トレちゃんの休止理由
で、次に目が覚めた時、もうトレちゃんの姿は事務所のどこにもなかった。
「んぁ……なんだ……? 朝……?」
事務所のソファで目を覚ました俺は、自分がなぜ家にも帰らずにこんな場所で寝ていたのか思い出すまでに時間が掛かった。
昨日の出来事を脳内で振り返り、恐らくトレちゃんに気絶させられたのだという結論に至る。
『ワタシは……しばらく活動を休止させてもらいマス』
昨夜最後に聞こえたトレちゃんの言葉が蘇ってくる。
正直意味が分からなかった。
「トレちゃん? フランクリン? 誰かいないのか?」
答えを求めて事務室を見渡す。
俺が意識を失う前に事務室にいた2人の姿はどこにも見えない。
「bd?」
こちらもやはり返答はない。
テロリストの怪しげなプログラムによって、キューブの機能を停止させられた影響がまだ続いているのかもしれない。そうだ、さっさとキューブを再起動してbdを起こしてやる必要がある。じゃないとbdを待っているリスナーに申し訳ないからな。
そのためにもトレちゃんを探さないと。キューブはトレちゃんが持っているのだから。
「電話……あ、昨日タクシーの中で没収されてそれっきりだ……」
恐らくGPSで俺の位置を知られないようにするための処置だったのだろうが、俺のスマホはテロリストの指示に従ってタクシーに置いてったまま返って来てない。
どちらにせよ電話を掛けたところでトレちゃんは通話に出てくれなさそうな気はしていたが。
「仮眠室のほうも見てみるか……」
淡い期待を抱きながら事務室を出て足早に階段を上がる。
仮眠室の扉をノックすると、中から幽名の「どうぞ」という声が聞こえて来た。人が居ることに安堵しつつドアを開ける。仮眠室の中には幽名と奥入瀬さん、それから昨日泊まると言っていた一鶴がラフな姿で……というか一鶴はほとんど下着みたいな姿でそこに居た。
「おはようございます、代表様。いかがなさいましたか?」
「覗き? いやん、代表さんのえっち」
俺は自身が持ちうる表現力の限界に挑戦するかのように、全力で不快な表情を一鶴に向ける。今は馬鹿に構ってる余裕はない。
「トレちゃんは?」
「トレちゃん様ですの?」
「トレちゃんさんは泊まっていってませんけど……あの、もう私達は外に出ても大丈夫なんでしょうか……?」
奥入瀬さんが不安そうに尋ねて来る。
そう言えば奥入瀬さんには事情を詳しく聞かせてなかったな。彼女には、事務所が不審者に襲撃されたことと、FMK関係者が個別に狙われるかもしれないので、安全のためにもこっちに一緒に泊まってくれとだけ伝えていた。それから何の指示もしていないのだから、不安に思うのも無理はないだろう。
だが情けないことに、今の俺には安全かどうかを判断する基準が何もない。
昨夜の暴動騒ぎが警察の方でどう処理されたのかとか、もうテロリストは全員排除されたのかとか、そういうことが何一つ分からないのだ。
それを確認しようとした矢先にトレちゃんに気絶させられてしまったのだから。
「申し訳ないが、もう少しだけここで待機していて欲しい」
「……分かりました」
奥入瀬さんには悪いが、事態が正確に把握出来るまでここに留まってもらうしかない。というか、今ここで昨日のような襲撃が起きたら危険だ。まずそっちを何とかしよう。
俺は踵を返して事務室に戻って来た。
「えーっと、アイツの名刺は……あった」
据え置き電話の受話器を手に取り、名刺の番号に電話を掛ける。
何回かのコール音の後、通話が繋がる気配があった。
『モシモシアル』
いつもの調子で蘭月が電話に出てくれた。
良かった、コイツまでいなくなっていたらどうしようかと思っていた。
「蘭月、俺だ」
『マア、事務所のデンワからかけてクルのはボスくらいダロウネ。ナニカ問題アルカ?』
「トレちゃんが居なくなった、フランクリンもだ」
『……ドウイウことネ?』
俺はトレちゃんが俺を気絶させてから行方を晦ましたことを説明した。
『アイツ、なに考えてるヨ』
「分からん。蘭月は何か聞かされてないのか?」
『キイテタら、こんなノンキにしてナイアル。トモカク事情はワカッタ、直ぐにソッチにイクネ』
「すまん、頼む」
それから30分ほどで蘭月が事務所に戻って来た。
しかも七椿も一緒だった。
「代表、おはようございます」
「ああ、おはよう。すまん蘭月、もしかしなくても、あれからずっと護衛し続けてくれてたんだな」
「仲間をマモルのはトウゼンアル。で、あのオオバカは、仲間をほっぽり出してドコに消えたネ」
「それが全然理由も行先も分からないんだ。電話にも出てくれないし」
「フランクリンと一緒にイナクナッテルのがキニナルヨ――」
と、蘭月がそこで言葉を区切って鋭い視線を窓の外に向ける。
無言になった蘭月は音もなく窓際に近付き、外を一瞬だけ確認した。
まさかまたテロリストか?
緊張に身を固くする俺だったが、蘭月が「問題ナイアル」といつものアルのかナイのか分かりづらい答えを寄越してきた。問題ないらしい。
「強いケハイがシタからテキかと思ったケド、アレはCIAの人間ネ。昨日事務所で見た顔ダヨ」
「俺はフランクリン以外のCIA職員なんかに会った事ないが」
「ボスとイヅルが帰ってクルコロにはテッシュウしてたカラネ。日を改めてナニをしにキタノカ……マア、チョウドイイアル。アイツらなら何か知ってるハズヨ」
俺も一応慎重に窓際に近付く。
ガラスがなくなってフレームだけになってしまった窓から下を見てみると、事務所の前の道路に黒いいかにもなバンが停まっていた。
車の周囲にはスーツ姿の外国人が数名。
そのうちの1人がこちらを見上げてきて、目が合ってしまった。
金髪オールバックの壮年の男だ。
なんとなくだが、好意的な人間とは思えない雰囲気を発している気がする。こっちを睨み付けているし。
やがて男が俺から目を逸らして、事務所の入り口の方に歩くのが見えた。
中に入ってくるつもりのようだ。
「どうしますか、代表」
「……話を聞きたい。七椿、出勤早々悪いが準備を」
「かしこまりました」
ほどなくして、ノックもせずに事務室の中にCIAの職員らが入って来た。
先頭に立つのは俺と目が合っていた金髪オールバックのオッサン。後ろの奴らは多分年齢的には俺と変わらなさそうだが、全員修羅場を何回か経験してますって雰囲気の面構えをしている。
「いらっしゃい。来るなら事前に連絡して欲しいものだけど、あんたらCIAの人間だって?」
「ダイソンだ」
金髪オールバックのオッサンはダイソンというらしい。
ダイソンは取り繕ったような笑みを顔面に張り付けながら、こちらに握手を求めてくる。
俺は握手に応じてから、一応こっちも名乗っておこうと口を開こうとした。
「俺は――」
「名乗らなくて結構、君たちのことは全て知っている。我々はそういう機関なものでね」
「ああ、そう」
「座ってもいいかね?」
「どうぞ」
自己紹介を遮られたのはちょっとムカついたが、ここ最近は名乗りに失敗することばかりなので気にしないものとする。
俺とダイソンは向かい合うように応接用の椅子に腰かけた。
他の連中はそれぞれ後ろで立ったまま。
なんとなく空気悪いな。
蘭月が思いっきり圧を発しているせいだろうが、俺はとりあえず知らないふりをして話を始めることにした。
「それで、なんの用ですか?」
「我々が今日ここに来たのは、君たちに色々と説明するべきことがあるからだ。主にうちのフランクリンや、メイド服の彼女について」
「っ! トレちゃんがどこにいるのか知ってるのか!?」
思わず立ち上がった俺を見て、ダイソンが落ち着き払った態度で座り直すよう促してくる。
「知っているとも。彼女とフランクリンは現在、アメリカに向かって移動中だ。今はまだ空の上かな」
「は?」
トレちゃんがアメリカに?
どうしてそんなことになった?
「どういう……ことだよ」
椅子に腰を降ろしながら、俺はダイソンを睨む。
CIAの連中がトレちゃんに何かしたとしか思えなかったからだ。
俺に睨まれながらもダイソンは顔色ひとつ変えずに続きを話してくれた。
「一番の理由はキューブの再起動のためだろう」
「キューブの再起動のため? それでどうしてアメリカに行く必要があるんだ?」
「あのキューブをメンテナンス出来るのは、開発者であるヴァレンタイン博士だけだからだ。シャットダウン後の起動方法も、博士の協力なしでは為し得ない。だから彼女はアメリカに発った」
「……そういう、ことか」
理由を聞いて少しだけ安堵した。
居なくなったのはbdを復活させるためだったのだ。
きっと、仲間のために居ても立っても居られなくなって、即座に行動に移したのだろう。それならそうと言ってくれれば良かったの……に……。
「待てよ、そんな理由だけなら、俺を気絶させて黙って出て行く必要はなかったはずだよな?」
「そうだな。彼女がここを出て行ったのは、それだけが理由じゃない」
ダイソンは神妙な面持ちで額に皺を寄せた。
「メイド仮面がアメリカに向かったもう一つの理由は、キューブを狙う勢力を根こそぎ排除するためだ」
「――なんて?」
「メイド仮面がアメリカに向かったもう一つの理由は、キューブを狙う勢力を根こそぎ排除するためだ」
聞き返した俺に、ダイソンは一言一句違わずに同じ言葉を繰り返した。
キューブを狙う勢力を根こそぎ排除するため?
なんだそりゃ……いや、それが出来たら確かに安全安心だろうけど、現実的に考えてそんなことが可能かと問われれば、首を捻らざるを得ない。だってそんなの……トレちゃんが如何に超人だろうと、一体何年掛かるんだって話だ。
「ナニやってるアル! バカなコトを!」
蘭月が怒りを露わにして声を荒げるくらいには無茶なことをしようとしている。
どうりで黙って出て行ったわけだ。俺や蘭月が聞いたら間違いなく反対していただろうからな。
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