売り言葉に買い言葉

 ドムガル案件配信で荒らしの攻撃対象になっていたはずの瑠璃だったが、事務所の仮眠室に姿を現した瑠璃はこっちが面食らうくらいいつも通りの様子だ。

 瑠璃は両手を制服のポケットに突っ込んで、腕にはコンビニの袋を下げている。事務所に来る道中で買い物でもしてきたのだろう、ガムも噛んでるし。つまりそのくらい精神的に余裕があったということだ。表情も……まぁ、いつも通りちょっと目付きの悪いだけの瑠璃でしかない。


「で、こんなとこで何やってたの?」


 瑠璃は、向かい合って構えている幽名とトレちゃんに怪訝な視線を向けつつ、仮眠室の中に入って後ろ足で扉を締めた。行儀が悪いと注意したいところだが、今はそれどころじゃない。


「何って……反省会だよ。案件の」


「仮眠室で?」


「ああ」


「ふーん、あっそ」


 俺の苦し紛れの嘘に、瑠璃はどうでも良さそうに生返事をする。

 それだけだった。


「……」


「……何黙っちゃってんの?」


「え?」


「反省会やってたんじゃないの? 私に構わず続けたら?」


「あー、うん、そうだな?」


 幽名とトレちゃんに目配せをする。

 そっぽを向かれてしまったが、とりあえずは2人共争うのは止めてくれたようだ。

 幽名も瑠璃の出現にどうすればいいのか分からなくなってしまっているように見える。


 それくらい、瑠璃は何ともなさそうにしていた。

 公然の場であれだけ荒らしに悪口を言われていたにも関わらず。

 もしかしたら案件配信を見てなかったんじゃないのかと疑ってしまうレベルだ。

 だとしたら、瑠璃が荒れるのはこれからということになる。

 まずは瑠璃が見たのか見てないのかだけでも確認しておくべき……なのだろうか。


「瑠璃ちゃん、もしかして案件見てなかったの?」


 俺が足踏みしている間に、先に一鶴が聞きたかったことを聞いてくれた。

 こういう時に率先して踏み込めるのが一鶴の長所だろう。

 本人は何も考えてないだけかもしれないが。


「見てたけど。最初から最後まで、ちゃんと」


「あ、そうなの」


「それがなに?」


「え? いや、ほら、ねえ?」


 そして困ったように俺を見て来る。

 聞くだけ聞いて投げっぱやめい。

 まあ、ここからは俺が受け持つべきなのだろうが。


「瑠璃、大丈夫……なんだな?」


「ナキのアンチが湧いてたこと?」


「……ああ」


 瑠璃の口からズバリクリティカルな話題が飛び出てきた。

 仮眠室内の空気が張り詰めるが、当の瑠璃はひとりで涼しい顔をしている。


「やっぱみんなそれで揉めてたんだ」


「ああ、そうだ」


「配信の後も姫様が怒ってくれてた?」


「ああ」


「で、いつも通り暴走しかけてたところをみんなで宥めてたって感じ?」


 それも肯定だ。

 まるで隠れて見てたみたいに瑠璃は状況を正確に推測する。


「やっぱそうなってると思ってた。あ、じゃあもしかして、配信の最後の方の姫様は☆ちゃんが声真似してたってこと? 姫様があんな急に物分かり良くなるワケないし」


「瑠璃様、わたくしは――」


「ゴメン、ちょっと黙っててくんない? 姫様も、それ以外の人も」


 幽名が何かを言おうとした矢先、瑠璃が何者も寄せ付けない冷たい口調で全てを突き放す。

 そして近くの椅子に、ドカッとわざと大きな音を立てながら座ってみせた。


「正直さ、今めっちゃイラついてるから。だからホント黙っててよ、何も余計なことしないで」


 いつも通り……のように見えていた瑠璃は、中身の入ってるコンビニの袋を乱暴に床に投げ捨てて、深く深く溜息を吐いた。


「案件配信見ててさ、私凄いムカついたよ。勿論悪口死ぬほど書かれてってのもあるけど、一番はそこじゃない。そんなのは今に始まったことじゃないし、その程度だけならどうでも良かった」


 瑠璃は冷静なように見えて、心底キレていた。

 そうだ、瑠璃は本気でキレた時は、こういう風に一周回って冷静になるのだ。

 冷静にぶちギレる。


「私が一番ムカついたのは、それをスルー出来なかった姫様にだよ」


「え――」


 まさか自分が名指しされると思ってなかったらしく、幽名が目を見開いて一歩後退る。


「さっきの配信さぁ、FMK最初の案件配信だったんだって分かってる? この事務所にとっての大きな足掛かりになるはずの配信だったんだよ? それがアレだもん、もう二度とFMKに案件が来なかったとしても私は驚かない」


「そんな……わたくしは、ただ……」


「やめて、聞きたくない」


「瑠璃様を……バカにされたのが、許せなくて……」


「でもあの場は飲みこむべきだった」


「そんなこと、出来ませんわ」


 幽名の返答に瑠璃が舌打ちをした。


「じゃあ辞めたら?」


「おい瑠璃!」


 そしてそれだけは言ってはならないという言葉を軽率に口にした。

 幽名は明らかに傷付いた顔をしていたし、他の全員が信じられないものを見る目を瑠璃に向けた。


「ちょっと瑠璃ちゃん、今のは流石に言い過ぎじゃないの?」


「一鶴さんは黙っててよ」


「は? なんで年下のアンタにそんな命令されなきゃいけないの? 残念だけどあたしは黙れと言われて黙るほど素直じゃないわ! こうなったら死ぬまで喋り倒してやる!」


「じゃあ黙らなくていいから、貸してるお金返して」


「うぐっ……!」


 一鶴のアホは秒で黙らされていた。

 話がややこしくなるだけなので一鶴に静かにしてて欲しいのは異論ないけど。


「じゃあ代わりに俺が言わせてもらう。瑠璃、今のは明らかに言い過ぎだ、姫様に謝れ」


「ごめんね姫様。これでいい?」


 心の籠ってない適当な謝罪。

 上っ面だけだ。それが余計に幽名を傷つける。


「瑠璃、今回の一件、お前が一番の被害者だと俺は思ってる。でもだからって、お前が周りを傷つけて良い理由にはならない」


「そうかもね。でも誰かがハッキリ言ってやんなくちゃ、姫様は次も同じことをする。私がここに来る前、姫様は何をしようとしてた? みんなはなんで姫様を必死に止めようとしてたの? それが答えでしょ」


「それはお前の役目じゃない。運営の仕事に首を突っ込んで余計な真似をするな」


「その運営が姫様を制御出来てないから私が言ったんだけど」


「だからそれが余計だって言ってんだよ」


「じゃあちゃんとやってよ。代表が付いてたのに案件もめちゃくちゃになってるし、こんな話が拗れてんのも代表が役立たずだからじゃないの?」


「それは……そうだな。すまん、みんな」


 瑠璃の言葉がボディブローの如く内臓を揺さぶる。

 元祖FMKの一撃は伊達じゃない。


「でもそれはそれ、これはこれだろ。お前が好き勝手言って良い理由にはならない。運営への文句は甘んじて受け入れるが、同じライバーを傷つけるような事を軽い気持ちで言うな」


「軽い気持ちでなんか言ってない。本気だった」


「……瑠璃、本当にそのへんにしとけよ」


 幽名に辞めろと言ったのが本気だったと聞かされて、俺も頭に血が昇り始めていた。


「姫様はお前のために怒ってくれてたんだぞ」


「私はそんなこと頼んでない」


「気持ちを汲めって言ったつもりだったんだが、難しかったか? お前頭空っぽだもんな」


「なにそれ、代表にだけはそんなこと言われたくない」


「ハッキリ言ってやっただけだが? 言わなきゃ同じ事繰り返すだけだもんな?」


「うっざ!」


「今のお前の方が俺からしたらよっぽどウザいけどな。運営でもないヤツが他のライバーに辞めたらって何様だよ。そんなこと言ってる、お前が辞めるのがいいんじゃないのか?」


 売り言葉に買い言葉とは正にこの事だろう。

 俺はさっき、それだけは言うべきじゃないと思った言葉を、瑠璃に向けてそっくりそのまま言ってしまったのだった。

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