どんよりジメジメ

 案件配信の翌日。

 一日置いて頭が冷えたお陰で、前日のギスギス感も落ち着いてみんな仲直りして、めでたしめでたし。

 なんて甘い展開を僅かながらでも期待していた俺を誰が責められるだろうか。


「自分が責めるっす! 甘々っす!」


 はい、そこ、人の回想中は静かに。


 で……なんだっけ。

 そうそう、残念ながら一日経っても事態は然程改善されなかった。むしろ改善どころか部分的に悪化した問題があるほどだったように思う。

 そんな悪化した問題の内のひとつが、幽名のメンタルだ。


「はぁ……」


 静かだった事務室内に、特大の溜息が響く。

 もう何度目になるか分からないその溜息の主は、どんよりオーラを纏ってメランコリックな表情で窓際の席に腰掛けていた。

 今年の梅雨頃にも似たような光景を見た覚えがあるが、今回のはより深刻。アルビノのお嬢様である幽名姫衣からは、いつもの超然とした雰囲気は一切感じられない。今の幽名はただただ頼りなく、ちょっとでも触れれば即座に折れてしまいそうな弱々しさだけがそこにあった。


 そんな幽名の超絶ネガティブな空気感に当てられて、事務所の空気も心なしか澱んでいた。

 外の天気はここ最近で一番の快晴だというのに、この建物の中だけ湿度80%くらいのジトっとしたヤな空気をしている。


「はぁ……」


 幽名が溜息を吐くたびに事務所の湿度が高まる。

 ジメジメジトジトと、肌に纏わりつくような重苦しい空気だ。


「おい、ヒメ。ソレは他所でやって欲しいアル」


 そんな陰鬱さに一番最初に音を上げたのは蘭月だった。

 昨日は別の仕事とやらで居なかった蘭月だが、今日は事務所の方に顔を出して選考作業を手伝ってくれていた。

 が、いざ仕事に取り掛かってみれば、事務室には最凶の人間加湿器と化したお嬢様が据え置きで付いているのだ。言いたい事を全部言うタチの蘭月が、そこで文句を言わないはずがなかった。


「サッキからワザとラシイ溜息が鬱陶しいネ、こっちマデ気が滅入るアル」


「蘭月、幽名は今――」


「トモダチと喧嘩して傷心中ダロ? そんなのはとっくに把握済みネ。だからといって、周囲にメイワク掛けていい道理ニハならないアル。ボスはそこんとこヒメを甘やかし過ぎダヨ。ワタシとしては、落ち込むナラ、ヒトリで見えないトコでヤッテホシイネ」


 蘭月は手厳しい意見を幽名にも聞こえるように大声で発言する。

 昨日の今日で神経質になっていた俺は、椅子を倒す勢いで立ち上がって蘭月を睨み付けた。


「もうちょっと言葉を選べよ」


「なにキレてるアルカ? ワタシに八つ当たりしないで欲しいヨ。こういう時こそどっしり構えるのがボスの仕事ネ」


「そっちはライバーに気を使うのもマネージャーの仕事だって覚えておいてくれ」


「マチガッタコトをしてたら指導シテヤルのもマネージャーの役目じゃないアル? 職務を全うしたダケネ」


 ああ言えばこう言いやがる……。


「止めてくださいませ、お二人が言い争う必要は有りませんわ」


 頭に血が昇り掛けてた俺が次なる反論を仕掛ける前に、幽名が口喧嘩に待ったを掛けて来た。


「蘭月マネージャーの言う通り、悪いのはわたくしですわ。今も、昨日の件についても」


「昨日のことは誰が悪いとかじゃないと俺は思ってる。あえて一番悪いヤツを挙げるなら、それは配信を荒らしてた輩だ」


「でもわたくしが余計な事を言わずに黙っていれば、瑠璃様を怒らせることもなかった」


「あれはあんな風にキレる瑠璃が悪い」


「申し訳ございません、今はとてもそんな風には考えられません。もうしばらく考える時間をくださいませ」


 幽名は事務所の出口へと、トボトボと俯きながら歩いていく。


「少し外を歩いてきますわ……」


 パタンと扉が閉まり、幽名の姿が見えなくなる。


「ありゃ重症アルネ」


「だからあまり追い込むようなことを言わないでくれ、頼む」


「ハイハイ」


 蘭月に釘を刺してから、俺は温くなったコーヒーに口を付けて一息ついた。


「幽名は……幽名だけじゃなくて瑠璃もだが、あの2人は友達と喧嘩するのが多分初めての経験なんだ。あいつらはお互いにお互いが初めての友達同士だから」


 根が陰なせいで人付き合いが苦手で、これまでちゃんとした友達のいなかった瑠璃。

 FMKに来るまではずっと箱入りで、外部との付き合いがまるでなかった幽名。

 奇妙な形で知り合うことになった似た者同士だったが、ここまではそれなりに上手く回っていた。

 瑠璃は幽名の世話を焼くのが大好きだったみたいだし、幽名もなんだかんだで瑠璃の事を信頼して身を委ねていた。だから相性は悪くなかったと思う。


 ただ育った環境が違いすぎて、考え方に齟齬が生じていたのは間違いない。

 幽名はあの通り普段は超奔放で一鶴以上に予測が付かない動きをしていし、瑠璃は瑠璃で思うように動いてくれない幽名にイラついてる節が前々から見え隠れしていた。幽名の料理配信に呼ばれた瑠璃が、後日あんなのが初めてのコラボ配信だなんて最悪だと愚痴っていたのがいい例だ。


 そこに関しては我慢の出来ない瑠璃が悪いと俺は思う。

 幽名は俺達の操り人形じゃない。自分の思い通りに他人を操ろうとするのは、まるであの人たち両親みたいな考え方でイヤだ。

 そういう意味では瑠璃も育った環境が悪かったとも言える。


 そんな特殊な2人が特殊な形で意見を違えたのだ。

 これは関係修復までに相当な苦労が予想されるだろう。


「全員、オーディションの作業と並行で申し訳ないが、幽名と瑠璃のことに最大限気を払ってくれ」


「リーダー、そのことで報告だが」


 幽名と瑠璃、両方のマネージャーを担当しているフランクリンが挙手をする。


「瑠璃は面談を拒否してるぞ、通話だけの面談もイヤだとさ」


 昨日の件について個別に話をしようということになっていたはずだが、瑠璃はそれすらも拒否している有様らしかった。


「あの強情っ張りめ……とりあえず瑠璃には俺から話をしてみる」


「代表では電話に出てもくれないと思いますが」


 七椿から厳しい意見が飛んでくる。

 が、そこは七椿の見立て通りだろう。


 多分今の俺が瑠璃に電話を掛けても無視されるに決まってる。

 昨日からメッセージも全部未読無視だしな。


「じゃあ、すまんが七椿に任せてもいいか? 瑠璃も同性の方が気が緩むと思うし」


「かしこまりました」


「あー……分かってると思うが、くれぐれも自宅訪問だけはしないようにな。あそこの家は厄介だから」


「はい」


 とりあえず瑠璃のメンタルケアは七椿に一任することにした。

 七椿自身、無感情の鉄面皮な彼女にしては珍しく、瑠璃に対しては優しさを持って接しられていたし適任だろう。少なくとも俺よりはマシだ。今の俺と瑠璃が会話しても、直ぐに喧嘩になることは容易に予想出来たしな。


 しかしと言うか、やはりと言うべきか、結局その後瑠璃は七椿からの連絡でさえ無視し続けた。だがその間、薙切ナキとしての活動だけは平常通り、何事もなかったかのように継続していたのだが。

 逆に幽名は案件配信から数日間、一切配信をしなくなってしまっていた。

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