不正
時に諸君は何故ボクシングという競技が、体重別に17種もの階級に分かれているかを知っているだろうか。
それはひとえに体重差による不公平を無くすためであり、格闘技においてそれだけウェイト差というものは重要なのである。
しかし俺はその日、目の前でまざまざと見せつけられてしまった。
金髪メイド服の細身の少女が、ボクシングで言う所のヘビー級(体重90.72kg超)はあるだろうモリモリマッチョの巨漢を、あろうことか片手でぶん回して床に叩きつけるシーンを。
「あー……トレちゃん?」
静まり返った事務所内。
俺は恐る恐るという様子が正にしっくりくる感じの物腰で、フランクリンを床に押さえつけるトレちゃんに声を掛けた。
いつも事務所の扉をバーン! と勢いよく開けて入ってくるトレちゃんだったが、今日のは度を超えてバイオレンスだ。
最早音すらも置き去りにする速度で飛び込んできて、気が付いたらコレだ。
ワケが分からない。
「あのー、もしもし? 聞こえてるかトレちゃん?」
そこでようやくトレちゃんは、俺の方にチラリと視線を向けた。
チラリというか、ギロリって感じだ。
「だからワタシは――僕は――反対だったんだ。CIAの人間を事務所に招き入れるなんて」
「ちょ、トレちゃん!」
いきなりトレちゃんが『素』に戻って、しかもフランクリンがCIAであることまで口にし始めたので、俺は大いに焦った。
慌てて半開きだった窓を閉め、事務所の入り口にも鍵を掛ける。
これで秘密を知らない人間が入ってくる心配はない。
ちなみに七椿は事務所の備品を買いに外に出ており、今ここに居るのは俺、蘭月、フランクリン、トレちゃんの4人だけだ。
だが上の階のスタジオでは幽名が配信中で、いつ気紛れでこっちに来るか分からないし、他のライバーだって同じようなもんだろう。
「ふぅ……これで大丈夫か」
「心配性ネ、ボスは。誰か来たら気配でワカるカラ心配ゴムヨウアル」
「そういう油断が命取りなんだよ。……で、これはどういう事なのか、俺にもちゃんと説明してくれるんだろうな?」
『それは私から説明致しましょう』
と、事務所内のPCモニターに映る映像が一斉に切り替わる。
そこにはFMKが誇るスーパーAIであるbdの3Dアバターが映り込んでいた。
アメジスト色の髪をした少年なのか少女なのか判別に困るアバターは、洋画の黒幕がふんぞり返ってそうな革張りの椅子に腰掛けて、白いペルシャ猫を膝に乗せて寛いでいる。
なんだその3Dグッズは、どこで調達した。
「…………bd、説明を頼む」
『こんなにツッコミ所満載なのに、説明を優先しますか。やれやれ』
「ツッコミたかったけど、そこツッコミ入れたら話進まねえだろ。ただでさえこの事務所脱線して話進まねえこと多いのに、AIのお前までそうなったら終わりだろ。なんなんだよその椅子と猫」
「勢いにマカセテ、結局ツッコんデルネ」
『これは私のリスナーの3Dモデラーがプレゼントしてくれた物です。私が3D配信する時いつも真っ白な何もない空間に居るので、コレを是非使ってくれと』
「フッ、イイリスナーにメグまれたアルネ。bd」
『はい、私なんかには勿体ないくらいの』
イイハナシカナー?
無茶苦茶な流れから湧き出て来たホッコリ話のせいで情緒がおかしくなるわ。
「だーもう、結局脱線してるし。で? ブチ切れトレちゃんが事務所に突っ込んで来て、フランクリンをゴミクズみたいにぶん回した理由は?」
『はい。それはフランクリンが、オーディションを利用してFMK内部に合衆国の手先をねじ込もうとしてるのが分かったからです』
「なんだって?」
もしbdが言ってることが事実なら、確かにトレちゃんブチ切れ案件になるのも頷ける。
合衆国からの手先をFMKに密かに潜入させるってことは、それ即ちフランクリンもキューブを狙っていたってことだからな。いや、狙いがキューブとは限らないが、良からぬことを企てていたのは疑いようもなくなる。
「――って言ってるけど、本当のところはどうなんだフランクリン。俺としては正直に話して欲しいところなんだけど」
「誤解だ、リー……いだだだだだだだ! もっと優しく扱ってくれ!」
「黙れ」
トレちゃんの言葉からは形容しがたい怒りが滲み出ている。
トレちゃんって一回敵と見なした相手にはキツイよなぁ。蘭月がFMKに来たばっかの時も、しばらくは露骨に態度悪かったし。
育ってきた環境がそうさせてしまうのかもしれない。
戦闘マシーンだか殺戮マシーンだか諜報員だが知らないが、トレちゃんは戦うためだけに育てられてきたと聞く。
そんな過去は捨てて、トレちゃんとして生きていくと言ってくれたのはまだ記憶に新しい出来事だが、そう簡単に自分を変えられるほど『リーア』として生きて来た人生は軽くはなかったらしい。
自分の大事な居場所を脅かす敵の出現に、どうしても激情を抑えきれなくなってしまったのだろう。
「トレちゃん」
そんな頭に血の昇ったトレちゃんに、俺は出来るだけ優しく声を掛けた。
「……何」
「ありがとう、FMKのためにそこまで怒ってくれて」
「……」
「でも事務所の中で暴力は無しだし、俺はトレちゃんに暴力を振るって欲しくない。分かるな?」
「………………ごめん、デス」
そこでようやくトレちゃんは、いつものトレちゃんに戻ってくれた。
ふぅー、ションベンちびりそうだった。
っていうか、トレちゃんは強い強いって蘭月やbdから散々聞かされてたが、実際に戦うところを見てようやく今更実感が込み上げて来た。
あのフランクリンを片手でブオォン! だもんな。漫画かよ。
「それじゃ事情聴取したいんだが、フランクリンの言い訳から聞かせてもらおうか」
「言い訳ね。まあ、俺なんて所詮はよそ者だ。何を言っても信用されるとは思っちゃいない」
「そりゃ話次第だろ。包み隠さず真実だけ言ってくれよ? 俺はともかく、他の3人には嘘や誤魔化しは通用しないからな?」
フラフラと立ち上がるフランクリンに椅子を勧めながら、俺自身も自分の席に腰かける。
蘭月とトレちゃんは、フランクリンの両サイドで挟み込むように仁王立ちだ。圧が凄い。
「じゃあ単刀直入に聞くが、狙いはキューブか?」
「そういうのじゃない」
フランクリンは酷く居心地悪そうに首を振る。
すると両サイドからの見えない圧が強くなった。コラコラ、怖がらせるのはやめい。
「じゃあなんでスパイを入りこませようとしたんだ――って、ちょっと待てよ。スパイ候補はbdが全部排除してたんじゃないのか?」
そういう前提で安心して1次選考を始めていたのだが、俺が聞いていた話と現状が食い違っている。
どういうことだ。
『ああ、あれは嘘です』
その質問に答えたのはbdだった。
「嘘?」
『フランクリンを試すために、あえてアメリカが送り込んでいたスパイは数名ほど残しておいたのです。で、まんまとフランクリンはスパイを数名1次審査に合格させようとしました』
どうやらbdは俺に無断で撒き餌のようなことをやっていたらしい。
相談も無しにそういうことをやられるのは非常に困る。後で厳重注意しとかないとな。
というか、
「そりゃフランクリンの立場を考えれば仕方ないだろ。自国のスパイがオーディションに居て、しかも自分は審査員。通さなきゃ上から文句言われるだろうし……なあ?」
フランクリンからしてみればとんだ罠だろう。
bdに気付かれないはずがないし、見えている罠に自分から飛び込んだようなものだ。
いや、フランクリンはこうなることを分かっててやったまであるな。
『敵に同情的なのは良くありませんね』
若干フランクリン寄りな態度を取る俺に、bdが諫めるようなことを言う。
まあ、俺的にはbdの行動が気に入らないってのが大きいからな。
ハメだろ、こんなの。
『ですが彼はやり過ぎです。蘭月が一度失格にした応募者の中から、わざわざスパイをサルベージして合格にしてるのですから』
「うーん……それは流石に?」
今の情報でちょっとbd寄りに心情が傾いた。
昼間に蘭月が失格にした応募者のデータを貰ってたのは、スパイを合格させるためだったとしたら、割とガチでFMKを陥れようとしてた可能性も考えなくてはならない。
「待ってくれ、俺の話を聞いて欲しい」
しかしフランクリンは、慌てたように弁明してきた。
「スパイを通過させようとしたのは謝る。だがスパイどもはどうせ最後まで残さないで、どこか別の選考で落ちてもらうつもりでいた。それは本当なんだ」
「CIAの――フランクリンの本当の上司とかに向けてのポーズだったってことか?」
「ああ……いや、それもあるが……」
「ナンネ、ハッキリしないオトコアルネ。デカい図体しといテ」
「指の一本くらいアレしたら口も軽くなるデス?」
「やめい」
チャイナ服とメイド服のバカが邪魔なので一旦離れてもらう。
「俺はただ……お嬢の願いを叶えてやりたかっただけで」
「お嬢?」
「コイツだよ」
そう言って、フランクリンはタブレットにとある応募者のデータを表示させた。
「キャロライン・M・シルバーチェイン……? 名前からしてもう日本人じゃないけど、コイツもスパイなのか?」
「ノーだ。お嬢はただのFMKに入りたがってる応募者だ。ただ、普通のルートで入ろうとしても、絶対に弾かれると思った。だからこうするしかなかったんだ」
「んー、まあそりゃキューブの件があるから、bdチェックに黒判定が出ちゃうだろうけど」
「それだけじゃないんだ。スパイだとか、そんな生易しい立場の人間じゃないんだ、お嬢は」
フランクリンは、さも重要な事実をバラすぞとでも言いたげに声を低くした。
『キャロラインはアメリカ合衆国現大統領の娘ですね』
そんな前振りを無視してbdがめちゃくちゃ軽い調子で真実を告げる。
なるほど、大統領の娘ね。
そりゃ大した大物だ。
「は……えぇええええええええええ!!?」
絶叫したのは俺だけで、他は割と冷めたリアクションをしていた。
なんだよ、俺がバカみたいじゃん。
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