アウトプットとインプット

「幽名さんの台本がまだ上がって来ていません」


 と、七椿が冷めた口調で俺に言ってきたのは、シチュエーションボイスの台本締め切りから、1日経過した後だった。

 ちなみに七椿は別に怒っているわけではない。このbdも引くくらいの無感情さは平常運転なのだ。

 それはそれとして幽名が台本を提出していない件についてだ。


「てっきりもう提出してるものとばかり思ってたよ。すまん、俺の確認不足だ」


「代表に落ち度があったとは思いませんが。今幽名さんのマネージャーはフランクリンさんですし」


「フランクリンはなんて?」


「自分の出る幕じゃないと」


 なんだそりゃ。

 担当ライバーの面倒を見るのがマネージャーの仕事だろうに。

 さてはやっぱりFMKで真面目に仕事する気がないな。

 CIAから出向させられて不貞腐れてんのかね。

 やるからにはちゃんとやって欲しいものだ。


「とりあえず幽名とは俺が話してみるよ。七椿は既に上がってる台本のチェックが終わり次第、ボイスの収録に入ってってくれ」


「はい」


 ■


「それで、台本が出来てないって聞いたけど」


 すっかり幽名の自室と化している仮眠室。

 俺が問うと、幽名はメランコリックに溜息を吐いてノートパソコンに目を落とす。

 開かれっぱなしのテキストアプリは白紙のまま。

 まさか1文字たりとも進んでないとは。

 進捗ダメです。


「申し訳ございません。どうしても筆が進まず、代表様やマネージャーにもご迷惑を」


「それは別にいいよ」


 迷惑掛けられるのにも慣れたしな。

 このくらいならまだ可愛いもんだ。迷惑の内にも入らない。

 テロリストとか出てきたら危険シグナルだ。バトル物にテコ入れさせられるからな。


「どうしても無理そうなら、台本はやっぱり外注にするか?」


 俺の提案に幽名はふるふると首を振る。


「一度引き受けた仕事を断るなど、幽名姫衣の沽券に関わる一大事ですわ。最後までやり遂げさせてくださいませ」


「やる気があるのは分かったけど……本当に大丈夫か? 筆の進まない原因はなんだ? どういう内容にするのか方向性くらいは決まってるのか?」


「それは……まだ」


 1週間あってまだ内容すら決まってないとは。ううむ、これは思ったより難しそうだ。


「なんでも良いんだぞ? 夏っぽいテーマなら。一鶴の台本なんて結局賭博船での頭脳戦ドラマCDみたくなってるし」


「それが分からないのです」


 幽名が物憂げな表情で床を見る。


「分からないってのは」


「一般の方々が、どのように夏を過ごしているのか。夏っぽさ、夏らしさとはなんなのか、ですわ」


「――」


 幽名は箱入りのお嬢様だ。

 俗世間から切り離された場所で育てられ、一般常識すら覚束ないまま外の世界へと放り出されて今に至る。

 学校にこそ通っていたが、これまでの幽名を見る限り、恐らくその学校での生活でも俺達が普通に学ぶようなことは教えて貰ってこなかったのだろう。


 夏にみんなで海に行った経験はないだろうし、家で甲子園の中継を見たこともないだろう。お祭りも屋台もかき氷も盆踊りも花火大会も、きっと何もかも幽名は知らない。言葉を聞いてもそれが何なのか理解すら出来ない。そして知らないものは、出力アウトプット出来るはずがない。入力インプットがないのだから。


 なるほど。これは新人のフランクリンが匙を投げるわけだ。

 アイツは何も悪くなかった。悪いのはむしろ俺達だ。

 幽名と関係の深い者達が、もっとちゃんと夏の思い出を作ってやらないといけなかった。

 いっぱい誘って外に連れ出してやるべきだったのだ。

 VTuberだからって引き籠ってばかりいたら、成長は永遠に望めないのだから。


「まだ、遅くはないか」


「代表様?」


「ちょっと待ってくれ、今呼びかけるから」


「?」


 スマホを取り出してパパっと全員にメッセージを送る。

 なんだかんだで仲間想いな奴らのことだ。きっと心良い返事をくれるだろう。


「8月ももうすぐ終わるけど、夏を知りたいのなら今からでもまだ間に合う」


「と、言いますと?」


「みんなと一緒に夏っぽい行事をやっていこう、ってことだ」



 ■



「ダメです」


 が、七椿に却下されてしまった。

 どこから経由かは知らないが、俺が全員を夏満喫イベントに誘ったことが七椿の耳に入ったらしい。

 そして俺は七椿に会議室に呼び出されて正座させられている。

 俺代表なのに……。


「いや待ってくれ七椿、これは必要なことなんだ。幽名の台本を完成させるための」


「スケジュールが押しています。今日と明日で幽名さん以外全員のボイス収録を終えたいのに、皆さんに遊びに行く余裕があるとは思えません」


 なんという正論。ぐぅの音も出ない。


「台本は外注にするか、手の空いているライバーに代筆してもらうのが良いかと思います」


 そしてしっかりと代案も出してくる辺りぬかりない。


「だがな、幽名はどうしても自分で書きたいって言ってるんだ。そのためにもだな――」


「でしたら」


 少し強めの口調で七椿が俺の言葉を遮った。

 そして手元のファイルから一枚の紙きれを俺に手渡してくる。

 なんと今日開催予定の夏祭りのチラシだった。


「代表が幽名さんをこれに誘ってあげれば、それで事足りるでしょう」


「……俺が?」


「代表が、です」


 そう言って七椿が退出する。

 マジか。


 俺が幽名を誘うのはちょっと……代表とタレントの間柄だし……。

 それに幽名もどうせ祭りに行くのなら、友達と一緒の方がいいだろう。

 そう思って全員の配信スケジュールを確認してみたが、ほぼ全員が祭りの時間は配信する予定となっていた。たったひとり、幽名を除いては。


「仕方ねえな」


 ライバーの悩みを解決するのも代表の務め。

 その悩みを解決する手段が一緒に夏祭りに行くってことならやるしかない。


 ちょっとだけ緊張しながら幽名にメッセージを飛ばす。

 すると拍子抜けするくらいあっさりとOKの返事がきた。

 こうして俺と幽名は、ふたりっきりで夏祭りに行くことになったのだった。

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