ファッションとマサ

 大野に対する長谷川からの金銭の要求はどんどん増していった。最初は100万円だったが、徐々に200万、300万と増えていった。当然、大野はそのような大金は持ち合わせていなかった。大野は借金しながら長谷川に貢ぎ続けた。

 

 「今度は300万円か……」

 

 大野は消費者金融で限度額限界まで借り、それを長谷川の口座に振り込むことを繰り返した。大野の家には当然のように借金取りがやってくるが、居留守を使い、やりきることをし続けた。会社に電話がかかってくることもあったが、周りの人たちにはいないと言ってもらうように段取りをしていた。長谷川とは北海道ツーリング以来会ってはいない。LINEだけのやり取りだった。一応告白はしたのでカップルということにはなるのだろうか。大野は山上に彼女ができたと報告したが、山上に嘘をついたような気がして、気まずくて会っていない。山上に話したとき、山上はうれしいような悔しいような顔をした。そこで大野もやったぞという気持ちと、なんか違うなという気持ちが混在していてすっきりはしなかった。俺には本当に彼女ができたのだろうか? そんな疑問を日々持ちながら暮らしており、大野はすっきりしないし、恋人らしくデートなどしたいが、会いたいと言っても忙しいと断られる。だいたい長谷川の住んでいる場所も知らないのだ。知っているのはLINEだけ。そんな状態が果たして彼女なのだろうか。いや、そうではないと大野は感じている。さすがにデートを一度もしていない関係を恋人とは言わないし、金銭を要求されるだけの関係はただの都合のいい関係なのだ。大野の借金も限界が近づいている。長谷川にそれを告げようかと迷うが、告げてしまったが最後、関係が終わりそうで大野はそれが怖い。初めての彼女はやはり大切にしたいのだ。大野は思い切ってLINEを送った。

 

「長谷川さん、やっぱり俺、デートしたいんだけど都合いい日ない?」

 

 いまだに苗字にさん付けで呼んでいる恋人は恋人なのだろうか。大野はそこでも疑問を覚える。やっぱり俺たちは恋人じゃないのかな、ただの金づるなのかな。そんなことを禅問答しているとLINEが返ってくる。

 

「ごめん、最近忙しいの」

 

 わかりきった返事だった。大野はため息をつくと、スマホをポケットにしまい、大声で叫ぶ。

 

「ちくしょう!」

 

 大野の一人しかいない部屋に残響が響く。大野はどこまでも独りだった。俺には彼女ができたはずなのに、なんでいい思いができないんだ。俺はこんなに苦労しているのに、なんで報われないんだ。大野の人生はどこまでも孤独だった。せっかくの希望の兆しがあっという間に曇天に変わったような、そんな気分だった。そんな大野に追いLINEが届く。

 

「本当にごめんね。大野くんのことは大好きだし、私も会いたいの。でも、今の私の状況では会っても楽しくないと思うの。だから今は我慢して」

 

 大野は一気に有頂天に上り詰める。そうだよな、これが彼女のいる醍醐味というやつだ。俺はやっぱり失敗作ではないんだ。俺は山上にすべての面で勝ったんだ! そんな強い思いが湧き上がる。大野は部屋で小躍りしながら全身で喜びを表現している。他の人に見られたら恥ずかしくて憤死ものだが大野は気にする余裕がない。大野はLINEを返す。

 

「いつになってもいいから、必ずデートしよう。絶対約束だよ」

 

 はたから見ればもてない男のLINEそのものだが、大野はそこには気づくことができない。長谷川の既読がつく。しかし、返信はしばらく経っても帰ってこなかった。大野はそこでも一喜一憂する。なんで返ってこないんだ。キモかったかな。ダメなのかな。そんな負の思想が大野の頭の中を蠢く。彼女の長谷川からの連絡は大野を支配していた。

 

 そんな状況で会社でも浮かれていて、大野は前より雰囲気が良くなったねと言われるようになった。問題の部長や人事課長にも素直に謝ることができ、関係は改善していた。マサからもなんとなくより親しげに接してもらえるようになり、マサは大野に気があるんではないかと社内で噂されるようになった。しかし、大野は彼女持ちの身なのでマサからもアプローチは無視していた。そんな大野はマサからよりかっこよく見えるらしく、さらにアプローチをかけられるようになっていった。

 

「大野君、最近雰囲気変わったよね。なにか恋人でもできた?」

 

 そうやってフランクにマサから接してもらえる大野は少し得意げだった。

 

「いや、そんなことないですよ」

「いや、絶対何かあったよね! 前にも増して明るくなったし、今までスーツで来てたのに私服になってるし」

 

 大野の会社は服装自由だったが、大野はファッションセンスがないことからいつもスーツだった。しかし、恋人ができてファッションでも釣り合う男になろうと努力を始めたのであった。大野はマサからそんな変化に気づいてもらい嬉しく思う。彼女ができた大野は人生すべてが好転していた。マサに答える。

 

「なにもないですよ。私服にしたのは服装に気を遣おうと思い始めただけで」

「大野君はそのほうがいいよ!」

 

 マサからは服装について好感触だった。大野はそこでも山上に勝ったと思った。山上は服に年間何十万も使う人間で大野は決して褒めなかったが、相当におしゃれなのだ。俺だってあまりお金をかけずおしゃれになれたんだ! ざまあみろ、山上! という想いが大野に浮かんだ。大野は山上を見下しつつも、やはり山上に認められたいという想いがあった。そんな山上におしゃれだと言ってもらえたらどれほど嬉しいだろう。大野は山上が驚く表情を想像して誇らしげな気持ちになった。マサが続ける。

 

「ただ、ジャケットのサイズ、ワンサイズ大きい方が私は好みかな」

「そうですか」

 

 大野は怒り狂う。なにが私は好みかな、だ。俺はこのサイズ感が好きで買ったんだ。何も知らないお前に言われる筋合いはない。だいたいお前のファッションだって地味でおばさんみたいじゃないか。おしゃれな俺に口答えするな。大野はそんなことを思いながら、先ほど浮かんだ山上の驚く表情がどこか見下した表情に変わるのを感じた。やっぱり大野はその程度だな、ダサいままだ。もっとセンスを磨いてから俺に会うんだな。大野は心の中で地団駄を踏む。悔しくてしかたなかった。大野の表情の変化を感じ取ったマサはさらに続ける。

 

「でも、本当におしゃれになったと思うし、前より良くなったのは事実だよ。じゃあ、またね」

 

 そう言ってマサは去っていった。大野はその後ろ姿を見ながら、中指を立てて見送った。

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