階段を上るとそこはジャングルだった。

「付いて来るのよ! 我が王がお待ちなのよ!」


 ページ跨ぐまで黙ってたら、有栖原が地団太を踏みながらキレ出した。

 キレやすい昨今のお子様には困ったものである。

 そんなことは置いておいて、


「なに? 誰? ワガオウ? ……我が王? 電話でも言ってたけど、なんだよそれ」


「質問は受け付けてないのよ! お前に与えられた選択肢は二つ! 黙ってアリスについてくるか、もしくは何の情報も得られないままお前のボロい事務所にとんぼ返りするか! なのよ!」


 有栖原の言葉の意味が分からずに質問するも、キレやすいお子様と言う名の炎に油を注ぐだけの結果に終わる。相変わらず、なんて沸点の低いお子様なんだ。


「アリスって言うより、まるでハートの女王様ね」


「気を付けろよキャロル。機嫌を損ねたらアイツはマジで首を刎ねるぞ」


「知ってるわ。自分に逆らったライバーを次々クビにしてるのよね。まんまじゃない」


 俺とキャロルが本人に聞こえないように陰口を言ってる間に、小さな女王様はドシドシ足音を鳴らしながら社長室を出て行ってしまった。


「どうするっすか?」


「行くしかないだろ。まだアイツがナキを卒業まで追い込んだ犯人じゃないって、確証を得られてない」


 それに我が王とやらも気になるしな。

 一体どんなサプライズが待ち受けているのやら。


 社長室を出て有栖原の背中を追う。

 有栖原はエレベーターの開くボタンを押した姿勢で、貧乏ゆすりしながら俺達を待っている様子だった。


「うわー……めっちゃ待ってる。ここで帰ったらアイツどんな反応すんだろ」


「Mr.代表、貴方たまに性格悪いって言われない?」


「ジョークだよ。定期的にふざけたこと言ってないとシリアス疲れすんだよ。特に今みたいな状況だと。アメリカの映画だって命掛かってるシーンでも冗談言ったりするだろ。アレと同じ」


「何をごちゃごちゃ話してるのよ! 早く乗らないともう扉を締めるのよ!」


 このまま放置してみたい気持ちもあったが、それはそれでこっちが困るので大人しくエレベーターに乗り込む。


「グズどもが、モタモタしすぎなのよ」


 全員が乗り込むと、有栖原がグチグチ言いながら開くボタンから指を離した。

 扉が閉まる。ここから何階に移動するつもりなのだろうか。ちなみにこのグリーンヘルズは36階建てで、俺達が今居るフロアは最上階の36階である。俺もいつかはタワマンとかの最上階に住んでみたいものだ……って、今のは何か一鶴あたりが言いそうなセリフでちょっとヤだな。前言撤回。


「何階に行くんだ? ボタンまで指届くか? 何階か言ってくれたらボタン押すぞ?」


「お前ほんとムカつくのよ。なんであの時死んでくれなかったのかしら、お陰で事態がややこしくなっていってるのよ」


「知らんがな。で、何階に行くんだよ」


 何階に、という問いに、アリスは人差し指を上に向ける。


「上、なのよ」


「上って……最上階はここだよな?」


 有栖原は一本だけ立てた人差し指で、5Fのボタンを押した。

 そのまま立て続けに、21、10、9、1のボタンを押し、最後に36Fを押してから、今度は開くのボタンを押す。


 なにやってんだコイツ。

 そう思っていると、エレベーターが変な音を立てながら開いた。


 だが開いたのは俺達が乗り込んできた正面の扉じゃない。

 エレベーターの後ろにある、デカい鏡の付いた壁が、だ。


 鏡が左右に分かたれ、見覚えのない通路が俺達の前に現れた。

 いや、どういうギミックだよ。


「なんか……特定の手順を踏んだらエレベーターで異界に行けるって都市伝説あったよな。それ思い出した」


「どこまでも口の減らない男なのよ。まあいいのよ、そのまま付いて来るのよ」


 有栖原は意気揚々ととっておきの秘密基地に足を踏み入れる。

 その後ろに、何も考えてなさそうな鞍楽と黒王号が続き、次にキャロル、それからぐったりと眠り続けるララ子を背負った俺が続いた。


 俺がエレベーターから出ると、当たり前かもしれないが自動的に扉が閉まる音がした。

 後ろを向くと、一応そこにエレベーターの扉は存在している。

 どうやら異界に取り残されるということはなさそうだ。


 そのまま俺達は有栖原に導かれるまま、数十秒ほど通路を歩かされた。

 通路の途中途中には警備員らしき人間が突っ立っており、通り過ぎる俺達を無言で睨み付けていた。


 エレベーターで秘密のコマンドを入力しないと行けない隠し通路に、この厳重な警備。一体全体、これから俺達はどこに連れていかれるのか。


 有栖原は、我が王が呼んでいるとかなんとか言っていた。

 密林配信プロダクションの社長である有栖原が、王と仰ぐ何者か。

 そんな人物が存在しているのかはこれから分かることだ。だがその前に、俺はエレベーターで異界に行けるというネット発の都市伝説を思い出すついでに、もうひとつ、ネットでまことしやかに囁かれているとある都市伝説を思い出した。


 曰く、有栖原アリスは傀儡であり、その背後には密林配信プロダクションを影で操る黒幕が居るのだと。


 バカげた妄想話だ。

 そんなものは、有栖原がこの幼さ(実年齢は見た目ほど幼くはないが)で大手V事務所を運営しているという事実を受け入れられなかった人間が生み出した、謂わば陰謀論だ。ハッキリ言って聞くに値しないバカ話だ。


 今日この日、この場所に至るまで、俺もずっとそう考えていた。

 だが、通路の奥……目的地に近付くほどに、嫌な気配がどんどんと強くなっていくのが、俺にも分かった。


「ヒ、ヒヒ~ン……」


「黒王号が怯えてるっす。この上に、何か居るみたいっす」


「あ、そう……野生の勘すごいね」


 俺も同じ気配を感じていたなんて恥ずかしくて言い辛くなってしまった。

 こんな馬のロールプレイを続けてる変態と一緒にされたくない。


 とかどうでもいい危機感と俺がひとりで戦っていると、やがて有栖原がはたと足を止めた。

 有栖原の前には、最新鋭のセキュリティでロックされたいかにもな扉。

 扉の左右には警備員が2人、彫像みたいにピクリとも動かずに立っている。


「ちょっと待ってるのよ」


 有栖原は、扉の横にある謎の装置……あれは網膜スキャナか? に、顔をくっ付けた。

 ピピピっと軽快な電子音が鳴り響く。恐らく扉のロックが解除されたのだろう。


「全員、持っている電子機器を警備員に預けるのよ。ここから先は一切の電子機器の持ち込みを禁止するのよ」


「持ち込んだらどうなるんだ?」


「持ち込ませないって言ってるのよ。仮定の話は――」


「――するだけ無駄」


「うわぁ!?」


 誰も居ないはずの右隣から声がして、俺はビビッて通路左側の壁に思いっきり背中からぶつかった。背中に背負っていたララ子が「うぐっ」と呻いた。やべっ。


「ごめん、驚かせた」


 全然感情の籠ってない謝罪をしたのは、黒装束の暗殺者にして密林配信のVTuber、北巳神案内灯だった。


「お前、いつの間に……心臓に悪い登場の仕方するなよ」


「エレベーターに乗った時からずっと隣に居た」


「おい、有栖原。俺の隣に暗殺者を置くドッキリは金輪際やめにしてくれ。っつかこの場で殺されたりしないよな、俺」


「北巳神は、お前らが変な行動を起こさないようにするための抑止力なのよ。大人しくしていれば危害は加えないのよ。第一、今のお前を殺したってアリスには何のメリットもないのよ」


 それは……多分そうなのだろう。

 俺を殺すまでもなく、FMKは壊滅してるようなものだしな。


「おう、北巳神。料理対決配信以来だな。あの時はありがとな」


「最悪の記憶。あの配信のせいでオムライスがトラウマになった」


 そういや北巳神も一鶴の隠し味入りオムライスでゲーゲーしてたっけ。

 コミックに出て来る暗殺者みたいに毒耐性とか持ってないんだな、北巳神は。


「とにかく電子機器を全て外して。無駄な時間は使いたくない」


「はいはい、分かりました」


 無駄を嫌う北巳神のことだ。俺がこれ以上無駄口を叩いてたら何をしてくるか分かったもんじゃない。北巳神がオムライスにトラウマを覚えているように、俺も北巳神にトラウマを覚えているのだから。


「ところで暗殺者ってどういうことっすか? 気になるっす!」


「企業秘密」


「気になるっす!」


 鞍楽はマイペースに北巳神に絡んでいるが、あんま刺激しないで欲しいのが俺の本音だ。

 さておき、俺達は言われるがままにスマホやらなんやらの電子機器を警備員に預けた。


 そしてようやく、最新鋭のセキュリティに守られた扉の向こう側へと足を踏み入れる。

 扉の向こうには、なんの変哲もない階段があるだけだった。

 屋上へと続く階段が。


 階段そのものは何の変哲もなかったが、一段一段階段を上る度に、嫌な気配は増々強くなっていく。じっとりと背中に汗が浮かび、呼吸がし辛くなってくる。つうか、暑い。蒸し蒸しとしている。空調どうなってんだこの建物。


 やがて俺達はグリーンヘルズビルの屋上へと辿り着き、


「は」


 そこに広がる光景に変な声を漏らした。


 一言で言い表すなら、そこはジャングルだった。

 視界を埋め尽くすほどの南国の植物と、野生動物たちの唸り声。

 11月末とは思えないほどの暑さと蒸せるほどの湿気。

 足元を這いずる昆虫図鑑にも載ってなさそうな虫と、テレビでしか見たことのないような変な鳴き声の鳥。


 そしてドヤ顔で俺達の表情を窺う、有栖原アリス。


「……不思議の国かよ」


 異様な世界観を前にして、俺はそんな減らず口を絞り出すのが精一杯だった。

 

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