ときめき指数にご用心
日本人はとにかく祭りが好きだ。
春夏秋冬季節を問わず、大小様々な規模の祭りが狭い島国のあちらこちらで開催されており、その件数は年間で約30万件にも及ぶと言われている。
一時期は感染症の蔓延によって祭りの数も激減していたが、今年は何事もなかったかのように日本中で祭りが催されている様子だった。
とにかく年がら年中楽しく騒いでいたいという国民性によって日本の祭りは支えられているが、しかし日本人の誰もが祭り好きかと問われればそれについてはノーと言わざるを得ない。
かくいう俺もさほど祭りは好きではない。祭りが嫌いというよりも、人ごみが苦手という区分ではあるが、積極的に祭りに出向くようなパーリーピーポーでないことだけは確かだ。
最後に祭りらしい祭りに行ったのはいつだったか…………。高校生の頃に、当時まだ小学生だった瑠璃を近所の花火大会に連れて行ったのが最後だった気がする。あの時は大変だった。
とにかくそんな風に祭りに対してあまり良い印象を抱いていない俺であったが、どういう因果か今は駅の前で祭りに行くための待ち合わせをしていた。
しかも相手はちゃんと女の子。これじゃまるでデートの待ち合わせだ。
だがしかし、この祭りはそんな浮ついた気持ちで臨むものでは断じてない。
夏らしい行事が分からない、夏とはなにか。それを知らない箱入りお嬢様である幽名に、夏の風物詩である祭りを知ってもらうための、謂わば取材なのである。
これは幽名にシチュエーションボイスの台本を書いてもらうためには必須のカリキュラム。
それ以上でもそれ以下でもない。
などと心の中で誰にともなく言い訳じみたモノローグを垂れ流していると、不意に駅前の喧騒が、引く波のようにさぁっと静かに掻き消えていった。
人々の視線がある一点に集まり、誰もが言葉を失っていく。
浴衣姿の幽名姫衣が、人間の言語中枢を機能不全に陥らせるほどの美しさと存在感を放ちながら、ゆったりとしたたおやかな歩みでこちらに近付いて来ていた。
濃紺を基調とした白百合柄の浴衣。純白の長い髪は、浴衣に合うようにサイドの編み込みに。足元は素足に下駄。可愛らしい手提げのポーチ。
夏祭りにこれほど相応しいコーディネートがあるだろうか。いや、ない(反語)
そんな完璧な姿で現れた幽名に、俺までもがバカみたいに口を半開きにして見惚れてしまった。
「お待たせいたしました、代表様」
と、幽名に声を掛けられるまで、俺は呼吸さえ忘れかけていた。
何を……呆けているんだか、俺は。
「いや、全然待ってないぞ」
なんてお約束のやり取りを口にする。
そんなテンプレート的な言葉しか咄嗟に口に出来なかったと言う方が正しいか。
それくらいに今日の幽名は、筆舌に尽くし難かった。
まるで美術館に飾られた名画のような……いや、あんまり女の子をモノに例えるのも良くないか。
「如何でしょう。変ではありませんか?」
幽名が見せびらかすように優雅に一回転する。
流石に何が? とは聞き返さない。
その質問の意図が読めないほどマヌケになったつもりもない。
「あ、ああ、似合ってる。浴衣も髪型も。洋服のイメージが強かったけど、和服も似合うな」
「奏鳴が着付けてくれました。髪は瑠璃様が」
「そうか」
奥入瀬さん、瑠璃、GJ。百万年無税。
そのタイミングで瑠璃からスマホにメッセージが飛んで来た。
『姫様に変なことしないでよ。あと私も今度祭り行きたい』
変なことってなんだよ。俺をなんだと思ってやがる。
それと一瞬スマホの画面にbdらしき影が映っていた。AIが出歯亀するな。
俺はスマホの電源を落として、改めて幽名と向き合う。
「じゃあ、とりあえず行くか」
「はい」
「ここからちょっと歩くけど大丈夫か? 下駄は履き慣れてないと足痛めるし、何かあったら遠慮なく言うんだぞ」
「心配には及びませんわ」
言って、幽名はそっとこちらに手を差し出してくる。
これはなんの合図だろうか。
「あー……どうした姫様」
急に察しの悪くなった俺に対し、幽名が真顔で答える。
「手を」
「手を?」
「……」
「……」
緊迫感のある沈黙。
いや、本当は分かってる。
手を繋いで欲しいと言っているのだろう。
分かってるけど、それは流石に良くなくないか?
VTuber事務所の代表と、所属ライバーの女の子(しかも未成年)とが手繋ぎで夏祭りは良くない。スキャンダラスだ。炎上案件だ。ユニコーンが暴れ回りかねない。
というかどこでこんな少女漫画みたいな様式美を学んだんだ……って、この間瑠璃が即興で披露した、夏祭りの待ち合わせシチュエーションボイスか。おのれ瑠璃め。
「手……手はアレだ、マズイな。俺は実は汗っかきでな、手汗で姫様を不快にさせてしまうかもしれない」
「わたくしはその程度のこと気にしませんが」
「発汗量が常人の10倍くらいで、もうぐっしょり濡れて、オマケに雑巾みたいな臭いまでしてくるんだよ」
「代表様」
意味不明の設定を自分に付け足す俺に、幽名が悲し気に眉をひそめた。
「代表様は、わたくしと手を繋ぐのがイヤなのですか?」
その瞬間、幽名に見惚れていた外野の有象無象達の視線が敵意に変わるのを感じた。
「何あの男……手くらい繋いであげなさいよ」
「女の子がかわいそう」
「さいてー」
「玉無し野郎かな?」
「女の敵」
「女の子に恥をかかせんな!」
えぇー……民度ぉ……。
幽名のカリスマ性が悪い方向に作用してるんですけどぉ……。
下手すると俺が野次馬たちにボコボコにされかねない空気だ。
進んでも地獄、退いても地獄。
だったら俺は前へと進む。
全てはボイス販売のためだ。
そう自分に言い聞かせながら。
「……分かった、ほら」
幽名の手を握り、そのまま逃げるようにその場を後にする。
だけど幽名の歩幅に合わせるため、出来るだけゆっくりと。
「……」
自分の歩き方がまるでロボットみたいにギクシャクしているのが分かった。
何をいい歳した大人が、たかが女の子と手を繋いだくらいで緊張してるんだか。
炎上的な意味での緊張感が強くはあるが、それでも自分の現状に情けなさが湧いてくる。
腹を括れ軟弱野郎。ここは幽名のためにもしっかりとエスコートしてあげなくては。
「ふむふむ」
「……」
「なるほど、ですわ」
幽名がぶつぶつ呟きながら、俺と繋いだ左手をまさぐるような動きで滑らせる。
俺の右手の感触を楽しむように、すりすりもぞもぞと。
「えっと……姫様」
「はい?」
「それ、やめよう」
「?」
「手」
「手? ……あ、申し訳ございません。くすぐったかったでしょうか」
「くすぐったいっていうかだな……とにかくやめよう」
「殿方の手の感触を覚えておこうと思いまして。台本の参考になるかと思ったのですが……」
ボイス販売を免罪符にしてはいけない。
自制心を保て、俺。
「ふふっ、なんだか今日の代表様は少しカワイイですわね」
「……そうか?」
「はい、顔が真っ赤ですもの」
その指摘に、俺はますます顔が赤くなるのを感じた。
だから俺はこれ以上幽名に顔を見られないように、ちょっとだけ速度を上げて前を歩く。
幽名が離されないように、握る手に少しだけ力を込めるのが分かった。
それから歩いたのはほんの数分間ほどだったが、俺は祭りの会場までの距離がやたらと長く感じたのだった。
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