インプリンティング ラヴァーズ

「いつになったら、お父様とお母様はわたくしを見つけてくれるのでしょう」


 そう言って、幽名は自らの膝に顔を埋めた。

 こんな弱々しい幽名を見るのは初めてかもしれない。


 いつも優雅で、気品に溢れていて、それでいて天然で、ぽけ~っとしていて、幽名は常にマイペースに周囲を振り回してきた。

 何事にも動じぬ、ある種の超越者めいた雰囲気すら感じさせていた幽名だが、しかし今はまるで普通の少女のように華奢な身体を小刻みに震わせている。


 違う。幽名は紛れもなく普通の少女だ。

 育ってきた環境が多少特殊で、髪や目の色が日本人離れしているというだけ。それ以外は何処にでもいる17歳の少女。むしろこれまで良く両親の不在に耐えてきた。たったひとりで外の世界に放り出され、さぞかし心細かったことだろう。平気なわけなかったのだ。

 ひとり事務所で寝泊まりしている幽名が、枕を濡らして眠る夜がないとどうして断言出来よう。


 今更ながらそんな当たり前の事実に思い至る。

 天然なお嬢様というフィルターに視界が曇って、真実が見えていなかった。

 俺の隣に居る少女は、こんなにも脆く傷つきやすいというのに。


「――姫様」


 俺は手を伸ばし、少し悩んでから幽名の頭に手を置いた。

 今なら抱き寄せて慰めることも出来たかもしれないが、俺は馬鹿げた衝動をなけなしの理性で押しとどめる。雰囲気に流されたら終わりだ。俺は自分の立場を考えなければならない。

 割れ物を扱うように優しく頭を撫でながら、次の言葉を俺は探す。


「VTuberとしてデビューする時、幽名姫衣って本名のままで活動することに固執してたよな」


 あの時は俺も猛反対したのだが、幽名がどうしてもと言って聞かなかった。

 結局、幽名姫依というほぼ同じ名前で活動することになったのだが、あの行動にも幽名なりのちゃんとした理由があったのだ。

 それに今、気が付いた。


「アレは、お父さんとお母さんに見つけてもらうため、だったんだな」


「……」


 返事はない。

 ただ俺の推理は間違っていない気がする。


 幽名は、行方不明の両親に自分を見つけてもらうために――もしくは自分の無事を報せるために、本名で活動することを頑なに希望したのだ。

 Vの活動に熱心だったのも、有名になればなるほど両親の目に留まる可能性が増すから。

 もしかすると実写配信が多めだったのも、わざと狙ってやっていたのかもしれない。……いや、あれは本当に天然だった気もするけど。


 ともかく、幽名の目標は最初から明確だった。

 両親と再会する。ただそれだけだったのだろう。


 でもそれは俺にとって、少し理解し難い感情だと言えた。


「幽名は両親のことが好きだったんだな」


「……当然ですわ」


「当然、か。そうだな」


 家庭環境は人それぞれだが、俺と瑠璃の実家は間違いなくマイノリティな方だろう。

 俺ははっきり言って両親のことが大嫌いだ。

 なんならこのまま一生死に目にすら会わなくて良いとさえ思っている。

 だからこそ、幽名の悲しみに真に寄り添うことが出来ない。

 トレちゃんの時と同じく、俺は理解者足り得ない。


 だけどそれでも、そんな時にどうすれば良いのか、その答えはもう出ていた。


「姫様。お前の両親は必ず見つける。だからもう少しだけ待っててくれないか?」


 理解は出来なくても、力になることは出来る。

 事務所に所属しているライバーが悩みを抱えてるなら、俺は全力でその解決に取り組まなくてはならない。

 それがFMK代表である、俺の存在意義。

 俺のやりたいことだから、だ。


「代表様に、見つけることが出来るのですか?」


「任せとけ。こっちにはスーパー軍事AIやCIAや無敵のメイドさんまで居るんだぜ? 地球の裏側に隠れてようと見つけ出してやるよ」


「軍事……? しーあいえー……?」


「ああ、いや、これは全部言ったらダメなヤツだった。忘れて」


「???」


 ともかく、


「俺にドンと任せておけ。FMKの代表に」


「……はい、代表様を信じます。信じています、これからもずっと」


 幽名が潤んだ瞳をこちらに向けて来る。

 どこか蠱惑的なその表情に、俺は石にされてしまったかのように動けなくなった。

 このまま身動きを取らなかったら、何か間違いでも起きてしまいそうな空気感。

 事実として、幽名はほんの僅かずつではあるが、こちらに体を傾かせつつあった。

 その誘惑を振り切って、俺は全身全霊の精神力で顔を前に逸らす。


「帰ろうか」


「はい」


 幽名の声に残念そうな色が含まれていたのは、きっと俺の気のせいだろう。

 蒸し暑い夏の夜が見せた、世にも儚い夢幻だ。



 ■



 その後俺は、足を怪我してる幽名をおんぶして事務所まで歩いていた。

 ほんとはタクシーを呼ぼうとしたのだが、我が儘なお姫様がおんぶをせがんで来たので仕方なくだ。


「なんかこうしてると昔を思い出すよ」


「昔、ですの?」


「ああ。瑠璃が小学生で、ちっちゃくて、まだ可愛げのあった頃なんだけどさ」


「瑠璃様は今でも十分可愛いと思いますが」


「かもな。で、俺と瑠璃の2人で夏祭りに遊びに行ったことがあったんだけど、瑠璃が途中で疲れて歩けないとか言い出して……こうやっておんぶして家まで帰ったことがあったっけ」


 あの頃、引っ込み思案だった瑠璃は俺に依存しきっていて、俺もまた、唯一信頼できる肉親である瑠璃に依存していた節があった。


「あいつ当時は俺にべったりでさ、信じられないだろ? 今ではあんなにツンツンしてるのに」


「……」


「姫様?」


「……」


「疲れて寝ちゃったか」


 そこまで当時の瑠璃と同じでなくてもいいのに。

 自由奔放な幽名らしいオチだ。


「おやすみ、姫様」


 さて、それはそうとそろそろタクシーを呼ぼう。

 俺の足腰が限界なのもあるが、何より浴衣姿の女の子をおんぶするのはあまり良くない。

 生足見えちゃってるし、なんなら触れちゃってるし。

 マジで良くないな。



 ■



 翌日、幽名は期待通りにパパっと台本を仕上げてきた。

 これにてFMK初となるボイス販売は無事に達成。

 夏をテーマにしたシチュエーションボイスは、無事にそれなりの売り上げとなったのであった。


 その中でも、幽名の夏祭りデートボイスは一番の人気だった。

 幽名との甘々なデートボイスを聞いたFMKの面々に、幽名と一緒に祭りの取材に行った俺に対して疑惑の目が向けられたが、それはまた別の話である。



 ■



『これからもずっと、わたくしの隣に居てください。そして来年もまた同じ場所で、同じ花火を一緒に見ましょう。――愛してます』



 FMKテーマボイス【幽名姫依とラブラブ夏祭りデート】より抜粋。

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