常識のない人間ほど、存外常識に囚われているものである

 俺と一鶴が事務所に帰ってきたのは深夜1時を過ぎたころだった。

 日付を跨いで11月。流石にこの時期のこの時間は少し冷える。タクシーから降りた俺は、二の腕辺りを摩擦熱で温めながら車内を覗き込んだ。


 運転席では、タクシー運転手とは思えない忍者コスプレの女がハンドルを握っている。

 コスプレじゃなくてガチのやつだったのだが、ともかく俺は改めて忍者に頭を下げた。


「助かったよ、えーっと……くないさん」


「呼び捨てで構わんでござるよ。某と代表殿の仲ではござらんか」


「今日初めて会ったのに仲もクソもないだろ。ともかくありがとう」


「あたしからも礼を言うわ! 出せるものはないけど!」


 FMKの借金王一鶴だもんな。

 ……というかあんな目に遭ったのに元気なやつだ。

 こっちはヘトヘトだってのに。


「さっきも言ったでござるが、報酬は既に受け取っているでござる」


「依頼人にか? 結局誰が俺達を助けるように依頼してきたんだ?」


「それは秘密にござる。守秘義務がある故。まあ、もしかしたら依頼人の名前を言う時がくるやも知れぬでござるが」


「……?」


 この時は七八十の言っている意味が分からなかった。

 だが、さっきの2回目の誘拐事件において、この時の七八十の匂わせ発言の意味がようやく理解出来た。


 七八十は依頼人であるレディラックなる人物から、ロールシャッハの残党が依頼人が誰なのかと尋ねてきたら、自分の名前を明かせという不可解な指示を受けていたのだ。


 ドレイクの話を信じるなら、レディラックはそもそもテロリストにキューブの所在やFMKの情報を漏らした張本人でもある。そのレディラックが、七八十に俺と一鶴を助けるように指示を出し、さらにテロリストにその事実を明かすような真似をした意図は依然として不明なままだ。

 気味が悪いが、今はレディラックについてはおいておこうと思う。


 回想に集中しよう。


「では某はこれにて失礼するでござる。この車を持ち主に返しに行くので」


「ああ、じゃあな。もう会うことはないかもしれないが」


「ははは、それはどうでござろうな」


 忍者は不穏な言葉を残してアクセルを踏む。

 タクシーは直ぐに見えなくなった。


「はぁ……とりあえず事務所に入るか」


「そうね。ねえ、代表さん、もう夜遅いし今日は事務所に泊まってっても良いわよね?」


「そうしてもらおうと思ってたとこだ」


 今はどこよりもこの事務所が安全だろうしな。

 最強クラスのボディガードが二人もいるわけだし。

 そんなこんなで、七八十に別れを告げた俺と一鶴は、事務所の中に入って行った。


 誘拐先からの帰宅ってシチュエーションは、現在の時間軸の俺達と同じだが、まだこの頃には事務所で俺達の帰りを待っていてくれる人たちが残っていた。


「ただいま――」


「代表さん!!!」


 事務所の中に入るなり、金髪メイド服の少女が俺に全力で抱き着いてきた。

 ゴリラみたいな腕力で抱きしめられて全身の骨が軋む。

 正直この時が一番死を覚悟したかもしれない。


「ト、トレちゃ……ギブ……!」


「良かったデス……無事で……」


「今無事じゃなくなりそうになってるけど。つーかあたしも居るわよー? 誘拐されてたのはあたしよー? もしもーし?」


「あ、イヅルもおかえりデス」


「安心と安定のオマケ扱い!」


 そのあと俺はなんとかトレちゃんのデスホールドから解放され、ようやっと本当の意味で安全を確保出来たのだった。





「で、あたしは説明を要求しても良い立場だと思うのよね」


 事務室の応接ソファでふんぞり返る一鶴が、至極真っ当なことを口にする。

 まあ、一鶴からしてみたらこの誘拐事件はとんだとばっちりだったわけだし、説明を求めるのは当然の心理だろう。

 ちなみに、説明を欲していたのは一鶴だけじゃない。一鶴の隣には七椿も肩を並べて座っていた。


「私も流石にこれ以上部外者のままでいることは出来ません。そろそろ隠していたことを話しは頂けませんんか、代表」


 口ぶりから察するに、七椿も俺やトレちゃんが何かを隠していることは気付いていたのだろう。最初から七椿を欺き続けるのは不可能だと思っていたので、それは仕方のないことだと俺は諦めていたのだけれども。

 しかし一鶴に色々と話すのはなんかなぁ……。


「ちょっと作戦会議。トレちゃん、蘭月、あとフランクリンもこっちに」


 一鶴と七椿を除く、この部屋にいる全員を呼んでスクラムを組む。


「どうする?」


「メンドウだからトットト全部ゲロるアル」


 チャイナ服をボロボロにした蘭月がそう進言してくる。

 俺と別れたあと、かなりの強敵と遭遇して苦戦させられたそうだ。その強敵はあとから来たトレちゃんにワンパンされたらしいので事なきを得たようだが、おかげで俺を完全に見失ってしまったのだという。

 まあ、全部終わった話なのでそこはもう掘り下げないが。


「ゲロるって言ってもな、一鶴がキューブの価値とか知ったらどうなるか」


「どうもさせないデスよ、もう誰にもキューブは触らせないデス」


 キューブは既に俺の手からトレちゃんの元に返却されている。

 相変わらずシャットダウン状態のキューブだが、起動させるのはこの話し合いが終わってからだ。


「そりゃトレちゃんが言うなら安心……と言いたいところだけど、一鶴を甘くみたら痛い目にあうぞ。ただでさえ、トレちゃんは一回アイツに出し抜かれてるわけだしな」


「あぁ、コイントスの件アルネ? アレの話は笑えたアル」


「モー騙されナイデス! ワタシに同じ手は二度もツウヨウしないデス!」


「手を変え品を変えて相手を騙すのが丸葉一鶴だぞ」


「ソウネ、イヅルの腐った性根をボスはよく分かってるアル」


「まあな」


「ちょっとぉ! あたしの悪口で盛り上がってるの全部聞こえてるんですけどぉ!」


 これは聞こえるようにわざと話していたので問題ない。

 大事な話は小声でだ。


「……で、実際問題、話すにしてもどこまで話すべきだと思う?」


「ダカラ全部ヨ」


「トレちゃんやお前のこともか? トレちゃんの気持ちはどうなる?」


「ワタシは……まだイヅルには知って欲しくない……デス」


 エプロンドレスの端っこをぎゅっと握り締めて、トレちゃんが眉を下げる。

 トレちゃんは未だに恐れているのだろう。自分の過去や、その過去を知った周囲が自分を見る目を変えてしまうことを。全てを打ち明けるにはまだトレちゃん側の心の準備が足りていない。それは確かだ。


 そんな人類最強の金髪メイドのしおらしい姿を見た蘭月が、仕方なさそうに溜息を吐いた。


「ワカッタからそんな顔するナヨ。調子狂うアル」


「じゃあとりあえずトレちゃんや蘭月の事には触れない方向で」


「ヘイ、ボス。発言いいか?」


「はい、フランクリンくん」


「悪いが、キューブについても黙っててくれると助かるぜ。一応機密情報だからな」


「いや、もう一鶴にキューブ見られてるし、アイツのことだから根掘り葉掘り追及してくるぞ」


「ねえ! 話し合い長くない!? あの四角い箱のこととか、こっちは色々と聞きたいことあるんだけど!?」


「……ほらな」


「ガッデム」


 ガッデムって本当に言うやつ初めて見た。


 そういえばトレちゃんが救出したっていう大統領の娘の姿が見えないな。

 どこか別の場所で保護されているのだろうか。



 ■



「なあ、キャロル。こんときお前どこにいたんだ?」


「ホテル。パパが寄越したSPに囲まれて休んでた」


「ふーん……あ、ちなみにだけど、トレちゃんに助けられた時、なにかトレちゃんと話したか?」


「話したかったけどステちゃんの方にそんな余裕がなかったみたいね。私を安全な場所に運んで、すぐにどっかに行っちゃったもの」


「そうか。あともうひとつ聞くが、捕まってる時、一鶴とは他に変わった話とかしなかったか? 例えばオーディションの話とか」


「――しなかった」


 キャロルは顔色ひとつ変えずにそう言った。

 俺はそれ以上不覚追及せずに、回想に戻ることにした。



 ■



 会議の結果、一鶴と七椿にはある程度のことは踏み込んで話すべきということになった。


 ある程度というのは、まずキューブがbdの本体であるということ。

 誘拐犯たちは、そのキューブを狙って一鶴と大統領の娘を誘拐したということ。

 キューブは元はアメリカの所有物だということ。

 それからフランクリンはアメリカから派遣されてきたエージェントだということだ。


 それらの説明を全部聞き終えた一鶴は、途中で七椿が淹れてくれたお茶をズズっと飲んでから、机に湯呑をドンっと置いて眉を吊り上げた。


「作り話をするなら、もうちょっとまともな嘘を吐いてよ! いくらあたしがバカでもそんな嘘に騙されるわけないじゃん!!」


「え」


「え、じゃなくて」


「いや、すまん。一鶴のくせに常識人みたいな反応をしてきたから、つい」


「あー!!! またバカにしてる!!!!!」


 声でけえよ。

 ちなみに事務所を襲撃してきたテロリストのせいで、今事務室の窓ガラスは全損している。叫ぶのは近所迷惑なのでやめようね。


「別に嘘なんかついてねえよ。これで信じられないのなら、もう何を言っても意味ないんだが」


「いやだって、あのbdがアメさんとこの開発したAIで、フランクリンがエージェントって……ハリウッド映画の設定か何かじゃないんだから。ねえ、沙羅ねえだってそう思うわよね?」


 一鶴が七椿に同意を求める。

 七椿は俺の荒唐無稽な真実を聞いても、眉一つ動かさずに鉄面皮を保ち続けていた。

 そんな七椿は、いつものように眼鏡をクイっとして、


「私は信じます」


 と、一鶴とは正反対のリアクションを見せてくれた。

 その答えに声を上げたのは一鶴だ。


「えー!! 沙羅ねえさん本気!?」


「本気です。今の話が真実なら、これまでの事件にも色々と説明が付く部分がありますから。勿論、全てを話してくれたというわけではないのでしょうが」


 そう言って七椿はトレちゃんに一瞬だけ目線を向ける。

 やはり七椿相手に隠し事は難しいな。察しが良すぎる。まあ、察した上で今まで何も聞かずに居てくれたのだから、そこは感謝しかないのだけれど。


「大体の事情は把握しました。それだけ分かれば十分です」


 言って、七椿は機械みたいなモーションですくっとソファから立ち上がった。


「帰るのか?」


「はい、明日も早いので。――ちなみに、今日のこれに残業代は」


「当然払う」


「ありがとうございます。では」


 それで俺から聞きたい言葉を全部聞けたらしく、七椿は速攻で事務所を出て行ってしまった。

 今の状況で単独行動は危険だが、蘭月が七椿のあとをこっそり尾行して護衛してくれることになったので、そこは安心だ。


「うーん……あたしはまだ、あんま今の話を信じれてないけど、沙羅ねえが信じるなら……うーん……」


 一鶴も全然納得してなさそうな空気感を出しながら、渋々と言った様子で仮眠室に消えて行った。

 仮眠室には幽名と、それからFMK関係者が狙われることを危惧して奥入瀬さんもこっちに泊まってもらっている。ここならトレちゃんの防衛範囲内だろうし、全員が安全な場所に固まっているということになる。


 唯一瑠璃だけがこの場には居なかったが、まあ、アイツが居るのは実家だろうし、あそこはあそこでそこそこ警備が厳重なので問題ないだろう。使用人が銃で武装してるような家だしな。


「さて、と。今度は俺がフランクリンやトレちゃんに話を聞く番だな」


 お邪魔虫が居なくなったので、俺はより込み入った話をしようと残った2人に向き直った。

 聞きたい事は山積みだからな。


 FBIやら警察やらが事務所に来るって言ってたけど、そいつらはどうなったのかとか。

 事務所に放置してた襲撃犯はどうなったのかとか。

 大統領の娘はどうしてるのかとか。

 それから、キューブを再起動させる方法だとか。


 まあ、話し合わなきゃならないことはいっぱいあったわけだ。


 しかし――


「代表さん……」


「ん?」


「ワタシは……しばらく活動を休止させてもらいマス」


「は――」


 瞬間、トレちゃんの姿が残像を伴って掻き消える。


「ごめんなさいデス」


 正面にいたはずのトレちゃんの声が背後から。

 それが俺が彼女の声を聞いた最後の記憶となった。


 トン。


 首元に衝撃。

 脳が揺さぶられ、俺の意識はそこでプツリと途絶えてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る