感情の小箱

 トレちゃんからキューブを預かってから1時間くらいの間、俺と蘭月はひたすら刺客に狙われ続けていた。その悉くを撃退してくれた蘭月には感謝しかないが、現代日本でこんな大暴れして大丈夫かという不安が俺にあった。


「そこらへんはウマイことアメリカとニホンが隠蔽コウサクしてくれるコトをイノルダケネ」


 とは蘭月の発言だが、この事件が表沙汰になって騒がれることは1ヶ月経った今も起きてないので、まあ国が上手くやってくれたのだろう。かくして俺と蘭月はアクション映画並みの疾走感で、誘拐犯の指定した公園に到着した。

 と、同時にまたも俺のスマホに電話が掛かって来た。


『そこからは君ひとりで中に入るんだ』


 誘拐犯からの指示に、俺は当然首を横に振った。


「いや、死ぬから。ボディーガードがいなかったら俺なんてゴミ虫以下だぞ」


『問題ないよ。周囲に居た我々以外の勢力はこっちで排除しておいた。今一帯は安全だ。それは保障しようじゃないか』


「誘拐犯にそんな保障されてもな……」


『従わなければ人質が痛い目に遭うだけだが、それでも構わないと言うのなら好きにするといい』


「……分かったよ」


『通話はそのままにしておきたまえ』


「ああ。蘭月、悪いがここで一旦待っててくれ」


「ボス、幸運をイノッテルアル」


 俺は蘭月を置いて、単身公園に乗り込んだ。

 そこそこ広い自然公園だ。たまに幽名がこの公園でヴァイオリンの練習をしているらしいが、俺はここまで来るのは初めてだった。歩いて来るにはちょっと遠いしな。襲撃がなければもうちょっと早く着いてただろうが、それでも10分は掛かる。


『指示通りに従って進め』


 俺は誘拐犯に言われるがまま公園を練り歩いた。

 当たり前かも知れないが、俺以外にも公園にはそこそこの人間がいた。しかし状況を鑑みれば、この公園に居る人間の誰がいつ俺を襲ってくるのか分からないというのが現実だ。だから俺はランニングしてるオッサンが横を通り過ぎそうになった時、失礼なくらい距離を離して歩いたし、犬の散歩をしてる主婦にすらびくついていた。傍から見たら俺が一番の不審者だ。

 しかし俺が恐れているようなイベントはついぞ起こらなかった。


『そこのベンチが見えるかな?』


「見える」


 進行方向には、街頭に照らされたベンチがポツンと寂しく設置されている。周囲に人影はない。


『ベンチのところまで進みたまえ』


「ああ」


 ゆっくりと、警戒しながら前に進む。

 かなり遅めに歩いているのは、トレちゃんが人質を助け出すまでの時間稼ぎのためでもある。

 しかし残念ながら、俺がベンチにノロノロと到達するまでにトレちゃんからの救出方向が来ることはなかった。


『座りたまえ』


「……なんで?」


『いいから』


「座ったけど……で?」


『もうちょっと右』


「……はい」


『よし、その位置だ。ではベンチの裏側に封筒が貼ってあるから、それを取り給え。裏ってのは……違う、背もたれの方じゃなくて、今君が尻に敷いてる椅子の部分のことだ』


 座ったままの姿勢でケツの下……ベンチの底部分に手を伸ばすと、それはあっさりと発見出来た。

 テープで張り付けてあったそれを、引っぺがして手元に持ってくる。


「封筒ってこれか?」


 何の変哲もない茶封筒。

 裏にも表にも何も書かれちゃいない。

 問題はその中身だ。触った感触と見た目で分かるが、長方形の軽くて小さな物体が中に入っている。


『その封筒の中身を取り出すんだ。それが何かは見れば分かる』


 封筒を開いて、中身を手の平の上に滑り落とした。

 これは……


「USBメモリ?」


 見慣れた形状のそれは、どこからどうみてもただのUSBだった。

 こんなものを渡して俺にどうしろというのか。今の俺は見ての通り、USBの中身を見るためのPCも持ち歩いていないのに。


「おい、俺にこれをどうすれって言うんだ?」


『キューブは持ってきているね』


「忘れたって言ったら?」


『無意味な駆け引きはやめたほうが賢明だ。次に時間稼ぎをしていると私が判断したら、君の事務所のカワイイタレントに傷が付く』


「……キューブはある」


『それでいい』


 クソったれが。


『ではキューブにそのUSBメモリを挿すんだ』


「は? キューブにUSBの差込口なんてあんのか?」


『時間稼ぎは――』


「いや、時間稼ぎとかじゃなくって」


 キューブは見た目つるつるの無駄のない立方体だ。

 ぱっと見継ぎ目らしきものも見当たらない。


『では、キューブ自身に聞くといい』


 言って、誘拐犯からの通話が切れてしまった。

 そして今度は見計らったように別の声がスマホから聞こえて来た。通話も繋げていないのに、だ。


『代表、bdです。USBの差込口をお探しなのですね?』


 通話をしっかり盗み聞ぎしていたのだろう。bdは説明不要の迅速さで俺の欲しい答えを口にする。


「キューブのどこにそんなもんがあるんだよ」


『引っかかりがあるので、そこを爪でぐいっと引っ張ると出てきます』


「どの面だよ」


『ナビします。スマホの前にキューブを』


 ベンチにスマホを立てかけて、その前で俺はキューブを手に持った。

 なんだか非常に間抜けな構図だ。


「おかあさん、あの人なにしてるの?」


「しーっ、見ちゃだめ関わっちゃだめ、他人のフリしなきゃ」


 遠くからそんな声が聞こえて来る始末だ。

 人払いくらい完璧にしといてくれよ。


「で、どの面だ?」


『左に回してください。違います、私から見て左です。行き過ぎです。そう、その面』


「この面のどのあたりだよ」


『右下です。もうちょっと上。下……そうそこです、分かりますか?』


「お、おう、なんか引っかかる感じがする」


『そこを強く引っ掻いてください。……ん……あっ』


「変な声出すな」


『雰囲気出るかと思いまして。興奮しましたか?』


「この状況で無機物相手に興奮するか」


 どんどん変な影響受けてってるけど大丈夫かうちのAI。


「……あった」


 引っかかりを爪で強く引っ張り出すと、パカッと表面の蓋が外れてUSB差込口が露わになった。ここまで来ればあとはUSBを挿すだけだ。挿すだけなのだが……。


「なあ、bd」


『どうしました?』


「このUSBを挿したら、お前はどうなると思う?」


 誘拐犯から送られた怪しげなUSBだ。間違いなくロクなことにならないのは明白。もしウィルスか何かだったら、最悪この場でbdが死ぬこともあり得る。しかも俺の手によって。


『代表が何を考えてるかは分かりますが、心配には及びません。そんじょそこらのウィルスにやられるほど、私はヤワじゃないです』


「そんじょそこらのウィルスじゃなかったら? 誘拐犯が自信満々に持ち込んだ代物だぞ」


『それでも道は一つですよ。人命が最優先。私はただのプログラムです』


「俺はそうは思ってない」


『……ありがとうございます。その言葉だけで生まれてきた価値があったというものです』


 まるで今生の別れみたいなことを言うbd。

 そんなことを言われたら余計に挿しづらくなる。


『そのUSBが何かは分かりませんが、誘拐犯が私を破壊するとは思えません。テロリストの目的はキューブのはず。であれば、それを挿しても案外無事で済むかもしれませんよ?』


「だが……」


『とにかく早く挿さないと…………ああ、代表、悪い報せが』


 決断を先延ばしにして時間を稼いでいると、bdが不意に落胆の声を漏らした。何があったかは聞くまでもない。トレちゃんの人質救出に問題が発生したのだろう。


「何があった?」


『メリーアン・トレイン・ト・トレインが誘拐犯の乗った車を急襲。大統領の娘の奪還には成功しました。ですが……』


「一鶴はいなかった、か」


『はい』


 そこでまた電話が掛かってきた。


『やあ、残念だったね。大統領の娘は奪われてしまったが、君のとこの大事なタレントはまだ我らの手中だ』


「声を聞かせてくれ」


『悲鳴でもいいなら聞かせてあげよう。やれ』


「ばっ、やめ」


 そして通話口から一鶴のものと思わしき悲鳴が聞こえてきた。


「一鶴……!」


 一鶴の身に何があったのかは分からない。

 何をされたのか想像もしたくない。

 分かるのは、俺がモタモタしていると一鶴がもっと酷い目に遭うと言うことだけ。


『さあ、返答は?』


「……」


 コイツら、絶対に許さねえ。

 だがこれ以上の時間稼ぎは不可能だ。

 詰んだ。お互いに。


「bd、すまん。それと、頼んだぞ」


 俺はUSBをキューブに差し込んだ。

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