり、レジーナがそんな二人に飲み物を差し出しながら笑顔で話しかけている。

 ヒロを取り囲む村人たちの勢いは止まらない。

「勇者さま! ぜひお礼をさせてください!」

「そうですよ! ここまでしていただいて、何も返さないわけにはいきません!」

「申し出は嬉しいが、そんな気にしないでくれ」

「いえいえ! 我々が勇者さまたちにお礼をしたいのです!」

「そうだ! もうすぐ夕飯時ですから夕食を振る舞わせてください!」

「それはいい! 勇者さま、うちの特産品はとても美味しいですよ!」

「特産品?」

「暴れ牛の肉です」

 その単語に、モイとティアリーの嬉しそうな声が割って入る。

「肉!」

「すごいです! 暴れ牛の肉なんて高級品、そうそう食べられませんよ!」

 大喜びではしゃぐ彼女たちの声を聞いたヒロは迷わず頷く。

「本当か! それならご馳走になってもいいだろうか?」

 彼の二つ返事に、フリィとアクセプタが顔を見合わせた。

 アクセプタは若干焦った顔で数歩前に出ると、慌ててヒロに声をかける。

「いや、ちょっと待てゆう――」

「もちろんです! 霜降りのステーキをご馳走しますよ!」

「それなら、今日はうちの村に泊まっていかれてはいかがですか?」

「それがいいですよ、勇者さま。この先しばらく村はありませんから」

「公民館ならお仲間さまと一緒に全員で寝泊まりできますよ!」

 しかし、アクセプタの声は村人たちの言葉に掻き消された。

 彼女の目の前で、嬉しそうな村人たちに向けて勇者ヒロが朗らかに笑って頷く。

「それは助かるよ。今日はよろしく頼む」

 そう告げたヒロは、一瞬アクセプタが何か言いかけていたことにも、彼の返答を聞いた彼女が諦めた様子で片手で顔を覆ったことにも気付いていなかった。

「ワタシ、レジーナたちに夕食がお肉だって伝えてくる!」

「わたしもモイちゃんと一緒に行って、今日はお布団で眠れるよってグロウィンたちに教えてきますね」

「ああ。頼んだぞ、二人とも」

 嬉しそうに走り出したモイとその肩に座る楽しそうなティアリーを見て、光栄そうに今晩の予定を語る村人たちを眺めて、ヒロは嬉しそうに笑った。


 そして翌日……。


「あっ! すっかり忘れてた!」

 朝食前の寝静まった公民館内にヒロの声が響いた。

 起床時間より少し早く目が覚めたヒロとフリィが、二度寝をするほどの時間はないからと布団の中で寝転がったまま小声で話していた時のことである。……ちなみに布団の並び順は奥の吐き出し窓から上座側にフリィ、アクセプタ、ティアリー、グローウィンと手前の扉へと向かって並び、枕を向かい合わせた下座側の扉側からアウトリタ、モイ、レジーナ、ヒロと続いている。

 その大声に起こされたアクセプタが地を這うような声を出す。

「おい勇者、うっせーぞ」

「んん。なぁに? もう起きる時間……?」

 アクセプタから少し遅れて、布団の中から顔を出したレジーナが目を擦りながら寝ぼけた口調で呟いた。二人のように言葉は発しなかったもののティアリーもヒロの声で目を覚ましたらしく、おもむろに起き上がっている。実はヒロたちより先に起きていたグローウィンは布団の上に座って微笑ましそうにしており、アウトリタとモイに至ってはすでに外へ出ているようで姿がなかった。

「悪い。起こしちまったか」

 そう言いながらヒロはバツの悪そうな苦笑いを浮かべた。

 羽を広げながらティアリーが、穏やかな口調でグローウィンがそれぞれ答える。

「気にしてませんよ~。それより、どうしたんですか?」

「突然大声出して、何かあったのかい?」

「ああ、ちょっとな……」

 そんな二人の問いかけに、しかし事情が事情なだけに正直に伝えるのは憚られたヒロは少し迷った末に、曖昧に言葉を濁したのだが。

「クリスマスの予定が大幅に狂ったことを、ヒロが今思い出してくれたんだよ」

「フリィ、みんなには当日まで内緒にしとくんじゃなかったのか」

「あ、そうだった」

 クリスマスの計画を二人で立て始めた当初、せっかくならサプライズにしてみんなを驚かせようと提案したのはフリィである。まさかこんな形で手のひらを返されるとは、さすがのヒロも予想していなかった。内容自体は暈されていたもののクリスマスのサプライズがあることが仲間たちに、特にターゲットのグローウィンには知れ渡ってしまった。唯一、もう一人のターゲットであるモイが早朝の運動をするアウトリタと一緒に外に出ていることだけが救いだろうか。

 フリィの言葉にアクセプタが呆れた様子で言う。

「やーっと気付いたのか。だから昨日、待てって言ったってのに」

 何を隠そう、アクセプタもヒロとフリィのクリスマスの計画を知っている側だ。その理由が金銭面に関することなのは改めて説明するまでもないだろう。

「そうだったのか。すまないアクセプタ、全然聞こえてなかった」

「村人たちの熱量に負けちゃったんだよね」

「うっせーな、細けーことはいーんだよ」

 三人の会話を聞きながらティアリーとグローウィンは顔を見合わせた。彼らの口ぶりから会話に加わってもいいのかそれとも口を挟まず黙っていたほうがいいのか、判断に迷ったのである。同様に反応に困ったレジーナはヒロたち、ティアリーたちの順で様子を伺った後で緩く笑う。

「おはよ、ティア、ウィン。目が覚めちゃったから一緒に顔洗いに行かない?」

「おはようございますレジーナ。いいですね、一緒に行きましょう!」

「そうだね。顔洗ってさっぱりしてから、朝ご飯が食べたいよね」

 三人は、彼らの計画に気を遣う方向で一致団結した。

 あえて何にも触れない、自然な流れで公民館を出る、完璧な連携である。

「うふふ、朝食には絶対牛乳が出そうですよね〜」

「それわかる! 牧場と言えば牛乳だもんね」

 ほのぼのと会話をしながらレジーナとグローウィンがのそりと立ち上がり、それからティアリーがグローウィンの肩に座った。

「自分も、牧場の朝は採れたての牛乳を飲むイメージがあるなあ」

「あはは、それを言うなら搾りたてだよ」

「ああ、そっか。搾りたてか」

「グロウィンってば、おっちょこちょいさんなんですね」

 そんな彼女たちの気遣いに気付いたヒロたちは申し訳なさそうに三人で顔を見合わせたが、内密で予定の立て直しがしたかったので有り難くもあった。その厚意に甘えようとレジーナたちが公民館を出ようとするのを黙って見守っていたのだが。

「搾りたて牛乳といえば、その牛乳でアイスクリーム作ったら絶対に美味しそうだよね! 食後のデザートに出ないかなぁ」

「えぇ~。さすがにこの時期にアイスはないと思いますよ」

「自分はアリだと思うけどなあ」

「ふふ、じゃあさ、顔洗ったら朝ご飯の偵察に行こうよ!」

 グローウィンが公民館の扉を開ける音に混じって、朗らかに笑うレジーナの声が聞こえる。

「それでついでに、何かお手伝いすることあるか聞いてみよっか」

「待ってくれ。俺も一緒に行く」

 レジーナの言葉に、ヒロがそう言いながら立ち上がった。

 彼の言葉にレジーナとグローウィンは公民館を出ようとしていた足を同時に止め、ティアリーも含めて三人で顔を見合わせる。それから戸惑った様子で振り返る。いつの間にヒロはアウトリタの布団を越えてすぐ近くまで来ていた。彼の背後では、布団から起き上がったフリィとアクセプタが困惑半分呆れ半分で同様にヒロを見ている。

 そんな彼と向き合ったレジーナがへらりと笑う。

「おはよ、ヒロ。フリィたちと何か話してたみたいだけど、それはいいの?」

「ああ、おはよう、レジーナ。それより俺もこの村の人たちの手伝いがしたいんだ」

 あっけらかんとヒロは答えた。

 それを聞いて目を丸くしたレジーナは咄嗟に彼の後ろ、フリィとアクセプタの様子を窺う。申し訳なさと戸惑いを見せた彼女に続くようにヒロがフリィたちを振り返れば、意外にもフリィはニコニコと微笑んでおりアクセプタも呆れた笑みを零していた。

「じゃあ僕も行こうかな。ヒロは一度言い出したら聞かないからね」

「ま、しゃあねーか。勇者は人助け第一だもんな」

 そう言ってフリィとアクセプタも立ち上がった。

 ……そうして、朝食が終わった後。

 出発の準備を終えた勇者一行が、公民館前に揃った。

 仲間たちの視線を一身に受けてヒロが口を開く。

「次の目的地を決める前に、みんなに相談したいことがあるんだ」

 その言葉に、状況を理解したアクセプタが意外そうな顔で腕を組んで聞く体勢になる。話が長丁場になりそうだと思ったグローウィンがティアリーに肩を貸した。

「実はここ最近、フリィの提案で、俺とフリィ、それからアクセプタの三人でクリスマスの計画を練ってたんだ。それでひとつ考えてたことがあったんだけどな」

 ヒロが持っていた地図を広げれば、話を聞いていた仲間たちがそれを見るために近寄る。ヒロから順にフリィ、アクセプタ、ティアリーを肩に座らせたグローウィン、アウトリタ、モイ、レジーナと地図を取り囲むように並び、全員揃って覗き込む。

「それで国の南西側、この砂漠を越えた先ある、とある町を目指してたんだ」

 モイが地図から顔を上げ、ヒロを見つめて首を傾げる。

「クリスマスとその町に何の関係があるの?」

「以前立ち寄った町で聞いた話だと、クリスマスマーケットで有名な町らしいんだ」

「クリスマスマーケットって?」

 さらに首を傾げたモイは、今度はレジーナの袖を引っ張った。

 モイを見やったレジーナは朗らかに笑う。

「クリスマス限定のお祭りだよ。私も実際に行ったことないんだけど、屋台がいっぱい出てて、クリスマス限定の食べ物や雑貨がいっぱい売ってるんだって」

「楽しそう。行ってみたい」

「ね! 一度でいいから、いつかは行ってみたいね」

 モイの言葉に笑顔を返したレジーナはフォローのような相槌を打った。

 その言い方に彼女がヒロの話の意図を理解していると気付いたヒロは、レジーナへ申し訳なさそうな視線を向ける。その視線に気付いて今度はヒロを振り向いたレジーナは、気にしてないし気にするなとの意味を込めたウィンクを返した。

「すまない。本当は今年、連れて行ってやれたらよかったんだが、このまま真っ直ぐ向かってもクリスマスまでに間に合いそうにないんだ」

 ヒロの心苦しそうな物言いに、グローウィンが納得したように頷く。 

「なるほど。だから今朝、予定が狂ったって言ってたんだね~」

「もう、グロウィン。それは知らないフリしようって約束したじゃないですか」

「そう言えばそうだったね。忘れてたよ」

 そう言ってグローウィンは穏やかに笑った。

 会話が途切れると、ニコニコと笑って話を聞いていたフリィが口を開く。

「でも僕たち、どうしてもその町に行きたかったわけじゃなくて、みんなで一緒に楽しくクリスマスを祝いたいだけなんだ。それでフリマを思い出して、それならクリスマスマーケットで有名な場所に行ったらみんな喜ぶかなって思ったんだよ」

「ああ。だから俺たちとしては、ここにいるみんなで一緒にクリスマスを過ごせるなら、どこでも何でも構わないんだ」

 フリィの言葉に続いてヒロが迷いなく言い切った。

 そんな彼に同意するようにフリィが、そしてアクセプタが頷く。

「俺たちが考えた予定はダメになったから、今一度、みんなで一緒に楽しくクリスマスを祝えるような計画を、今度はみんなで一緒に考えたいんだ」

 ヒロが力強く告げた。

 その言葉に最初に応えたのは、心強く頷いたアウトリタで。

「ああ。楽しいクリスマスにしようぜ!」

「もちろん! 私たちにも手伝わせてよ。ね、モイ」

「うん。ワタシもいっぱい考える」

 そんな彼の言葉に続いてレジーナとモイが顔を見合わせ、レジーナは笑顔を浮かべ、モイは心なしかキリッとした表情で頷いた。

 ティアリー、そしてグローウィンが楽しそうに笑い合う。

「うふふ、今年のクリスマスが楽しみですね〜」

「そうだね。みんなで一緒に過ごせるなんて嬉しいよ」

 それを聞いたフリィとアクセプタ、そしてヒロの三人が嬉しそうに顔を見合わせる。

 当初の計画は失敗してしまったが、これはこれで悪くないと思えた。



 そして、それから一週間ほどが過ぎた。

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