分身の術

「やっぱり……やっぱりだ……レディラックが俺達を……」


 七八十の証言から、レディラックとやらが一ヶ月前の誘拐事件の裏で暗躍をしていたことは、最早疑いようもない事実となった。

 レディラックは、テロリストにキューブの所在がFMKにあることを伝え、そのテロリストから俺を守るように忍者である七八十に依頼をしていたという。


 レディラックが何故そんなことをしたのかは分からない。考えられるのは、キューブを餌にテロリストを誘きだし、尚且つ民間人である俺達に被害が及ばないようにした……とかか?

 いや、だとしたらもっと安全なやり方があったはず。常に誰かに護衛されていた俺はともかく、一番最初に誘拐された一鶴やキャロルの安全まで保障されていない。


 レディラックが何を企んでいたのかは気になるところではあるが、今はそれよりも目の前の危険を回避するすべを探さなくてはならない。


「おいニンジャ! レディラックの居場所を吐け! さもないと、この男が死ぬことになる!!」


 ドレイクの視線は七八十に釘付けになっており、俺のことはまるで眼中にないようだった。だが、俺に向けられた銃口は一切のブレもなく、俺の急所を狙い定めている。明らかに興奮している様子で怒号を上げながら、引き金に力を込める指に微かな震えすら感じられる。この男の精神状態はまともじゃない。万が一にも引き金に力が入ってしまえば、俺の命は風前の灯火だ。

 絶体絶命のピンチに、俺は七八十に向けて必死の形相で視線を送る。目で訴えかける。もし、レディラックの居場所について何か知っているのなら、今こそその情報を明かしてくれと。

 その熱い視線を受け止めた七八十は、しかし小さく首を振った。艶やかなポニーテールが、その仕草に合わせてゆらりと左右に揺れる。その仕草が、どことなく諦観を帯びているように見えた。

 つまり、七八十はレディラックについて何も知らないということだ。俺達に残された道は、もはや何もない。

 銃口を向ける不安定な男に、答えられる者は誰もいない。渦巻く緊張が、一触即発の危機を予感させる。


「某、この依頼主について知ってることは名前以外には何もごさらん。というか、この名前も偽名だろうし実質何も知らないのと同義でござるな」


「おい! 俺に嘘を付くな! 連絡先くらいは知ってるはずだ!」


「くどい。知らぬものは知らぬでごさる」


 その一言が決定打となった。


「……じゃあお前らにはもう用はないな」


 冷酷にドレイクがそう告げる。

 敵がドレイクだけならまだ七八十1人でなんとかなったのかもしれないが、相手はテロリスト集団。まだ倉庫内には、俺から見える範囲内だけでも10人近くは残っている。全員が銃で武装し、その銃口は人質である俺とキャロルとララ子、そして七八十にバラバラに向けられていた。


 ここは本当に日本かと疑いたくなるような光景と状況。

 だがしかし、ビルの屋上で腰蓑一丁のジャングルキングに拝謁させられたり、UFOに乗って空を飛ぶよりはまだ現実的なシーンとも言える。

 以上、現実逃避終了。


「死ね」


 引き金が引かれる。


「忍法、分身の術」


 その掛け声と共に、倉庫内に不気味な静寂が訪れる。次の瞬間、「ドロン」という間抜けなSEが響き渡り、信じられない光景が繰り広げられた。

 倉庫内の人口密度が一気に倍増したのだ。目を疑ってしまうほどに、至る所に七八十の姿が現れる。そのあまりの数に目を凝らしてみれば、優に20人以上はいるだろう。

 俺が茫然自失としている間にも、七八十の分身達は速やかに行動に移る。1人がドレイクに迫り、銃口を力強く掴んで狙いを逸らした。ドレイクの引き金指に力が入る直前のことだ。銃声が鳴り響き、弾丸は七八十の分身の脇をかすめて、はるか彼方へと飛んでいった。


「「「「「これで数の不利は覆したでござる」」」」」


 まったく同じ声色で放たれる、異様なまでに統一されたセリフ。それが、倉庫内のあらゆる方角から聞こえてくる。前後左右、果ては上空からまで。まるで七八十で埋め尽くされているかのような錯覚すら覚える。どこを見渡しても、七八十とテロリストが入り乱れて戦う姿ばかりだ。わずか数秒前までは、圧倒的不利な状況下にあったはずの戦況が、あっという間に好転したかのようだ。


「さ、今の内に外に逃げるでござるよ」


 いつの間にか背後に立っていた七八十が、俺を椅子に拘束していたダクトテープをクナイ・・・で切って解放してくれた。両隣ではキャロルとララ子も救出されている。


「ああ、もう! 酷い目に遭ったわ!」


「現在進行形だよ!」


「おかわり~……」


「まだ食べ損ねたこと気にしてるのか!? 帰ったらいくらでも食わせてやるからララ子も逃げるぞ!」


「こっちでござる」


 七八十に庇われながら、弾丸飛び交う倉庫内から脱出するために全員で一塊になって移動する。だが、その逃走を阻む男が1人。


「おい、おいおい、どこ行くんだよ。なあ?」


 ドレイクが立ち塞がる。

 足元には、七八十の1人が倒れていた。まさか本体じゃないよな? と思ったが、倒れていた七八十はドロンと煙に巻かれて消失した。どうやら分身の方だったようだ。


「ほぅ、それなりにやるようでござるな。しかしその分身は分身体の中でも最弱の――」


「黙れ」


 七八十の軽口に業を煮やしたドレイクが、一切の躊躇なく引き金を引く。銃口から火花が散り、凶悪な銃声が倉庫内に木霊する。

 しかし、忍者の動きはそれよりも速かった。七八十は飛来する弾丸の軌道を正確に読み、クナイと短刀を巧みに操って、まるで意思を持つかのように金属の雨を次々と弾き飛ばしていく。わずか数秒の間に十数発が撃ち尽くされ、ドレイクの銃が空撃ちになる。その一瞬の隙を狙って、七八十は手にしていたクナイの一本をドレイクに向かって投擲した。

 だが、ドレイクもまた素人ではない。飛び道具が放たれた気配を察知すると、鍛え上げられた反射神経で銃を構えていた腕を素早く動かし、クナイを裏拳で叩き落とす。


「ニンジャァアアアアアアアア!!!」


 怒りに歪んだ形相で、ドレイクが七八十に向かって突進してきた。むき出しになった歯と、血走った目が、敵への殺意をありありと物語っている。そのまま組み付いて、持てる全ての力で七八十を叩き潰すつもりらしい。


「カモン、でござるよ」


 対するは一流の忍者。ドレイクの荒々しい体当たりを小気味良い身のこなしで交わすと、低い姿勢のまま足払いを見舞う。

 ドレイクは咄嗟にバックステップを踏んで後方に飛び退き、足払いをかわすが、七八十は怒涛の連撃を仕掛けていく。長い手足を縦横無尽に駆使した打撃が、ドレイクの急所を執拗に狙う。

 怒号と喘ぎ声が入り混じる、息づまるような応酬。僅かな隙をついての互いの攻防は、まさしく一進一退の攻防戦だった。

 二人の戦いは、まだまだ決着がつきそうにない。


「ここは某が引き受ける故、代表殿たちは外へ」


「最終選考があるんだから、死ぬなよ七八十」


「心配ご無用にござる」


 俺は決闘の結末を見届けることなく、倉庫の外へと脱出した。

 倉庫の扉を潜り抜けると、そこには朝日に照らし出された景色が広がっていた。眩しい光に目を細めながら、ふと時間の経過について考える。確か、俺達が誘拐されたのはU・S・Aでモーニングを食べている最中だったはず。それからの出来事を思い返してみると、体感では2時間ほどしか経っていないように感じられた。そう考えると、今はまだ午前中……11時前くらいだろうか。だが、実際にはもっと長い時間が過ぎているのかもしれない。極限状態において、時間の感覚というものは曖昧になりがちだ。

 時間を確認しようと思ったが、腕時計もスマホも、密林の屋上に入る時に没収されたままだったことを思い出した。そういや、そのスマホを取り返してもらうために、七八十を呼んでたんだったな。


 背後で重い扉が勢いよく閉まる音が聞こえ、俺は我に返る。

 倉庫の中では未だに激しい戦闘が続いているようだが、今はそれよりも自分達の安全を確保することが先決だ。だが果たしてこの場所から離れれば、本当に安全だと言えるのだろうか。そんな不安が頭をよぎる。

 コンクリートの地面に朝露が光り、倉庫を囲む金属フェンスが朝日を反射して眩しく輝いている。潮風が鼻孔をくすぐり、どこからかカモメの鳴き声が聞こえてくる。穏やかな港の景色とは裏腹に、俺の心臓は興奮冷めやらぬまま激しく脈打っていた。これから先、どのような事態が待ち受けているのか。予断を許さない状況に、改めて身の危険を感じずにはいられない。


「周囲に他のテロリストはいないようね」


「こっからどうするんだー?」


 ララ子の問いに、俺は少しだけ迷ってからその場に腰を降ろした。


「七八十を待とう」


「大丈夫なの?」


「アイツならなんとかしてくれるはずだ。忍者だし」


「そうね、ニンジャだものね。でも念のためにもうちょっと離れた場所で待つのはどう?」


 意外とビビリというか、現実的なキャロルの提案に乗って、俺達は倉庫から離れた場所にあるコンテナの影から倉庫の様子を見守ることにした。




 それから5分ほどが経過した。

 不意に倉庫の扉が開き、中から七八十が姿を現す。

 どうやら終わったらしい。


「良かった……」


 ピンピンした様子の七八十を見て、俺は身体から力が抜けるのを感じた。これで七八十になにかあったら本当にどうしようかと思った……。全員大きなケガもなく、無事難局を乗り越えられて本当に良かった。それしか言葉が見つからない。


「おーい、どこまで逃げたでござるー!?」


 キョロキョロと困っている七八十は見ていてちょっと面白かったが、今回の立役者を放置するのは失礼なので、俺達はさっさとコンテナの影から姿を見せる。


「あ、そこに居たでござるか」


「一応な。それで……テロリストたちは?」


「全員拘束したでござる。後は警察の仕事でござるな」


 七八十が懐からスマホを取り出す。

 忍者なのにスマホなのか……。と、ちょっとがっかりする俺とキャロルの視線を受けながら、七八十はどこぞに電話を掛け始めた。


「あ~、某でござる。ちょっとこっちの仕事で悪党共を拘束したので、引き取ってもらいたいでござる。え? いやいや、これは九重本家とはなんの関係もない仕事で……そう、そうでござる。うむ、宜しく頼むでござる。場所はメッセージで送る故。では」


 七八十が手短に通話を終わらせて、スマホを再び懐にしまう。

 ちなみにスマホをしまったのは位置的に胸の谷間の辺りだ。特にこの情報は必要のない情報だったかもしれないが、いちおう記憶に留めておくとしよう。うん。


「誰に掛けてたんだ?」


「警察の知り合いにござる」


「やっぱ忍者って公的機関と繋がってたりするのか?」


「場合と立場によりけりでござるが……それ以上は深入り禁物にござる」


 どうやら興味本位で踏み入るべき領域ではなさそうだ。

 蘭月が関わっている裏社会のようなものだろうし、あまり詮索してもいいことはないだろう。俺もこれ以上わけの分からん事件に巻き込まれるのはイヤだしな。何度もしつこく言わせてもらうが、俺はただのVTuber事務所の代表だ。もうそろそろ、本筋に戻らせて欲しい。銃を突き付けられながらの回想はもうごめんだ。


「帰ろう、警察が来ないうちに」


「UFO呼んでもいいかー?」


「……」


 俺達は上空で待機していたらしいUFOに乗って事務所に帰ったのだった。

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